70.煌めくエメラルド
自分の部屋というのは本来落ち着ける場所のはずで、しかし今の神谷には、罪人を裁く場所のように思えて仕方なかった。
「神谷さん…………」
心配そうに眉を下げる園田はベッドに腰かける神谷の顔を窺う。ドアにもたれかかるアカネは逆に、責めるような視線を送っていた。
「本当にやめるんですか……?」
ぴくり、と神谷の肩が動く。
神谷が顔を上げると園田と目が合った。その瞳に映った自分があまりにひどい顔をしていたので慌てて逸らす。
「や、やめる、よ」
震える声で、だが確かにそう発音した。
こんなに情けない姿を見せたらきっと嫌われてしまう。それが恐ろしくて、しかし口はひとりでに動く。
「もう怖いんだ。それに、これでもうみどりも戦わなくて――――」
「黙りなさい」
神谷の言葉をぴしゃりとアカネが断つ。
「そういうおためごかしはいいのよ。そんなことじゃなくて、」
「待ってください、アカネちゃん。……本当にやめるんですか? 願いを叶えたくはないんですか」
アカネを制し、なおも問いかける園田。
それは神谷にとっては一番聞かれたくないことだった。
未だに自分の中でも結論が出ていないからだ。
「わたしは……わたしには、もう無理だから…………」
だから要領を得ないことしか言えない。
思わず歯噛みする。
この期に及んでまだ逃げようとしている。
園田からも、自分からも。
「あんたね――――」
「アカネちゃん」
止めようと腕をつかむ園田を、アカネはしかし振り払った。
これだけは言わないと気が済まなかった。
この期に及んでそんなことしか言えない神谷に腹が立ってしょうがなかった。
「ふざけんじゃないわよ、そうやって泣き声を上げてれば誰かが助けてくれる――それをあんたは知ってるんでしょう!? わかっててやってるんでしょうが!」
突き刺すような言葉に、神谷は思わず頭を抱える。
どうしようもなく事実で、どうしようもなく正論だった。
これ以上ないくらいの正しさが神谷を抉る。
「そういうところがいっちばんムカつくのよ!それで誰かが犠牲になるのもわかってるくせに! あんたみどりの気持ち本当に考えたことある!? この子がどんな気持ちで、何を思ってあんたのために――!」
「アカネちゃん!!」
「…………っ」
今まで聞いたことのないような園田の大声に、アカネは思わず口をつぐむ。見下ろす神谷はぶるぶると震え、怯え切っている。その姿に、一瞬だけアカネは苦しそうに表情を歪めた。
「神谷さん、顔を見せてください」
「…………」
恐る恐る顔を上げる神谷の頬は涙に濡れていた。
「私は戦いますから」
「…………!? ちょっと待ってよ、もうみどりが戦う意味なんて…………!」
「いいんですよ、そんなのは」
「何が!?」
なぜそんなことを言うのか全く分からなかった。まるであの時の焼き直しだ。
一緒に戦わせてほしいと言われたあの時――それと同じか、それ以上に意味が分からなかった。
「私が戦って、あなたの願いが叶うならそれでいいんです。クリア条件はプラウを倒すことのみ。だったら私が倒したってかまわないはずです」
「そういうことじゃないんだって! なんにも見返りがないって言ってるんだよわたしは!」
「あなたの願いが叶うなら」
綺麗な瞳だった。エメラルドをはめ込んだみたいな煌めく瞳が、神谷を捉えて離さなかった。
心の美しさが、そのまま瞳に現れているのではないかとさえ思えた。
「私はそれだけでいいです。見返りというならそれが見返りです」
「みどりは……なんでそこまで……」
「私と友達になってくれたこと。父に立ち向かってくれたこと。そして、これはたぶん理解できないかもしれませんが、あなたがあなたでいてくれるだけで私は救われるんです」
園田は偽りの無い本音を神谷に話し始める。
本当に、感謝しかないのだ。
どれだけ『ありがとう』を謳っても足りないくらい。
だから神谷のためになれるのが嬉しいのだ。
彼女が暗い水底に落ちているなら光でもって照らして見せよう。
「こんなわたしでも……?」
弱々しい言葉に、園田は力強く頷く。
「それもまたあなたです。強いだけの人なんていませんよ。弱い部分も持っていて当たり前。だからそれでいいんです」
そう言うと、ベッドの傍らに置かれている白い携帯ゲーム機を拾い上げる。
画面には既に満タンになったゲージが表示されていた。
「あ…………」
「じゃあ行ってきます。起動は私の部屋でしますね」
意味ありげな視線を残し、園田は部屋を出て行った。
「あたしも行くわよ。あたしがあの世界にいた理由を知りたいし、それにあの子をひとりで行かせらんない」
「…………」
「……ねえ、あんた本当にこれでいいの? これで満足?」
訴えかけるような声音に、神谷は答えない。答えられない。
そんな様子にため息をひとつ零すと、アカネもまた出て行った。
廊下では園田が待っていた。
「……ごめん、取り乱して」
アカネは、まるで詫びるようにうな垂れる。
相手が違うというのはわかっている。しかし思わずそうしてしまっていた。
「本当はわかってるのよ、あいつも辛いんだって。傷ついてるんだって。十分にわかってるつもりだったの」
言い過ぎたという自覚はある。
傷にまみれた彼女をさらに追い詰めてしまったという自覚もある。
だが。
「……でも、どうしても許せなかった」
それでも譲れないものがあった。
園田のことを思うと、言わずにはいられなかった。
この少女をないがしろにする神谷が憎かった。
「だってこんなのあまりにも――」
ぽろ、と一粒の雫がこぼれる。
覚えている限り、アカネが流した初めての涙だった。
「――――あまりにも、みどりが報われないじゃない…………」
震える肩を、園田はいたわるように触れる。
この少女は本当に優しいのだと思う。だからあれほど激昂したし、食い下がった。
だから自分も応えたい。
「ありがとうございます、アカネちゃん。でもいいんです」
胸の内を明かそう。
知っていてほしいから。
「私、もともと死んでいたようなものなんです。たぶん沙月さんと出会ったあの時に産まれたんです。生きる意味を貰ったんです」
ずっと家庭が牢獄だった。父親という存在自体が拷問のようだった。
生まれた場所がそこだったから、ずっと逃れられなかった。
抜け出した後もその呪縛は園田を縛り続けていた。
しかし神谷との出会いで全てが変わった。
生きることに前向きになれた。
「だから、あの人が少しでも笑顔になれるようにと願うんです」
神谷のためになれるなら。
それほど嬉しいことはない。
だが彼女のためだけに頑張るのではない。
自分の幸せのために園田は戦うのだ。
「それに――――」
「……敵わないわね」
最後の言葉に、アカネは感服したように笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます