6.紅玉庭園

 ダルハナン・ウィッチスクールの夜は、更けるのが遅い。

 学園全体に輝帯シトと呼ばれる魔法照明器具が配備され、主要な施設を照らしているためだ。夜間、自主的な訓練に励む学生は多い。


 とりわけ賑やかなのは、《紅玉庭園》と呼ばれる一角だった。

 かつては魔導騎士たちが修練場として使っていた区画であり、彼らの流す血が石畳を赤く染めていたことから、そう呼ばれるようになったという。

 そして訓練場の役目は、いまでも変わっていない。


 ジェフがそこに足を踏み入れた時も、二十名ほどの学生が杖を振るって訓練をしていた。

 壁に縫い止められ、あるいは柱に巻き付けられた輝帯シトが、彼女らの姿を照らしている。ジェフの姿に気づくと、庭園にはざわついた空気が広がり、いくつかの視線がジェフに向けられた。


「――注目されていますな、若」

 肩のスノウがささやく。わざとらしいくらいの小声だった。

「そんなに珍しいんですかね?」

「いや」

 表情を変えることなく、ジェフは足を進める。

「どちらかといえば、スノウ。俺よりお前の方が、よほど珍しいと思う」

「あ、もしかして、わかっちゃいますか? これだけ抑えていても、やっぱり大物の気配ってのは伝わるもんですねえ」


「そうだな」

 うなずいて、ジェフは一つ釘を刺しておくことにする。

「だから、他の使い魔たちには優しくしてやってくれ。ずいぶん怯えていた」

「そいつは心外だ。売られた喧嘩を買っただけ――ですが、やりすぎましたかね」

「強い力を持つ者は、相応の責任を持つ。俺も気を付ける」

「若にそれを言われちゃあ敵いませんな」


「よし」

 ジェフはうなずいて、指先でコーンのかけらを弾いた。空中に飛んだそれを、スノウが器用に嘴で受ける。

「おっと――こいつはつまり、私に静かにしてろって意味で?」

「頼む。俺は練習をする。竜殺し以外の、もっと小規模な魔法を自在に使えるようになれば、大きな戦力になれるはずだ」

 力のコントロール。抑制。それが最重要の課題だと、ジェフ自身も痛感している。

「俺がいままでやってきたことと、真逆のことだ。容易いことだとは思っていない」

「その道のりは、私見ですが、ずいぶん悠長に思われますがね」


「やれるだけのことはやる。だからしばらく、黙っていてくれ」

「はい、はい」

 スノウは翼を広げ、飛び立つ。

「散歩してきますよ。なんなら、あのひ弱な使い魔のお坊ちゃんたちに謝ってきます」

「そうしてくれ」

 スノウの飛翔を見送って、ジェフは庭園の片隅、石畳の上に腰を下ろす。黒檀の杖を目の高さに掲げる。

 やるとすれば、まずは、影の修練。初歩から始めるべきだ。

 青ざめた輝帯シトの光が、ジェフの影を地面に薄く投げかけていた。集中する。ジェフが呼吸を整えたとき、不意に影がもう一つ増えた。


 足音。呼吸――それから声。

 ジェフにも聞き覚えのあるものだった。顔をあげれば、思った通りの少女がそこにいる。

 ユリーシャ・マーレイ。


「――ジェフ・キャスリンダー」

 彼女は昼間とまったく変わらない、硬質で生真面目な声で彼の名を呼ぶ。

「感心だな。夜間訓練か」

 その言葉とは裏腹に、ジェフを睨む目は鋭すぎる。ある種の敵意すらこもっているのではないか、とすら思う。


「俺はまだ拙い」

 ジェフは立ち上がらずに応じる。すぐに訓練に戻るつもりだった。

「影の修練から始める。できるまで続ける。当然のことだ」

「そうか」

 ユリーシャは大きく、ゆっくりと息を吐いた。これはジェフもたまにやる。何かを抑え込むような呼吸だった。

「――その前に、私は、きみに質問がある。答えてもらいたい」


「何でも聞いてくれ」

 ジェフは即答する。

「仲間の質問だ」

「――仲間か」

 ユリーシャはわずかに顔をしかめた。また一度、ゆっくりと息を吐き、続けている。

「ならば、聞いておこう。なぜきみは、この学園に入学した――いや。できたんだ?」


 質問の意図がつかめず、今度はジェフもすぐに答えられなかった。ユリーシャはさらに言葉を重ねている。

「きみのように――未熟な技量の者が、どうやって入学することができた? 学園長がきみの入学を特別に許可したと聞いた。メリーのこともだ。それはなぜだ?」

 徐々に早口になり、声も大きくなる。

 周囲の視線が、余計に集中してくるのを感じる。


「はっきり言おう。そこには――なんらかの不正があったのではないかと、私は考えている。男子がこの学園に入学を希望するケースは少なくない。有力軍人や、魔導貴族の子息が、特に。そのほとんどは下心が多分に含まれている。いままで、許可されたことはなかった!」

 ジェフはそのときようやく気付いた。

 ユリーシャは、自分に敵意を向けている。


「なぜきみが入学することを許されたのか。不正があったとすれば、私はそれを正したい。資格を持たない、不当な人物がここで学ぶことは納得できない」


 そうして、ユリーシャは杖をジェフの眉間へ突きつける。

「私は決闘を申し込む、ジェフ・キャスリンダー。私に負けたら、この学園を去ってくれ」

 周囲のざわめきが大きくなった。

 いまや《紅玉庭園》のすべての学生が、こちらに注目していた。


「やめてほしい」

 ジェフは真剣な目で、ユリーシャの杖を見つめる。

「俺はきみを手ひどく攻撃してしまう。未熟だからだ」

 これは、純粋でシンプルな戦術判断だった。

 魔法を禁じられているいま、体術でユリーシャの攻撃を捌くしかない。だが、その場合、ユリーシャに対して手加減ができないであろうことは想像できる。ジェフの見たところ、彼女は優れた魔導士見習いだ。


 だからジェフは心からユリーシャを心配した。それがまずかった。

「体術だけできみをあしらうなら、大きな傷を負わせてしまうかもしれない。それでは小遠征に支障が出る。同じチームとして」

 ジェフは頭を下げた。

「だから、すまない。きみとは戦えない」


「ふざけたことを言ってくれる……!」

 一歩だけ踏み込んで、ユリーシャはジェフの眉間に杖の先端を触れさせる。彼女は明らかに怒っていた。

「ならば、やってみればいい。このまま、私がきみを――」

 杖の先端から、火花がかすかに散る。

 電撃か。ジェフはその攻撃を受けることを覚悟した。彼女を傷つけるより、何倍もマシだ。


「――やめろ!」

 鋭く、澄んだ声が響いたのはそのときだった。

 こちらも聞き覚えのある声だった。ジェフは眼球の動きだけでそちらを見る。長身に、黒髪の少女。蒼白な顔で、こちらに近づいて来る。

 初日に出会った女子学生だ――コーデリア。メリーの話によれば、生徒会長だ。転ぶように駆け寄ってくる。


「ユリーシャ! 何をしている!」

 彼女はユリーシャの手を掴み、杖を強引にひっこめさせた。ユリーシャが驚くほどの、強い力だった。ジェフを一瞥し、その平静な様子に少しだけ安心したように息を吐く。

「彼は、その――新入生だ。決闘を申し込み、魔法で攻撃するなど、許されることではない」


「姉上」

 ユリーシャはどこか傷ついたような顔で、コーデリアを見ていた。

「姉上は、納得しているのですか。彼の入学には、不正がなかったと」

「そういう問題では、ない」

 コーデリアは言いにくそうに口ごもった。ジェフに視線を向け、何かを飲み込み、首を振る。

「とにかく――やめろ。彼と決闘など、バカなことはするな。彼は学園長が選んだ、我が校の正当な生徒でもある」


「そうですか」

 ユリーシャの声には明らかな失望があった。コーデリアの手を振り払い、背を向ける。

「姉上もそちら側というわけですか。生徒会長ですからね――ご苦労さまです」

 彼女が言い残したことは、それだけだった。足早に歩きだす。去っていくユリーシャの腕を、コーデリアは掴んで止めようとして、少し迷った。

 が、結局はそれを実行に移さず、ジェフの方を振り返った。


「ああ――ジェフくん。済まない。不快な思いをさせてしまったか?」

「いや」

 ジェフはその場に座ったまま答える。訓練に使う時間が惜しい。立ち上がる暇もない。

「好戦的で、勇猛な少女だ。同じチームメイトとして頼もしい」

「そ、そうだろうか」

 まだ何かを警戒しているように、コーデリアはジェフを見つめていた。


「では、その――きみが、魔法を使って決闘するようなことは、ないんだな?」

「ない」

 ジェフは断言した。

 生徒会長、コーデリアは、ジェフの魔法を知っている。あの夜、グリフォンたちを壊滅させたとき、彼女とラナはジェフの魔法を目撃した。

「我が友、タイウィン・シルバとの約束だ。竜殺しの魔法は使わない」


「ならば、よかった」

 ひとまず、その言葉でコーデリアは安心したようだった。顎のあたりに浮いていた汗をぬぐう。

「きみがその気になれば、私たちには止められない。慌ててしまったな。つい、あの子には甘くなってしまう――もう気づいていたかと思うが、ユリーシャは私の妹だ」

「……そうだったのか」

 当然のごとく、ジェフは気づいていなかった。改めて、もうかなり小さくなったユリーシャの背中を見る。夜の闇に溶けかけている。


「やや真面目すぎる傾向がある。それから、反抗期とでもいうのか――私に対して、なかなか言動が厳しい。しかし、いい子なんだ。いまの様子では信じられないかもしれないが」

 コーデリアの目は、何か辛いものを堪えているようだった。ジェフには、その正体が見当もつかない。

 考えているうちに、コーデリアは苦笑した。

「できれば、仲良くしてやってほしい。あれは友達の少ない子だ」


「ああ」

 そのことなら、ジェフにもよくわかる。

「俺も友達は少ない。できるだけやってみる――任せてほしい」

 そうして、ジェフは大きくうなずく。ついでに親指を立てた。

「協調性は、俺の得意分野だ」

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