42.陽翼
「……なんか変な感じ」
卵とじうどんをすすりながら光空は呟く。
現在昼の一時過ぎ。
平日のこんな時間に寮の食堂で昼ごはんを食べるなんて初めてのことで、これまで高校では皆勤賞を保っていた光空にとっては違和感しかない。
結局学校を休むことになってしまった。
12時ごろ起床した時、それはもう焦った。仮に休むとしても、その連絡を入れていないことに背筋が寒くなった。すぐに神谷から「みどりに頼んであるから大丈夫だよ」と言われるまでずっとパニックの中だった。
「というか沙月まで休むことなかったのに」
と、となりで同じうどんをちゅるちゅる吸い込んでいる神谷に言う。
「たまにはいいよね、こういうのも」
「不良だー」
「えへ、ふだん優等生ぶってるからちょっとくらいのワルは許されてしまうのです」
ふふんと可愛らしく胸を張る神谷。
「で、身体はどう?」
「ん」
だるさはあるが少しだけだ。ここ最近ずっと重石のようにのしかかっていた疲労が嘘のようにとれていた。よく眠れたのが効いたのだろうか。
そうだとすると、添い寝してくれた神谷のおかげということになるのかもしれない……などと光空はぼんやり思った。
「……もう結構大丈夫かな。私って昔から怪我とかすぐ治るタイプだったから……これなら学校行っても良かったかも」
「だーめ。今日くらいはだらだらするの」
「でもずっとじっとしてるの落ち着かない……」
「えー? ……うーん、じゃあ夕方涼しくなってきてから散歩でも行く?」
「いく!」
神谷には、光空の揺れるポニーテールが犬の尻尾のように見えた。
神谷と光空の二人が中学で別れてからおよそ三年間。長いようで短い期間だが、変わったものも多い。
散歩はそれを確かめるための作業のようでもあった。
以前あった店がいくつも別の店に入れ替わっていた繁華街をぶらつき、その途中で話題に上った、二人が通っていた小学校を興味本位で見に行き、最後に二人がよく遊んでいた河川敷にやってきた。
緩やかな風に吹かれながら川辺に佇む。
傾いた日の光を、水面が反射し輝いている。光空はきらめくようなその情景を二人の思い出と重ねていた。
今も心の宝箱にしまった大切な記憶。
神谷と離れていた時も、ずっとそれを道しるべにして歩いてきた。
「小学校、別物になってたね」
神谷は小石を川面に投げ込み呟く。
「うん。私たちが卒業した直後くらいから改修工事始めたらしくて……終わったのがちょうど一年前くらい?」
神谷の横で草むらに腰を下ろしている光空は、小学校を卒業するときに伝え聞いたことを口にする。
「それにしても変わりすぎだよね。ほとんど全部建て直しじゃん」
もうひとつ投げ込む。
二人とも、見た時には言葉を失ってしまった。
何年も通った学び舎が変わり果てた――と言いたくなってしまう程度には変わりすぎていた――姿になっているというのは、思ったよりもショックだった。
校舎が建て直され、とても新しく綺麗になっていたことも、寂しさを助長した。
それだけあの学校で過ごした時間が楽しかったのだ。
「昔さ、陽菜が逆上がりできなくて」
「うん」
「二人で体育のテスト前日に練習したことあったよね。あの時の鉄棒も新しくなってた」
「うん」
ぽちゃん、と神谷が投げ入れた小石がまたひとつ川底に沈む。
「野菜を育てた畑も、花の種を植えた花壇も、全部無くなってた」
「うん」
光空の相槌に合わせるようにして、またひとつ。
「あそこには、いっぱい思い出があったんだよね。ずっと思い出さなかったくせに、無くしてから大事だって気づくんだ」
そう言って唇を引き結ぶ神谷の横顔を見ながら、光空は内心少し喜んでいた。
あの日々を、神谷も大事に思っていてくれていたことが嬉しかったから。
ただ、それでも悲しそうな神谷を見るのは少し嫌だ。
「でも体育館だけは改装されずに残ってたよね。なんであれだけそのままだったんだろ」
それを聞いた神谷が少し吹き出す。
「意味わかんないよね! あれだけ古くて浮いてた。もう一緒に建て直してあげてよって!」
「あの中覗いたらさあ、小5の時沙月が蹴り上げたボールがまだ天井に挟まってんの! 負の遺産!」
二人でしばし笑い合う。
体育館ひとつだけが当時のままという違和感が面白かったのもそうだが、残っているものがあるというのが嬉しかった。あそこにも思い出が詰まっていたから。
ふう、とひとしきり笑った光空は息をつく。
何度も石を投げられ揺らいでいた川面は、いつの間にか凪いでいた。
「……私たちも変わったよ」
「陽菜……?」
光空はおもむろに立ち上がる。その拍子にズボンについた雑草がぱらぱらと落ちた。
「私も沙月もあの時とは違う。出来ることは増えたし、逆に出来ないことも増えた。身体も大きくなって……大きく……えっと」
「そこで言い淀まないでよ! ちょっとは成長してるよ!」
不満を叫ぶ神谷。
ごまかすように光空は咳払いをする。
「と、とにかく。変わったところはいっぱいある。けど私が言いたいのはそういうことじゃなくて」
「変わらないこともある、でしょ?」
神谷が引き継ぐ。お互い、考えは同じだった。
昔と今。同じ学び舎で過ごし、同じ経験をした二人は再び同じ地点にいる。
「わたしも陽菜もきっと、いいところや悪いところは変わってない。根っこの性格もずっと同じ」
月日が経とうとも、変わらないものがあるのだと。
「だからわたしたちが友達なのも変わってない」
「そうだね。会えない間も、再会してからも……ずっと友達だった」
今、この瞬間において、二人の心は完全に重なっていた。
「これからも一緒にいてね。いつまでもわたしの特別でいて、親友」
「……うん!」
昔、光空が願っていたこと。
神谷沙月にとってのただひとりになれたら――そんな想いが今、ここで結実した。
年月は様々なものを変える。
場所も、人も。
だが、この想いだけは変わらないのだと、神谷沙月と光空陽菜の二人は強く信じていた。
翌日、放課後。
石灰で引いたスタートラインにつく。
心臓の鼓動は少し速め。緊張してるのが自分でわかる。
100m先のゴールラインを見る。何度も何度も走ってきた道。挫折しかけた道程。
しかし今は不思議と恐怖は感じない。むしろわくわくしてる、かも。
視線を感じる。
部活の面々がこちらを見ているのが分かる。
大丈夫だよ。心配いらない。
マネージャーがホイッスルを咥える。
それに合わせてスタートの体勢を取る。
すると、
「がんばれ陽菜ーーーーーーっ!!」
グラウンドを囲む金網の外側。
声はそこからだった。
私の親友が、沙月の姿が見えた。
私たちがいるのはグラウンドの外と内。
だけど、例え何かに隔たれていようとも、想いは届く。
中学の時の私が沙月との思い出に支えられていたように。
甲高いホイッスルの音とともにスタート。
背筋を伸ばし、脚を交互に前に出す。
どこまでも行けそうな、そんな気がした。
久々の全力疾走は空を翔けるような心地だった。
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