16.プラウ・メモリー
機械の狼――プラウを目の前にして、神谷沙月という少女は笑みを浮かべていた。
恐怖でおかしくなってしまったのか。
本人にもわからない、しかし後から後から湧き上がってくる感情が胸を満たす。
「はあっ!」
身体の内に広がる熱を吐き出すように叫びながら、アスファルトが砕けんばかりの力で踏みしめ、一息のうちに距離を詰める。
さっきと全く同じ。同じことを繰り返せば、同じ失敗を繰り返す――それをわかっていて、神谷はその行動を選択した。
振り下ろした拳が狼のプラウを捉える直前、その瞳が緑色に閃き、雷のごとき速度で一瞬にしてその場から姿を消す。
ここまでは全く同じ。だがここからが正念場だ。
拳を振り切ったことで崩れた体勢を無理やり引き起こし、全力で身体を捻る。
すると肩に痛みが走る。狼の爪が肩をかすめた――そのことが見なくてもわかった。だがさっき食らったものほどの痛みではない。
すかさず身体を捻った勢いを利用して回し蹴りを食らわせようとする。
だがそれもまた空を切った。見れば五メートルほども離れた場所に狼のプラウは佇んでいる。
再び稲妻と化し瞬く間に距離を取ったのだろう、と神谷は推測する。
「ほんっ……とに速いなあ……!」
切り裂かれた右腕がじんじんと痛み熱を持っている。最初にやられた背中からも、少なくない量の血が流れだしている。致命傷とまではいかないが、それでも無視できないレベルのダメージだ。
対して向こうは完全に無傷。未だかすりもしていない。
だが、神谷には傷を増やしてでも確かめたいことがあった。
まずひとつ。
あのプラウは、同じ行動をとれば、同じ行動で返してくるのか――それこそ機械のように――という推測を確かめるため。
自分から攻撃することは無く、相手の行動に対してカウンターしてくる――そんな印象をもった神谷は先ほどと同じ行動をとることでそれを確かめた。
そして推測は的中した。それだけではなく、
「カウンターへの対応も不可能じゃない」
背後からの不意打ち――避け切ることはできなかったが、直撃は避けられた。パターンさえ分かっていれば反応できないわけではなかった。
そして確かめたかったもうひとつ。
それは雷のごとき、目にも止まらぬ高速移動……いや、高速機動――その予備動作。
あれほどの速度、全くのノーモーションで繰り出せるとは考えにくい。
生き物だろうと乗り物だろうと、走行の際トップスピードに達するには助走、ないしそれ以外の要素が必要になってくるからだ。
足運びでも、たとえ身じろぎ程度でも。常識外のモンスターとは言え、この世界がある程度現実に則っている以上は動作が必要だと考えた。
そしてその考えは正しかった。
「あいつは、高速機動するとき必ず瞳が緑色に光る」
最初に突進してきた時も。一瞬で背中に回られた時も。そして今さっきも。
高速機動の直前には必ず肉食動物よろしく頭の前面についた一対の瞳――それが緑に光っていた。
これで必要な情報は集まった。
静かに構える。それと同時に神谷の四肢から白い光が迸る。
「絶対攻略してやる」
法則は掴んだ。
予兆もわかった。
だが。
「あと一歩が届かない……ッ!」
飛びかかる。かわされる。ここまではいい。
しかし背後からの攻撃にカウンターを入れることができない。
回避されたことで崩された体勢ではどうしても間に合わないのだ。
だからといってゆっくり歩み寄ってみても、
「あっぶな!」
瞳を緑色に輝かせ、雷の速度で正面から迎撃してくる。これではカウンターどころではない。予兆が分かったとはいえ回避が関の山だった。
(どうしたらいい!? どうしたら……!)
速度が足りない。手数も足りない。
せめてもう一人仲間でもいれば――そんな考えが頭をよぎるが、かぶりを振ってすぐさま追い出す。
こんな危険なことに他人を巻き込めるはずがない。
そう考えながら何度も攻撃を試すが、ことごとくいなされ、そのたびに全身に生傷が増えていく。
ぜえぜえと肩で息をする。相手から攻撃してこない以上、体力の回復に努めるという手も考えたが、傷から流れ出る血がそれを許さなかった。
だが。
「少しずつだけどついていけるようにはなってる……はず」
攻撃のたびにわずかではあるが精度は上がってきている。
迎撃への反応速度。カウンターの精度。
それらがあのプラウに追いつきつつあることを肌で実感していた。
戦い方がワンパターンなのは神谷自身も理解している。
ただ彼女は普通の女子高生に過ぎない。実戦経験などない。
だから地道にできることをひたむきに詰めていくしかない。
どれだけ難易度が高くても、諦めずに繰り返し挑戦し続けるうち、身体が敵の行動を覚えていく。最適化される。
そうしていつかはクリアできる。
神谷はゲームをプレイするとき、いつだってそんな風に考えていた。
たとえ貰える経験値が1しかなくても、それを無数に繰り返せばいつかはレベルがカンストにたどり着くように。
相手がゲームに登場する敵キャラのように機械的な行動しかとらないからこそ通用する戦法だった。
そして――もう何度目になるだろうか。
神谷は再び機械の狼へと距離を詰める。
右の拳を握りしめ、頭部に向かって振り下ろす。
ここまでの動きすら洗練されている。
できる限りアクションを小さく、次の行動に対応できるように。それでいて、回避を強制するレベルの威力と速度は損なわず。
プラウの瞳が緑に閃き、稲妻の尾を引いて視界から消える。
どこに移動したかは既にわかっている。
鋭い爪を持つ前脚を、どの角度で突き出してくるかもわかっている。
ならばそれに追いつくように動けばいい。
左足を軸に、前のめりになった身体を回転させる。
視界の端に着地した狼が見えた。
完璧なタイミング。
あとは右足を振るえば捉えられる。
(追いつい…………)
ガクン、と。
膝が力を失った。
「あ、」
時間が、止まった気すらした。
神谷は完全に追いついていた。
このままなら完璧なタイミングのカウンターが機械の狼を捉え、勝利していたかもしれない。
(体力――失血――)
そんな言葉が頭をよぎった。
だがもう遅い。
すでにプラウは攻撃の体勢に移っている。
銀色の爪が、今にも、神谷の、身体を――――。
(死……)
その直前。
一瞬にして神谷の意識は彼方へ遠のき。
同時に彼女の瞳の色が、黒から金に切り替わる。
左手を開く。纏った白い光が渦を巻く。
「プラウ・ワン――
『それ』は神谷によって打ち砕かれ、吸収されるとともに彼女の身体に
主の呼び声に呼応し、『それ』は再び顕現する。
そして。
『それ』は数センチのところまで迫っていた機械の狼を。
少女の命に届くはずだったその爪を。
横殴りに、いともたやすく吹き飛ばした。
神谷は何事も無かったかのように着地する。
金色の輝きを放っていた瞳はいつの間にか黒へと戻っていた。
「あれ……今、わたし……」
不思議そうに自分の手を見つめる。
なにか、夢でも見ていたような――動く自分を三人称視点から眺めているような感覚だった。
ともあれ助かったことに安堵の息を漏らしながら顔を上げた神谷の視界に、『それ』は映った。
ごつごつとした褐色の岩肌に、神谷と同じくらいの大きさを持つそれは――まごうことなき、ゴーレムの左手だった。
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