4.復讐の亡霊
王都の夜は暖かい。
そして、日が落ちても明るかった。
繁華街では、いまだに人通りが途絶えていなかった。
危険すぎる試みだ、と、ジェフは思う。
空を飛ぶ竜の攻撃を受けたとき、夜の照明は格好の標的になるだろう。城塞のように、身を隠す堅固な壁もない。とても近づく気にはなれなかった。
そうした光も、ダルハナン・ウィッチスクールのある森までは届かない。闇が深く、濃く、奇妙なほど静まり返っている森だった。
ランプの小さな灯を頼りに、ジェフとメリーはその只中を歩いた。
「そういえば、ジェフさん」
歩く最中、メリーはやけに上機嫌で、しきりと話しかけてきた。彼女の場合、こうした暗闇の方が落ち着くのかもしれない。
「あの後、大丈夫でしたか? コーデリア・マーレイに連れ去られたじゃないですか」
「ああ」
ジェフもまた、夜の闇で五感が研ぎ澄まされているように感じる。
彼の場合は、ランプの光が無くとも問題はない。まったくの闇の中でも、十全に活動する訓練は積んでいた。
「忌憚なく現状を教えてくれた。親切な人物だったと思う」
「本当ですかあ? あのコーデリア・マーレイですよ? 私、あの人から執拗な嫌がらせを受けてまして……」
「そんな人物には見えなかった。具体的には、どんな嫌がらせを?」
「具体的には、っていうか、あの人の存在自体が嫌がらせですよ! ううううう」
低く呻いて、メリーは爪を噛んだ。
「成績優秀、容姿端麗、明るくて人望もあって……生徒会役員で……」
喋るごとに、爪を噛む力が強くなるようだった。
「おまけに奨学金ももらってるんですって! 私の入学も邪魔して、『私も教師陣に掛け合ってみるよう協力するから、無茶はしないでほしい』――ですって! 許せますか、これが!」
「その発言には、特に問題ないように思えるが」
「勝ち組の余裕と気遣いが、めちゃくちゃ私に突き刺さってくるんですよ! 私が学園に入学した暁には、生徒会長になって奴隷のようにこき使ってやりますから……! あの優等生め……!」
ひとしきり呪詛の言葉を述べると気が済んだのか、メリーは荒い息を吐いて止めた。
「すみません、荒ぶりました」
「若」
黒檀の杖の先に止まるスノウが、いよいよ不安そうな声をあげた。
「やっぱりこのお嬢さん、かなり危ない気がするんですがね。例の作戦なんですけど、本当に乗るんですかい?」
「いや、問題ない」
ジェフは深くうなずいた。
「とりあえず、多大な情熱は感じた。きみは凄いな」
「あ、ありがとうございます……ヒ、ヒヒッ」
感謝の念を示そうとしたのか、メリーはひきつったような笑い声をあげた。どうも王都に来てから、笑い方の下手な人間にばかり会っている気がする。
「でも、あの、ジェフさんは……なんで学園に入りたいんですか? あの、聞かれたくなかったら、別にいいんですけど」
「俺が必要とされているからだ」
ジェフの答えは簡潔だった。スノウがからかうように翼を広げた。
「さすが若! ご立派なお答え、私も感激しちまいますな」
「黙れスノウ。茶化すな。俺はジェフ・キャスリンダーだ。竜を殺すために魔法を鍛えた」
「え、あ……えっと、竜?」
メリーはジェフの発言内容を、ほとんど理解できなかったかもしれない。それでもジェフは気にしなかった。
「たとえ、竜が絶滅していたとしても」
メリーは自分の事情をすべて話した。包み隠さぬ告白だと思った。だから、こちらも問われた以上は答えなければいけないだろう。
「俺は俺のやるべき事をやる。希望だ。竜殺しがこの世のどこかいるということは、それだけで希望に満ちた世界になると思わないか」
結局のところ、それは老師の受け売りに過ぎない。事あるごとに言っていたことだ。あるいは自分に言い聞かせていたのかもしれない、と、いまにしてみれば思う。
だが、ジェフもそれを信じることにした。
「ジェフさん!」
不意に、メリーが奇声に近い声をあげた。振り返って、一歩距離を詰めてくる。
ジェフは思わず一歩後ずさった。竜とはまた別の、奇怪な迫力があった。
「いま、感激しました。私と同じ志の持ち主に初めて会いました!」
「ん……?」
「実は私も天才なんですけど!」
「そうか」
「私も偉大な天才魔導士がいるということを知らしめ、下々の民に希望を与えたいと思っていたんです! ジェフさんも同じ考えだなんて! これは、もしや……運命的な、そういう……?」
下々の民、という言葉に、ジェフはやや引っかかるものを覚えた。が、都会ではよくある言い回しなのかもしれない。
だいたい、他人の言葉尻を捕まえて指摘するのは、あまり褒められたことではない。
「若」
ただ、スノウは『あまり褒められたことではない』ことをしばしば行う。
「なんていうか、このお嬢さんは箱入り娘だったのかもしれないですね。すごく貴族っぽい発想と言いますかね、とにかく私は関わりたくありませんな」
「決めつけるのは良くない」
ジェフはスノウの嘴を掴み、黙らせた。
「それより、この辺りでいいだろう」
促し、ジェフは立ち止まる。《魔女の門》が見える位置だ。闇の中で門を見ると、また違った威圧感がある。
「これ以上近づくと、門衛に気づかれるかもしれない」
「あ――そ、そうですね。作戦に取り掛かりましょう」
メリーは背負っていた箒を、ジェフに差し出した。
「ジェフさん、大丈夫です。この天才である私が《しるし》をつけた箒なんですから。試験飛行も百回くらいやってみましたけど、ラスト十回はうまく飛べました!」
「ああ」
ジェフは慎重に箒を手に取る。
今度は、可能な限り流し込む魔導線を抑えた。巨大な戦斧でケーキを切り分ける作業にも似ている。体内の魔導線が軋むほどの努力が必要だった。
他人の《しるし》が施された器具を使うのは、ただでさえ難しいものだ。熟練の技術者でなければ、誰にでも使えるような《しるし》を刻むことはできない。
「大丈夫ですか、若」
スノウはジェフの顔を覗き込んでくる。
「ご自分の《しるし》を使えば、何てことはない作戦だと思うんですけど」
「できない。俺の《しるし》は竜を殺すためのものだ」
ゆっくりと、箒を持ち上げる。それに跨る。無理のない速度で飛べそうだ。ただし、どのくらい持つかはわからない。
「後ろに乗れ、メリー。迎撃は任せる」
「はい! がっ、がんばります!」
メリーは自分の杖を取り出し、やや震える手で構えを取って見せた。
肩の高さに差し出すような構え。杖は白樺。肘までの長さ。素材は悪くない。
この点、ジェフにも自覚はある。他人の魔法の精度鑑定には向いていない。
どうしても竜を殺す威力を基準に考えてしまうからだ。
「行くぞ」
箒が少しずつ浮かび上がる。魔導線の流し込みを抑えるには、そうするしかない。
「例の作戦をやる」
「はいっ」
ジェフの肩に捕まり、メリーは自身に気合いを入れるよう、大声で叫んだ。
「復讐の亡霊作戦、始動です!」
メリーのその声も、手も震えているのがわかる。恐らく武者震いだろう、と、ジェフは当たりをつけた。
そうでないと困る。
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