4.ユリーシャ・マーレイの相談室
エレノアたちが騒々しくも出ていくと、研究室にはスリカ・ヤヴォンだけが残った。
これは非常に珍しいことだ。
ユリーシャが見たところ、スリカ・ヤヴォンがジェフ少年に同行しないケースは滅多にない。あるいは、気づいたら姿を消しており、誰にも知られることなくジェフの傍らに控えていたパターンか。
ユリーシャは不思議に思う。
スリカ・ヤヴォンとジェフ・キャスリンダーの関係性は、どういうものか。まるで貴族の子女と、その家令――いや、それ以上の主従関係を連想させる。
スリカ本人に聞いてみたところ、
「猟師と猟犬のようなものです」
と、無表情で言い切った。おおよそ冗談を言っているとは思えない言い方だった。
(東部領域の貴族には、そういう主従関係もあると聞くが――)
スリカ・ヤヴォンはそちらの出身ではなく、《
霧深い西部と北部の山岳を旅して暮らす、氏族の一つだ。
ユリーシャはスリカと同じ
スリカは極端に無口で、求められれば成果は上げるが、それ以上のことはしない。ユリーシャも、あのエレノアですらコミュニケーションに困っていた――ジェフ・キャスリンダーがやってくるまでは。
だから、つい気になってしまう。
「珍しいな、スリカ」
ユリーシャは手元の書類に羽ペンを走らせながら、スリカの顔を横目に尋ねる。
「ジェフくんについていかなくていいのか?」
「
スリカは無表情に告げた。
「メリーなら、十分に役目を果たすでしょう。『宝探し』案件は彼女に任せます。この学園内の規模の脅威であれば、最悪、彼女が盾となれば
「恐ろしいことを言うな、きみは。いったい、その――」
「それよりも、ユリーシャ。相談があります」
ユリーシャが尋ねるよりも早く、スリカが一歩、距離を詰めてくる。ユリーシャを見下ろす形になる――長身のスリカからそうされると、奇妙な圧迫感があった。
「いま、舞踏会のことを検討していますね?」
「ん――ああ。そうだ。去年は私とジータで『舞踏』を踊ったが、散々だったからな……」
ユリーシャは悲惨な記憶を締め出すべく、眉間のあたりに力をこめた。とてつもなく不機嫌な顔になっているだろう、と自分でも思う。
「舞踏会まで、あまり日がない。今年はどうするべきか、考えなければ……。依然として我々が退学の寸前にいることは変わりなく、好成績を出す必要がある。そのためには」
「
スリカの声は、どこか命令しているような響きさえあった。そのくらい断固とした主張を感じた。
「それが最も高い評価を生み出すでしょう」
「いや待て、スリカ。きみの高い『変成』魔法の腕前はしっている。が、ジェフくんは、まだ、魔法の初歩を学びはじめたばかりで――」
「問題ありません。
スリカは力強い瞳でユリーシャを見つめた。
「本番までには、完璧な『舞踏』を完成させるでしょう。それに、身の程知らずに
「よ、予防策……か……」
あまりに大量の情報を与えられたので、ユリーシャは少なからず混乱した。
この少女、スリカは、どれほどジェフ・キャスリンダーという存在を重要視しているというのか。うすうす気づいていたが、彼女はかなり危険な思想の持ち主なのではないか。
「どうか、積極的なご検討を」
「あ――ああ」
ユリーシャはぎこちなくうなずいた。
「考えてみる。少し時間がほしい」
「はい」
思ったよりも素直に、スリカは頭を下げた。祈るような礼の仕方だった。
「宜しくお願いします、ユリーシャ。どうか賢明な判断を」
そうして、スリカ・ヤヴォンは研究室を退出した。
ユリーシャは眉間に皺を寄せたまま、羽ペンをもてあそぶ。その喉からは、やや苦しげな唸り声が漏れた。
「……どうしたものか」
――――
次に訪れたのは、メリー・デイン・クラフセンだった。
もう諦めて戻ってきたのか。それとも、エレノアたちの「宝探し」を途中で離脱したのか。
ユリーシャの疑問の視線を、彼女は敏感に察したようだった。
「何かよくわかりませんけど、エレノアさんに思いついたことがあるらしくて」
メリーは疲れたように、ユリーシャの斜向かいになるよう腰を下ろした。
「この学園って、隠し通路多いですよね?」
「まあ、そうだ。魔導的な仕掛けがいくつも施されている」
「その中でも、特定の時間帯にしか開かない道っていうのもありますよね」
それなら、ユリーシャもいくつかは知っている。
春の数日間にのみ開かれる《黄金庭園》を始めとして、ドリーヌ夫人の渡り廊下に《黒曜庭園》、ヘルガの船、噂としてのみ語られる《死者の監獄》。
いまだ見つかっていない隠し部屋もあるという。
「夜にだけ開く隠し通路に、エレノアさんは心当たりがあるらしいですよ。あの……地図? みたいなやつに描かれている『工房』の在り処」
「どうかな」
その点、ユリーシャは懐疑的だ。
エレノアはたまに発作的に今回のような行動を起こすが、成功した例はない。むしろユリーシャはその都度、ひどい目にあっている。
「夜に行動するなら――きみも行くのか、メリー?」
「いえ。ちょっと私、自習とかしないといけないし……っていうか、エレノアさんとミシェルさん、めちゃくちゃテンション高くて」
メリーは机に突っ伏した。
「一緒に行動してると、すごく……疲れるんです……」
「わかる」
ユリーシャは深くうなずいた。
「ともあれ、釘は刺しておくか。夜間外出で、妙なところに迷い込まれては困る」
「そうしましょう……」
メリーは机に伏せた姿勢のまま、首だけを動かし、ユリーシャの手元を見た。そこに記されている文字が気になったらしい。
「あの、ユリーシャさん。その書類。『舞踏会』ってなんです?」
「そういえば、まだきみとジェフくんには説明していなかったな。『舞踏会』というのは、この学園の行事の一つで、正式には
「え」
急に慌てて、メリーは顔をあげた。
「それって、あの、貴族とかが参加する、夜会的な……?」
「やや違う。『舞踏』と名はついているが、ここは魔女の学園だ。その流儀でやる」
古くから魔導士たちには、赤く輝く
感謝を捧げるためのやり方は、土地によって様々だ。
南部では己の血を少量、ワインとともに飲み干すというし、東部では歌を捧げるという。鉄の槍で生贄を突き殺さねばならない地方もあるらしい。
「我が校では、それまでの研鑽の成果を見せる。これを『舞踏』と呼ぶ」
ユリーシャは書類の一部分をペン先で示す。
「二人一組で魔法による決闘を演じるんだ。
ユリーシャは微笑する。多分に自嘲的な笑みだった。
「つまり、我々は《小遠征》の時と同様、無様な『舞踏』を見せられないわけだ。下手をすれば、退学もあり得る」
「えええ……」
メリーの顔色が青ざめていくのがわかった。
「あの、ユリーシャさんたち、去年はどうされたんですか?」
「私とジータという生徒で踊った。が、私は知っての通り本番に弱く――」
また嫌な記憶が蘇りかけ、ユリーシャは首を振って追い払う。
「――悲惨な結果だったよ。追及しないでほしい。だが安心してくれ、新入生を舞台に上げたりはしないさ」
「はあ」
メリーは生返事を返した。少し落ち着いたようだが、その表情はいまだに晴れない。
「ですよね。私が選ばれることはないだろうなって思ってました。ええ……わかりますから……昔からずっとそういうポジションでやってきましたから……。退学がかかってるなら、今年はまだ、遠慮しておきます……!」
「そう思うなら、その目つきをやめてくれ。怨念を感じる」
「これは生まれつきです。それより……ユリーシャさん。相談があるんですけど」
唐突な話題の転換に、ユリーシャは嫌な予感を覚えた。
この様子からして、もしや、最初からユリーシャにこの話をするために戻ってきたのだろうか。
そして、ユリーシャの予感は次に現実のものとなった。
「ユリーシャさんって、恋愛経験豊富ですか?」
「え」
「実はですね。私、かなり困ってまして」
「いや」
「ユリーシャさんって、いかにも頼れる感じがしますよね。実際、私より先輩だし……この前の《小遠征》でも、すごい助かりました」
「……どういたしまして」
「この話は、絶対に誰にも秘密にして欲しいんです。お互いの名誉にかけた約束ということで、宜しくお願いします」
「わかった……」
ユリーシャは困惑しながらもうなずいた。取り返しのつかないことに巻き込まれそうな気がする。が、このとき、「恋愛経験など、全くない」という一言が言えなかった。
だから結局は、メリーの『相談』を聞くことになってしまった。
「ジェフさんって、私のことを好きだと思うんですよね」
「そ」
ユリーシャはなんと答えるべきか、言葉を見失った。『そ』から続くべき回答を探す。
それは違うと思う。
それはどうだろう。
――どちらも相応しくないか。迷っている間に、メリーの話は進行している。
「なんとなくわかっちゃったんですよね。そう仮定すると、ジェフさんの様々な行動がわかってくるというか……でも、困ってるんですよ」
「あ、ああ……」
「ジェフさんの気持ちは嬉しいですよ。嬉しいんですけど、私、大魔導士になる器の持ち主で……いまは魔法の勉強のことに集中したいっていうか」
「うん……」
「恋愛してる暇とか、ないんじゃないかなって……どう思います? ユリーシャさん」
私に聞くな、とユリーシャは思った。
幼くしてこの学園に入学した以上、そのような経験はユリーシャにも乏しい。
ゆえに、どこかで聞いたような一般論を口にするしかない。
「学業と恋愛を両立させるのは、非常に難しい」
ユリーシャは呼吸を落ち着かせるべく、大きく息を吐いた。
「ましてや、同じ
「……ですよね」
メリーは引きつったような笑いを浮かべ、立ち上がった。
「ありがとうございます、ユリーシャさん。相談して、少し楽になったような気がします」
「あ、ああ」
ユリーシャはできるだけ自然に笑った。少なくとも、そう努力した。
「この程度でよければ、いつでも相談してくれ」
自分は何を言っているんだ、と、ユリーシャは思った。
――――
その日、最後の三番目に訪れたのは、ジェフ・キャスリンダーだった。
それはまったくの予定通りではあったが、その前にメリーの『相談』を聞いていたせいか、ユリーシャはひどく落ち着かない気分になった。
「すまない、ユリーシャ」
ジェフは灰色のマントから、筆記用具を引っ張り出した。机の上に乗せる。
「少し遅れた」
「いや――構わない。が、珍しいな」
ユリーシャはあえて自分の書類から目を離さない。横目でだけジェフを観察する。特に何も変わらない。いつも通り、鉛のような無表情だった。
「きみが時間に遅れるとは。また迷ったのか?」
「違う」
ジェフは即座に否定した。
徐々にわかってきたことだが、この少年は無表情なだけで、それなりに感情の起伏はある。それはこちらの問いに対する、応答の速さに表れるらしい。
「『宝探し』の件について、タイウィン・シルバに報告しようと思い、学長室に寄った。ヴィルマの封印物だった場合、危険なことになる――が、無意味だった。彼は長期出張中らしい」
「そうか」
ユリーシャはため息をついた。
安心した。この手のエレノアの奇行を、逐次報告されてはたまらない。ただでさえ低いこの
「仕方がないので、こちらで対処することにした。俺とスノウで処理する。それより、ユリーシャ」
「わかっている」
うなずいて、ユリーシャは少し椅子をずらす。ジェフがその隣に座った。
「早速、授業を始めよう」
この『授業』について、相談を持ち掛けてきたのはジェフだった。
学園で教えている、魔導以外の基礎知識について、彼は驚くほど無知であった。特に、地理学。歴史学。紋章学。印刷術。世間一般で常識レベルの知識すら持ち合わせていなかった。
卒業に必須となるこれらの分野について、ジェフも補強の必要性を感じていたらしい。
ユリーシャに個人的な師事を求めてきた――といえば大げさだが、事実、ジェフ・キャスリンダーの物言いはいつもそのくらい大げさだ。
それからユリーシャに用事のない日は、ほぼ毎日、こうしてジェフの勉強を手伝っている。
他のメンバーには極秘で、というのがジェフの願いであり、ユリーシャはそれを了承した。どうやらジェフ少年も、世間一般の知識すらないということが不名誉であり、あまり知られたくはないように思えた。
(やはり、彼にも感情の動きはある)
ユリーシャは思う。
(ただ単に、わかりにくいだけだ)
「それでは、お願いする」
ジェフは深く頭を下げた。
「今日は王国史を頼みたい。帝国との戦後処理から。昨日の続きだ」
「わかった。まずはきみの理解度から確認しよう。軍閥貴族は知っているか?」
「貴族……」
腕を組み、ジェフは唸った。
「軍閥」
「知らないなら知らないと言ってくれ」
ユリーシャは思わず吹き出してしまった。
「考えても知らないことは答えられないだろう?」
「確かにそうだ。軍閥貴族のことは、知らない」
「では、そこから始めよう」
教科書代わりの資料を広げながら、ユリーシャは動揺している自分を認識する。理由は明白だ。先ほどスリカとメリーから聞かされた、『相談』の内容。
(どうしたものか)
ユリーシャの眉間に、今日もっとも深い皺が寄った。
このことがスリカとメリーに露見した場合、とんでもなく剣呑な事態になるのではないか。
(だが、それ以上にまずいことはある)
どういうわけかユリーシャ自身、この授業の時間が楽しみになりつつあるということだ。
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