69.ココロカット


 唯一の家族。

 それは神谷にとっての人生の指標であり、なくてはならないものだ。

 なによりも強く求めている。あのゲームを最初に起動したとき、内心、何を犠牲にしようとかまわないとすら考えていた。

 

 だが、いつしかそんな想いは変わっていった。


 光空という大切な幼馴染の存在を再確認した。

 園田という、秘密を共有するかけがえのない友人ができた。


 そして【TESTAMENT】における命を懸けた戦い。

 それは神谷自身が思っているよりも彼女の心を傷つけていた。

 大事な友達がいるのに、その友達を巻き込んでしまっているという矛盾もそれを助長した。


 今では、願いは何を捨てても叶えるべきものでは無くなっていた。

 友人たちを大切にしたい。同じくらい、自分も大切にしたい。

 だからゲームに挑むことを怖いと思ってしまう。

 あんな危険なことをせず、普通にカガミを探せばいいのではないかと思ってしまう。


 あのただ一度の敗北が引き金となり、溜め込んでいた恐怖を解放した。

 結局、神谷は弱かったのだ。

 弱さから目を逸らし、自分は大丈夫だと、戦えると言い聞かせていた。

 だが命の危険という荒波に削られ続けた心では、もう願いへの渇望を保っていられなかった。

 そんな強さはもう残されていなかった。


 アカネは正しい。

 彼女の言うことは全て正しい。

 強いというなら、ああいった人間こそが強いのだ。


 アカネの言う通り、園田や光空を、寂しさを埋めるために利用していた――それは間違いではない。現に彼女らと接しているときは喪失感を忘れられたのだから。

 だから言い返せなかった。

 そんな気持ちが欠片もないと言えば絶対に嘘になってしまうから。


 アカネは正しい。

 だが、そんな正しさを貫く強さを神谷は持ち合わせていない。

 これからもずっと弱いままなのだろうか。

 こうして間違いを積み重ねて生き続けていくのだろうか。

 そうして、最後には大切なものを失ってしまうのだろうか。


 嫌だ、と思う。


 それにまだ、何か目を逸らしていることがあるような気がして――しかし未だそれに気づくことは無く。

 這いつくばる神谷には、前を向くことすらできなかった。




 失意のまま寮に帰ると、もう夜も深くなっていたこともあり静まり返っていた。

 談話スペースの棚から救急箱を取り出し、腫れた右頬にガーゼを張る。じんわりと熱を持つその場所は未だひりひりと痛くて、少し泣きたいような気分にさせられた。


 暗い廊下を歩き、自室のドアを開ける。

 代わり映えのしない自分の部屋。その様子に少しだけ安堵する。

 と、そこでテーブルに紙片が置いてあるのが見えた。

 拾い上げると見覚えのある筆跡で一文。


『また明日お話ししましょう』


 園田の筆跡だ。

 以前ノートを借りた際に見たことがある。まるでお手本のように綺麗な字体が印象に残っていた。

 

 おそらく、顛末はアカネから聞いているだろう。

 自分が【TESTAMENT】をやめると言ったのも知っているだろう。

 見捨てられても文句は言えない。

 巻き込んで、振り回して、結局やめるだなんて、わがままといえばこれ以上のことはない。

  

 それでも話がしたい、なんて。

 

「…………ほんと物好き」


 恥ずかしくて、惨めで、でも嬉しくて。

 それでも前を向けない自分が悲しくて思わず涙がこぼれた。

 なんて優しい女の子。

 そんな子が友達になってくれたことが嬉しくて、だけど同じくらい悲しかった。

 本当に、自分なんかにはもったいない。


 神谷はそのまましばらく泣き続け、いつしか夜は明けていた。




 その日、神谷は学校で誰とも会話しなかった。

 運が良いのか悪いのか、部活関係で忙しかったらしくほとんど顔を合わせることは無かった。

 園田もまた話しかけてくることは無かった。今はその時ではない、ということなのだろう。

 昼休みに誰もいない中庭で食べた、ぱさぱさの菓子パンは思った以上に美味しくなくて、ミネラルウォーターで無理やり流し込んだ。


 授業には集中できなかった。

 放課後が近づくにつれ心臓の鼓動は早くなり、それがまた焦燥感を助長した。その時が来たら否が応でも向き合わなければいけない。

 はっきり言って怖かった。全てを投げ出してここから逃げたかった。

 それでも、なけなしの意地がそれを押し留めていた。園田と話すのが怖くても、それだけはないがしろにできない。


 いつから自分はこんなに弱くなってしまったんだろう、と自問する。

 

 あの騎士に負けた時?

 【TESTAMENT】で戦い始めた時?

 それともカガミがいなくなった時?


 どれも違うような気がする。

 そもそも自分は死にかけてまで戦うとか、そういった器ではなかったのだろう。

 ゲームの主人公とは違う。ただの女子高生だったというだけの話。

 それなのに無理を通して戦い続けていたから――ほら、壊れてしまったではないか。

 

 ゲームをクリアするのはアカネのためでもある、なんて言い分、今から考えればちゃんちゃらおかしい。ただの口実だ。自分の心を何とか支えるための。

 アカネのいうことはやはり正しかった。

 自分のことしか考えていなかった。


 そんな自己否定は延々と続き、崩れた心はどろどろと澱みを増していく。

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