56.異界のアイソレーター
アカネは園田の部屋に予備の布団を敷いて寝泊りすることになった。
部屋に空きが無く、姉妹なら問題ないだろう――というのが北条の弁である。
『妹って言ってもあたし、あんたたちと同い年くらいよ……たぶん』
記憶を失っていることもあり、最後の方は自信なさげだったがとりあえず今の立場を受け入れたようだった。
何しろ帰る場所が無い。ならば安定した住まいに自分の身を預けるしかないだろう。
記憶喪失の謎の少女――その存在は、現代社会では思った以上に危ういものであるようだ。
その夜。
園田は神谷の部屋にお邪魔していた。
正直疲れてはいたが、それよりも話すべきことがありすぎた。
「アカネはもう寝た?」
「ええ、とても疲れていたみたいで……無理もないです」
右も左もわからないまま状況に振り回されて、肉体的にも精神的にも疲弊したようだ。
こうなると一緒にこちらへ戻ってきたのは良くなかったようにも思えるが、あの傷だらけの様子を考えるとそれは酷だ。放っておけばそのまま出血による衰弱で命が危ない。
「…………というか、なんでアカネはあんな所にいたんだろう。それに、襲い掛かってきた時は記憶があったみたいだった」
あの時彼女が言っていたことを思いだす。
『…………しぶとい奴。あれだけ切り刻んでやったのにまだ生きてたなんて……でも今度こそ逃がさない。絶対に――――殺してやるわ』
つまり、アカネは何かと戦い倒した。だが取り逃がしてしまった。あちこちの傷はその時についたものだろう。
そしてその何かというのは神谷によく似ているようだ。いや、あるいは――もしかすると。
「でもわたし知らないんだよ、アカネのこと」
「そうですよね……異能を持ったアカネちゃんをあそこまで傷だらけにするとなると、相手も相応の強さがあると考えられます」
だが神谷が異能を持ったのはここ最近で、しかもそれを使っている時、園田は全て目撃している。
となるとそっくりな誰かがいるということになる。
だがそれについては考えてもよくわからなかった。
「あのさ。あの世界にアカネがいた理由――それと異能を持ってた理由について考えてみたんだけど」
「理由ですか?」
「うん。もともとあの世界の人間なのかなって――つまりプラウと同じように元からいた存在なんじゃないかって考えたんだけど、それだと異能を持っているのは変だよね。つまり――わたしたち以外の『参加者』って考えられるんだけど…………」
「…………」
なぜか口を閉ざした園田に、なおも神谷は自身の予想を打ち明ける。
それは神谷にとって信じたくないような想像だった。
「これは仮説なんだけど、カガミさんが失踪した先か――もしかしたらそれより前にわたしの知らないところでつながりがあったのかもしれないけど、アカネに出会った。そしてわたしと同じように【TESTAMENT】を渡した。アカネはそのゲームを起動した――ってことなんじゃないかなって、わたしはそう思った」
カガミにとって自分が唯一の存在だと思っていた。
だがそれ以外の可能性が出てきたことで、その考えは揺らぎつつあった。
だが。
「……それは無いんじゃないでしょうか」
「え?」
「少なくともカガミさんがアカネちゃんにゲームを渡したというのは否定できますよ。あの時ウサギのプラウが言ってたんです」
『このゲームはな、あの小娘のためだけに創られたものだ』
プラウは確かにそう言っていた。
神谷のためだけのものだと。
「だから少なくとも、あのゲームを持っているのはあなただけだと思います」
「そっか。…………そっか」
神谷は少し安心したように微笑んだ。
(よかった。やっぱりカガミさんはわたしだけのカガミさんだ)
「…………でも、それならますますアカネが
「ええ。他にあの世界へ入る方法でもあるのでしょうか」
新たに判明した事実はある。
だが、それ以上に謎は深まるばかりだった。
カガミはどうして【TESTAMENT】を残したのだろうか。
置いていくことへの罪滅ぼしのつもりか。それとも他の理由があるのか。
未だにそれははっきりしていない。
「しかしこれからどうしようか、アカネのこと」
「うーん……食費は特に問題ないとして、服が無いんですよね……明日はどうしましょうか」
そう、アカネはなにしろ着の身着のままなのだ。
金銭の類は持っていなかったし、服はあの軍服モドキ一着のみ。
なんとか衣食住だけは保障してあげたいと二人は考えていた。
「背丈が近そうな陽菜に頼んで服を貸してもらおう。あの子ならたぶん頼みも聞いてくれると思うし」
「そうですね。明日は日曜日ですし買いに行きましょうか」
今日はばたばたしていたり、光空が部活だったりして紹介できなかったが、その時ついでに会わせてみることにした。
優しい光空ならきっと良くしてくれるだろう。
「…………なんだか大変なことになっちゃったけど、頑張っていこうね」
「ええ」
二人は笑顔で頷き合う。
わからないことだらけで、先は見えない。
だが、二人一緒ならきっと何とかなる。そう信じる。
きっとクリアすれば、カガミに会いさえすれば全てが明らかになる。
そう思った。
眠れるわけが無かった。
頭の中がぐちゃぐちゃで、考えても考えてもわからない。
自分は何者なのか。どこから来たのか。これからどうすればいいのか。
そんな何もかもがわからなかった。
記憶が無く、しかも自分を知っている人が誰もいない。
この瞬間、アカネは世界で最も孤独だった。
(あたしは…………)
知らない部屋の、知らない匂いのする、知らない布団に横たわったまま自己について思いを馳せる。
ここはどこ。私は誰――そんな使い古されたフレーズを自分が思うようになるなんて。
(なんて……どこで使い古されているっていうのよ。そんなことも覚えていないくせに)
箸の使い方や物の名前など一般的な知識はある。しかし物心ついてから今までの記憶がごっそりと抜け落ちていた。
エピソード記憶――そう呼ばれるものが失われているのだ。
残っているのは、あの神谷という少女への嫌悪感と、大人への底なしの恐怖や不信感のみ。
それではあまりに不安定だ。軽くつつけば崩れてしまう。
(だめね)
このままでは泥沼だと考えたアカネは部屋を出る。水でも飲んで、ついでに少し歩けば気分も落ち着くだろうと考えた。
だがその途中。
覚えのある話し声が聞こえた。
神谷と園田だ。
ドア越しに耳をそばだてる。
「しかし――――どう――――アカネ――」
「うーん――問題ない――――明日は――――」
途切れ途切れだったが、自分のことについて話しているというのはわかった。
どうやら処遇について話し合っているらしい。
内容については完全にはわからないがある程度察することができる。
(……当然よね、こんな得体の知れない奴)
記憶喪失です。そうですか。ではここで預かります。
そんな風に簡単にいくわけがない、というのはわかっていた。
わかってはいたが……少し悲しかった。
あの神谷とかいう女はなんだかムカつくが、園田は……なんというかとても安心する。そんな雰囲気を纏っている。
なんでも自分は神谷を殺そうとしたらしいが、それでも受け入れようとしてくれたように思えたのだ。それを内心ほんとうに嬉しく思っていた。
だが、現実は甘くない。
人ひとり預かるというのはそんな容易いことではない。
寄る辺が無いというのはこんなに心細いものなのか。
「…………ここにいちゃいけないのかもね」
その悲しみを聞くものは誰もいなかった。
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