43.Razbliuto


 神谷は寮の屋上にいた。

 鉄柵にもたれ込みながら、ただ夜空を漫然と眺めている。

 夜風が優しく前髪を揺らした。


「…………」


 星の中に、ひときわ輝く月がひとつ。今夜は三日月だった。

 カガミのことをふと思い出す。

 彼女は暇があれば月を見上げているような人だった。

 「好きなの?」と聞くと毎回、「普通かな」と返した。

 しかし、普通というにはあまりにも……まるで仇を見るような目だったのは神谷の思い違いだろうか。


「あーだめだめ」


 ひとりになるとすぐカガミのことを思い出してしまう。

 やっぱり寂しいんだろうな、と自らを分析する。

 そう客観的に自分を見ることで平静を取り戻す。

 こんなことを、一年前から何度繰り返しただろう。


 友人はできた。

 しかしそれで心の空白が埋まりきることは無い。

 カガミに会いたいという願いは今も色あせることなく神谷の中に居座り続けていた。

 

「よう」


 そんなアンニュイを断ち切るように現れたのは、寮長の北条だった。




「あ……こんばんは」


「隣いいか?」


 言いながら返答を聞かず、神谷の隣で同じような体勢で鉄柵にもたれかかる。

 

「……夜は静かだな」


 そうやって北条は遠くを見つめる。

 無くしたものを見つけようとしているみたいな目だった。


「お前には言っておかなきゃいけないことがある」


「……なんですか?」


「もっと早く言わなきゃいけなかったんだけどな。お前にその話をするのは少し気が引けた」


 まるで懺悔をするように頭を垂れる。

 深い後悔がそこにはあった。

 

「――――私はな、カガミの友人なんだよ」


 もしかしたら。

 もしかしたらそうかもしれないとは思っていた。


 寮への受け入れがあまりにもスムーズだったこと。

 そして現在、神谷沙月の保護者は……書類上、北条優莉になっているということ。

 これまで誰にも言っていないし、お互いの間でも、初対面のとき以外口にすることは無かった。


 16歳の少女なんて、見ず知らずの他人が引き受けられる重さではない。

 いや、仮に知り合いだとしても難しいはずだ。

 だから北条とカガミには何かしらの深いつながりがあるのだろうと思っていた。


「今のお前なら……カガミの話をしても大丈夫だと思ったんだ」


「そっか……うん、大丈夫。わたしは大丈夫です」


 わたしは大丈夫。

 念押しをするようにもう一度そう言い、笑顔を見せる。

 北条は少し肩の荷が下りたような様子だった。


「私とカガミは昔やってた飲食店のバイトで知り合ったんだ。偶然同時期に入ったこともあって仲良くなった」


「ああ、そういえばわたしが小学生の時に行ってたような……カガミさんって、北条さんから見てどんな人でしたか?」


 自分にとって親代わりだったカガミが、自分の前以外ではどんな風だったのか知りたかった。思えば神谷は彼女のことを良く知らない。なぜ自分を預かろうと思ったのか。そして――なぜ自分の前からいなくなってしまったのか。


「そうだな……正義感のかたまりみたいなやつだった。いつも誰かのために動いてて、他人同士の不和を仲裁することが多かった。だからあいつの周りはいつも笑顔だった。あとはまあ……優秀だったな。なんでもそつなくこなすって感じだ――ただ」


「ただ……?」


「たまにな、あいつは酷く辛そうな顔をした。なにかあったのかと聞いてもそのたびにはぐらかされる。まあ、誰にでも何かしらの事情はあるだろうとそのうち聞かないようにはしていたけどな」


 やはり、失踪したのには何か理由があったのかもしれない。のっぴきならない、事情を説明できないほどの何かが。その何かが【TESTAMENT】には秘められている――そんな気がした。


「……でも事情があろうとなかろうと、私はあいつが許せないんだよ」


 驚いて北条の方を見ると、眉間に皺が寄っていた。まるで腹の底に煮え滾る怒りを抑え込んでいるようにも見えた。


「なんで、ですか」


「一年と少し前の話だ。あいつから突然電話がかかってきた。しばらく会っていなかったから驚いたよ。だから、どうした、何かあったのかと私は聞いた」


「カガミさんはなんて?」


「お前が来年度からこの学校に入学すること。この寮に入れてやってほしいということ。そして――私にお前の後見人になって欲しいという話をあいつはした」


 やっぱり、と神谷は呟く。

 思った通り、以前から失踪の際の準備はしていたということだ。

 つまりこの失踪はカガミにとって予想できた事態。

 

「あいつは……かなり切羽詰まった様子だった。いつもの余裕が全くなかった。私は、あいつの友達だし、助けてもらったことも一度や二度じゃない。だから了承した。お前を、神谷沙月を預かるということを」


 この人は本当に尊敬すべき人間だ。神谷は心からそう思う。

 例え世話になった友人の頼みでも高校生ひとりを預かるなんてそうはできない。


 カガミがいなくなった直後で心が底の底に落ちていた神谷が――近づく人を全て拒絶しようとしていた神谷がこの寮に来たとき、北条に初めて会った。そんな状況でも北条のことを受け入れられたのは、彼女がそういった人物であると無意識にわかっていたからだ。

 大した見返りも無く、自分の後見人になれる。そんな人物だったから。


「私があいつを許せないのはな、お前を放ってどっかに消えたからだ。例えどんな理由があってもそれだけはしちゃいけない。あいつはお前の親なんだから。たとえ実の子どもじゃなくても育てると決めたんだから」


 なんて優しい人――神谷は言葉を失う。

 つまり北条は、神谷のために怒ってくれているのだ。

 大事な友達の行動を間違いだとはっきり言った。


 感情の波がうねりを上げているようだった。

 心の柔らかい部分が温かいものに包まれているような気がして、どうしようもなく揺さぶられる。

 神谷は思わず北条の背中に抱き着いた。


「おお!? ちょ、お前、ええ?」


 暖かくて、自分より大きい。

 北条の鼓動がなぜかとても速く感じた。


「北条さんがいてくれてよかった……」


 ジャージの背中にこぼれた涙が染みこんでいく。

 きっと泣いているのは北条にバレてしまっただろう。

 涙はとても暖かいから。


「……大丈夫だ。なんとなくだが、そのうちカガミは帰ってくるような気がするんだ。あいつのことは許せないけど、それでも私が友人と認めたあいつは子どもを放ったままにしておくやつじゃない。だから――大丈夫」


 次に会ったら一発ぶん殴るけどな、などとおどけるように笑う。

 根拠のない話だった。しかし優しい声色はまるで赤ん坊をあやしているようで、それがなにより心地よかった。まだまだ子どもなのだと神谷は自覚する。

 そうしてしばらく神谷は、誰より信頼できる大人の背中で涙を流した。



 同時刻。

 とある白いゲーム機の液晶が点灯する。

 その画面には、満タンになって点滅するゲージが表示されていた。

 次なる戦いの時が迫っている。

 

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