第七章 ひとときの幸福 昭和14~16年(1941)
帰還当日、国鉄の原町田駅は小学生、女学生、町役場、各種団体の人たちでごった返していた。その中に、近所の娘に手を引かれてカスリの着物と駒下駄姿で出迎えに来た小さい男の子がいた。数え年4つになった通晴だった。
家に入ると祖母が真っ先に抱きついてきた。みんな本当に待ちに待っていたらしい。お袋は、朝晩お灯明をあげて、無事の帰還を祈っていたのだという。
タキが見るからに農家の嫁らしくなっていたのには驚いた。近所の人や親類の男たちが農作業をよくやってくれたそうだが、最近は下手だけれど毎日畑に行っているという。通晴に手がかからなくなったからと、笑っていた。
「さて、俺も明日からは再びこの家の大黒柱に復活だ!」と、夜の祝宴で叫んだ。そして翌日から猛然と動き出した。
留守中世話になった人たちへの挨拶まわり、荒れている家の中の修理、遅れてしまった秋の野良仕事などが一段落したら、もう年末に近かった。
こうしている間でもやはり国際情勢が気になる。近所でまだ誰も持っていないラジオ(ナナオラ・スーパー)を買い、中断していた新聞(東京日々)を取って、ニュースをみんなに解説してやった。
中国戦線が泥沼化しているうちに、ヨーロッパ情勢が険悪となり、日本と同じ侵略国のドイツはソ連と、イタリアはアフリカ戦線でフランスやイギリスと戦斗状態に入っている。日本に対しては、アジアの植民地を守ろうとするアメリカ・イギリス・フランス・オランダなどが、中国からの日本軍撤退を迫り、これに対して日本の松岡外相が国際連盟脱退を宣言した。そのため、各国ともに経済封鎖を通告してきた。
このため翌年からは、ゴムや石油、羊毛などが全く輸入されなくなり、一部では第二次世界大戦になるのではないかと噂され始めた。
いずれ、遅かれ早かれ、俺も再召集されるだろうか。今度は中国でなく、東南アジアの方へ行かされるような気がする。今のうちに家の基礎を固めておかなくてはならない…。
昭和15年(1940)正月、俺は横浜市新子安の「全国購買連合会」に就職した。農業会の購買事業が連合した全国組織であり、政情不安の中でこれほど安定している勤め先は少ない。仕事は一昼夜交替の警備員で、特に戦地帰りの中年を望んでいたことから、面接1回で採用された。週3回出勤して、徹夜で工場を警備し翌朝帰宅する。徹夜といっても当番でなければ眠れるから、その翌日は野良仕事ができる。しかも肥料が定価の半額で買える。正に一石二鳥だ。待遇もよくて、昇給が年2回、賞与は夏冬合わせて8か月分もくれた。
昭和15年暮れの我が家は、最も幸福だった。
俺が田畑に戻ったのと、肥料が充分なので、秋の収穫は近所の倍近い反収になったし、今まで手にしたこともない給料が入った。家族全員分の衣類や家具を新調しようと思ったが、あいにく配給制度になっていたからやむを得ず、「いちり貯金」の口座をいくつも作り、残りを無尽組合に投資した。
明けて16年(1941)2月に、タキが女の子を生んだ。家中平和の喜びを満喫していた時だったから「和子」と名付けた。
ところが日本の運命は、平和どころか世界中を敵としてしまい、わずかに日・独・伊の三国同盟だけが頼りで、もはや近衛内閣には欧米諸国との新たな戦争を抑える力がない。いつ開戦になるかは時間の問題だった。
通晴が、近所の子と戦争ごっこをやるようになった。俺が戦地から帰ってきた頃は行儀が良すぎて、食事の時は正座して食うし、夜になると床の間を拝む、畑で焚火をすれば顔色変えて泣き出すという女の子みたいな状態だった。俺が意識的に木登りをさせたり、小川を飛び越えさせたりしているうちに妹が生まれ、男の子としての自覚が出てきたらしい。戦地でも、気の弱い男ほど敵に狙われやすい。もっと逞しく育てようと思う。
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