14.破壊と火焔
「活性」
呟くと同時、ユリーシャの放った魔法は、速やかに効果を発揮した。
「射出」
雷が大気を貫き、正面を駆けるトロールの胸を射抜く。
正確な一撃――だが、致命傷にはなっていない。
崩れ落ちる寸前で、踏みとどまっている。トロールは痛みに体を丸め、長い腕で八つ当たりのように地面を叩いた。
「えええ」
メリーが気持ち悪そうに呻いた。
「ちょっと、あの、タフすぎません? あんまり効いてないような……!」
「相手は成体だ。体内にため込んだ魔力価が高く、阻害現象が起きている」
ユリーシャはほとんど動じることなく、杖を握りなおす。
「単純な魔法は、大きく威力が減少する――私の苦手な相手ではある。が、こちらにはエレノアとスリカがいる」
よろめいたトロールの左右を追い越す形で、さらに二匹。
飛び掛かってくる。
これで合計三匹だった。地面を揺らすような足音をたてて跳ね、槌のように肥大化した拳が振り回される。ユリーシャの魔法は、そこに突き刺さった。
「活性――射出」
瞬時に二度、雷が走る。巨体がよろめき、動きが止まる。
「エレノア、スリカ!」
「はい、了解」
まだ十分に距離があるうちに、エレノアは快活に答え、右腕を持ち上げた。
その手が、強く拳を握りこんだ――そう見えた瞬間、右のトロールの首がへし折れた。何かを飛ばしたのか。よく見ていなかったジェフにはわからない。
棍棒か何かを思い切り叩きつけたような、強力で湿った衝撃音が少し遅れて響く。こうなってしまえば、成体のトロールでも一たまりもないらしい。そのまま前のめりに倒れ込んでいる。
残りの二匹は、無言で跳躍していたスリカが決着をつけた。
銀色の髪が流れ、閃くような速さで二度。ジェフの目はその影を捉えた。スリカの両腕が、猛禽の鉤爪に変化し、遠心力をつけて振り出された。
トロールたちの首がほとんど同時に裂け、血が迸り、そのまま倒れた。
「うわあ……」
メリーが一歩、後退した。何か恐ろしいものを見る目で、どちらかといえばエレノアを見つめていた。
「なんていうか、エレノアさん。いまの……あの……その籠手、かなりえげつない武器なんじゃないですか!」
「そうだよ。頑張って作ったからね」
笑って、エレノアが右手を開閉すると、メリーはびくりと肩を震わせた。ぎこちなくジェフを振り返って、すがるような視線を向けてくる。
「あのう、ジェフさん。エレノアさんって、実は割とヤバい人なのでは……?」
「そういえば」
初日に、彼女と遭遇したことを思い出す。あの籠手だけでなく全身甲冑を身に着けて、何かの実験をしていたらしい。
籠手だけでも、いまの威力だ――あれを見るに、本格的に失敗したときのリスクも非常に高いものだったのだろう。あの程度で済んだのは幸運だ。
「まだ完成じゃないんだよ。これね、この《
エレノアは、どういうわけか嬉しそうに言う。
こうした道具の説明をするのが、一種の喜びなのかもしれない。
「いまのところ、動いてる相手に当てたことないんだよね。改良の余地あり」
「だろうな、それは私がカバーする。そして、スリカもいる」
ユリーシャは油断なく杖を洞窟に向けていた。
まだまだ、洞窟からはトロールたちが走り出てくる。
「《
スリカは一人、地面に両手をつき、荒っぽく息を吐いた。
「御手を煩わすこともありません、すぐに一掃します」
一度、大きく体を沈め、また動き出す。獣のような俊敏さだ――ジェフは何度か見たことがあった。
スリカは入れ墨として刻まれた《しるし》で、自身を限りなく獣に近づける。
鉤爪と化した両腕だけではない。筋力を始めとした身体機能の数々が、人間のそれを大きく超える。ジェフのものとはまた別の発想、肉体を獣に変化させるという強化の方向性だった。
「ウ――」
スリカの喉から、獰猛な唸り声が漏れた。
「ウゥッ」
地を這うように走る。
この状態になった《
スリカが跳ぶと、トロールの首から、腹部から血が噴き出す。拳を振り回しても、銀色の髪にすら触れられない。
「よし。耐えられそうだ――スリカの魔法がここまで強力だったとは。助かったな」
ユリーシャは杖を振るって、また雷を飛ばす。
「エレノア、援護だ。メリーとジェフは動くなよ」
トロールの突進は勢いがあるが、そう俊敏というわけでもない。雷撃で動きを止めてしまえば、なおさらエレノアのいい的だった。
「洞窟の出口で止めたい。太陽に怯んだところを狙おう」
「はいはい」
ユリーシャの指示に、エレノアが応じる。スリカが彼女らへの接近を阻む。結果として、戦いは優勢に推移し始めていた。
「お、おおっ」
メリーは感嘆の声をあげた。
「み、みなさん、実は結構……っていうか物凄く強いんじゃないですか……? トロールたちをバッタバッタと! わ、私も手伝わないと! 一人だけ何もしてないことになってしまう予感!」
杖を構え、『衝撃』のコードを組み上げるメリーを横目に、ジェフは強い違和感を覚えている。
それは「なぜ」ということだ。
(明らかに、トロールたちの戦力が足りていない)
この無意味な突撃を、あと何度繰り返すつもりなのだろう。
(スリカが言っていた。トロールたちの狙いは俺たちだ。ということは、何者かが指示している)
指揮官は何を考えているのか――この突撃の繰り返しで、魔力価の消耗を狙っているのだろうか。洞窟がトロールたちの死体でふさがるまで続けるつもりか。
(可能性があるとしたら――)
ジェフの頭は、竜を想定とした戦いにのみ向いている。
ゆえに、常に最悪の場合を考える。このとき、ジェフはそれをした。
(目的は、時間稼ぎだろうか)
すぐにその結論にたどり着く。
(つまり――竜が来るまでの)
その予想は、奇跡的なことに、ほとんど的中していた。
警戒すべきは、背後。
「ユリーシャ!」
ジェフは警告しようとして、少し遅れた。防御の動作が間に合ったのは、すでに警戒態勢になっていたジェフだけだ。スリカはどうだっただろう。
後になってこの瞬間のことを思い出そうとしても、覚えているのはメリーのあげた怪鳥のような悲鳴だけだ。
「ぎいいいい―――ええええええ!」
背後に影がよぎった。
翼ある影だった。
ジェフは断崖にそれが舞うのを見た。赤黒い鱗に覆われた巨体。鉄のような角。蜥蜴の頭部――ジェフの倍以上はある体躯――翼を広げていると、余計に大きく見える。
牙の生えそろった顎が開き、嵐のような咆哮が響いた。
そして、それと同時に衝撃。
原始的な魔法だ、と、ジェフはそれを認識した。力を発生させ、周囲のものすべてを無差別に攻撃する。稚拙で単純な『破壊』のコード。
しかし、威力はある。
少なくとも、それに反応して振り返りかけたユリーシャたちと、トロールたちを同時に吹き飛ばすくらいの威力は。
「メリー」
ジェフは傍らの少女を抱きかかえた。
「俺に掴まれ。離すな」
その指示が間に合ったのか、どうか。首筋に巻き付く腕の感触だけは覚えている。
(なるほど)
メリーを抱きしめ、ジェフは地面を転がりながら思考する。
(このために、時間を稼いでいたのか)
寸前で、防御反応が間に合った。胸のあたりが熱く感じる。魔法の《しるし》が起動しているせいだ。衝撃を軽減し、体内への浸透を防ぐ、『保護』の《しるし》。
ほとんど無傷で起き上がれる。
咄嗟に周囲を見回す。ユリーシャもエレノアも、辛うじて受け身を取ったようだ。スリカの姿は見えない。すでに起き上がり、動き出したのか。
「そんな……なんです、あれ……」
メリーは、いまジェフの首にしがみつき、負傷は見当たらない。顔色は蒼白だが、健康に影響はないだろう。
「――馬鹿な」
ユリーシャが、地面にうずくまりながら呟く。
「これは、竜、か?」
翼ある赤黒い異形は、空に向かって咆哮をあげながら、断崖の縁に降り立つ。翼が広がり、強い風を生んだ。
(いや。違う)
と、ジェフは声に出さずに断言した。
(竜じゃない)
ジェフにはそれがわかる。いま、眼前に存在する異形の正体について。竜ではない。ジェフの目は、その生き物に与えられた
とてつもなく強力だ。トロールたちとは比べることすらできない。峡谷すべてを覆うほどの、莫大な魔力価の奔流。
だが、違う。
決定的に違うところがある。
竜と呼ぶには、何もかも少しずつ足りない。
「これは、ワイバーンだ」
ジェフは言った。また自分でも知らぬうちに掴んでいた、黒檀の杖から手を離す。
「竜じゃない」
こんなものが竜であるはずがない。その呼吸で森を焼き払い、その瞳で生命を死に至らしめる。竜とは、そういう存在だった。
そういう存在のみが、ジェフ・キャスリンダーの好敵手となり得た。
「こいつは、竜の成り損ないだ」
だから、魔法は使えない。
祖父とタイウィンとの約束を、破ることはできない。
――――
《秘匿騎士》フレッド・アーレンは、観察する。
峡谷の斜面に潜み、十分な距離をとって、その少年の一挙一動を見逃さない。
(なんだ、あいつは)
見た瞬間に、背筋が凍った。
膨大な魔力価。いったいどれほどの代償を支払い、どれほどの鍛錬を重ねれば、あんな人間が――いや。あんな生き物ができるのか。
(強いな。強すぎるくらいに、強い)
内心で、《魔人》ダーニッシュと比べている自分がいる。
不遜なことだと戒めるが、それでも恐怖を禁じ得ない。
正面から、彼の前に立ちたくない。そのことを考えると震えが走る。だからトロールたちをけしかけながら、時間稼ぎと観察にすべてを費やした。
(どうすれば対抗できる?)
あれが学園の「秘密兵器」に違いない。なんとしても排除すべきだ。旧帝国の生存のために。
考えた結果、有効と思われる対策は一つだけだった。
(暗殺か)
イーリオン――彼が手塩にかけて育てた竜との戦いになる。
それであの少年を殺せればよし。
不可能ならば、隙をついて魔法を撃ちこむ。それ以外に、勝機を見いだせない。そう思わせるだけの圧倒的な魔力価が、その少年の内部に渦巻いているのがわかる。
(チャンスが一度でもあれば――俺の魔法は素早く、正確で、強力だ。やつには防御する暇を与えない)
フレッドは茂みの中に身を隠す。
(逃さない)
神経を研ぎ澄まし、フレッドは必殺の魔法の
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