二重思考(  )

私のお叔父はじゃがいもが食べれなかった。私の年齢が低かった頃には全く理解ができなかった。あんなに美味しい食べ物を嫌いなんてもったいない、なんて思ったときもあった。その後、嫌いな理由がわからないままお叔父は私が10歳の時にこの世を去った。

月日が流れ、私が18歳の誕生日を迎えたとき、父からとある事実が告げられた。

 お叔父はシベリア抑留で強制労働され、そこから帰還した日本軍の一人であった。もちろん、昔のときの自分とは違い歴史にはある程度知識があった。シベリア抑留が何なのかも基礎知識ぐらいは理解していた。しかし、そこにお叔父がいた事は知らなかった、ましてや第二次世界大戦の日本軍の一人であった事すら知らなかった。父はロシアを「卑怯者だ」と告げていた。もちろん、自分の父が強制労働などどっかの国でさせられていたら、激怒するかもしれない。しかし、私はロシアを恨んだり、卑怯者だと思ったりすることは決してなかった。寧ろその国に興味が湧いた。

「卑怯だったのは日本軍だって一緒だし、ソ連軍もアメリカ軍も卑怯だったと思う。でもそれは戦争がだから。ソ連が日ソ不可侵条約を強制的に破棄し、日本に攻めてきたもも卑怯かもしれない、でも日本軍もパールハーバー(真珠湾攻撃)のとき卑怯者扱いされてしまった。たとえ連絡が遅れたからとか関係なく卑怯者扱いになってしまう、過去は過去であり今は違う。」

こんな性格、考えの私を父は一人の意見として受け止めていた。

「今それぞれの国が変化している。ソ連はロシア、大日本帝国は日本、ナチスドイツはドイツに。過去は過去、今を生きなければやっていけん。」

自分の性格については深く理解していた。物と物を比べたがるのをとことん嫌う性格は、数々のゲームによって生み出された性格なのかもしれない。ジョージ・オーウェルが書いた「1984」でダブルシンク(二重思考)という考えに影響受けたのかもしれない、実際に二重思考を行うことは不可能に近いが似たような考えを行っている。そのもの自体一つの経験とし、また別のものを良いと考えるようになり基本すべて肯定できるようになった。必ず一つではなく平等に生きていく、ある意味ロシアの社会主義国家にも似ているかもしれない。ソ連を憎まずにいるのはある意味この比べたがるのを嫌う性格のお陰なのかもしれない。

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記憶に潜んだ憎しみの争い 茉莉花茶 @UKkeynine

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