2.竜の黄昏

 案内、というより連行に近かったのかもしれない。

 ジェフが入るよう促されたのは、《魔女の門》の脇にある小さな小屋だった。


 殺風景な部屋で、あるのは簡素な椅子と机、それから資料らしきものを満載した棚くらいのものだ。

 ジェフと老師が暮らしていた庵に、少し似ている。

 あの庵には、百年をかけても読みきれないと思えたほどの魔導書があった――そのすべてを読み終えてしまったときには、ひどく寂しくなったものだ。


「それでは、きみは――」

 と、コーデリア・マーレイは腕を組み、もう何度目かになる質問を繰り返す。

「メリー・デイン・クラフセンとは、あのとき会ったばかりだということか」

「ああ」

 ジェフもまた、何度目かの肯定を繰り返した。

「いきなり上空から落ちてきた。この学園では、よくあることなのか?」

「まさか」

 コーデリアはぎこちなく笑った。表情を動かすのが下手なのだろう、と、ジェフは自分を棚にあげて思う。


「いまは空域警戒を強化しているところだ。最近、空を飛ぶ異形どもの襲撃が頻繁なため、対空魔法の《しるし》を多数展開している」

「空域?」

 ジェフは半ば反射的に身を乗り出した。

「それはつまり、竜による攻撃を受けている?」

「え? あ、い、いや――」

 急に前のめりになったジェフに、コーデリアは少し驚いたようだった。のけぞって、大きく手を振る。

「竜ではない。そんなはずはないよ」

「違うか……出番かと思った」

「よ、よくわからないが、顔が近い。離れてくれ」

「そうか」

 ジェフは大人しく椅子に座りなおす。そのやり取りを揶揄するように、机の上で黙っていたスノウがしわがれた鳴き声をあげた。


「すみませんね、お嬢さん。うちの若がご迷惑を」

 笑いを含んだ声だった。王都に来てからの彼は、どことなく元気そうだ。賑やかな環境が性にあっているのかもしれない。

「なにぶん、都会の常識を知らないもんで。ご理解、ご協力のほど、よろしくお願いしますぜ」

「あ、ああ。そう……なのか?」

 コーデリアは異様なものを見る目で、スノウに一瞥をくれた。先ほどの少女――メリーも言っていたが、喋る使い魔が珍しいのかもしれない。

 いちいち口を挟まれると話が進まないので、ジェフはもう一度スノウに釘を刺しておく。

「スノウ、もう少し静かにしていろ」

「わかってますよ。ただ、あんまり見つめられると照れるもんで」


「それは失礼――まあ、とにかくだ」

 コーデリアは小さく咳ばらいをした。

「いま、学園は緊張状態にある。我が学園は魔女養成校であり、見習いながら王都防衛の一翼を担っているからだ。自衛の必要もあるからな」

 喋りながら、眉間に皺が寄っていく。

「まったく、この多忙な時期に。あんな無茶なことをするのは、彼女くらいだ。実に困っている――メリー・デイン・クラフセン」

 声にはかなりの疲労が滲んでいる。コーデリアの主張する通り、学園の『警戒強化』とやらで何かと苦労することが多いのかもしれない。あるいは彼女のどことなく大人びた気配は、日頃のストレスのせいだろうか。


 このままだと、しばらく愚痴のような独り言を聞かされることになりそうだ。思い切って、こちらから話を切り出すことにする。

「それより、コーデリア。こちらの話が終わっていない」

 ジェフの発言は、いつも単刀直入だ。他の交渉の仕方をしらない。

「俺を学園に入学させてほしい」

 机の上に乗せてあった、紹介状を手に取る。

「この紹介状の通り、グラム・キャスリンダーの孫にして、唯一の弟子だ。竜殺しの魔法をすべて継承している。だから、きみたちは俺の力を必要としていると思う」


「その件について――すまないが、まず私はグラム・キャスリンダーという人物を知らないし」

 コーデリアは、ひどく困惑しているようだった。

「先ほども言ったように、この学園は女子校なんだ。原則として男子は入学できない」

「そうか。ならば、俺は特例扱いということになるのか」

「そ、そうくるか。すごいな、きみは」

「グラム・キャスリンダーの弟子だからな」


「いまのは別に褒めてないですぜ、若」

 スノウが笑いながら口を挟んだ。さっきは黙れと言ったのにかかわらず、すぐにこれだ。彼の口の軽さには、たまに驚かされる。

「しかし女子校とは驚きですな。大旦那はそんなこと、一言も言ってなかった」

「完全に女子校になったのは十年ほど前だったな」

 コーデリアは再び腕を組み直し、顔をしかめた。いままでの観察から判断するに、どうやら彼女はいつも不機嫌なのではなく、考え事をするときにこういう顔になるのだろう。

「それまでも、体内魔力価の大きい女子が大半を占めていたと聞く。男子寮の維持など、経済的な観点から男子入学を締め切ったらしい」


「なるほど」

 女性は先天的に魔法の源である魔力価が大きく、そのコントロールにも長け、魔導士に向くとされている。事実、魔導士の要職には女性の割合が高い。

「では寮が建造されるまで、俺は野営でも構わない。得意分野だ」

「当然のように突っ込んでくるな、きみは」

 コーデリアは困惑を通り越して、呆れた顔をした。

「はっきり言うと、きみは入学できない。学園は認めないと思う」


「いや。必ず認める。試験を受けさせてほしい」

 ジェフは黒檀の杖を掲げてみせる。

「俺には竜を殺す魔法がある。この分野において、俺に匹敵する者はこの地上にはいない」

 その点だけは、躊躇なく断言することができる。

「俺は、グラム・キャスリンダーから魔法を教わった」


「ああ――その点も、非常に言いにくいが」

 コーデリアは憐れむような、ただ困ったような、曖昧な表情で告げた。

「竜は絶滅した。少なくとも《幻視者》たちの観測では、そういうことになっている。もう三十年も姿を見せていない。最後の出現時の戦いは、確か、竜の黄昏と呼ばれているな」

 ジェフは返事をしなかった。なんと答えるべきかわからなかったからだ。

 できたのは、ただ繰り返すことだけだった。

「竜が、絶滅した?」


 竜とは、呪いの《しるし》を受けた生物――異形たちの中でも最強の存在だ。

 少なくとも、ジェフはそう教えられた。

 その息吹は天地を焼き、その咆哮を聞けば生き物はみな震え上がる。無差別な破壊と殺戮を振りまく、最悪の異形であると。

「なんてこった! こいつは驚きですな」

 スノウも翼を広げ、無意味に何度か羽ばたかせた。

「北部ではちっとも姿を見ないもんだから。絶滅してたなんて」


「そういうことになる。だからきみが学んだという魔法は、恐らく何か別の――、む」

 コーデリアは不意に顔をあげた。窓を振り返る。奇妙に重たい、風のような音が響いていた。

 もちろん、その頃にはジェフも気づいている。そうであるように訓練を積んでいるからだ。この音は、大きな生き物が翼を振るう音だ。それも複数。

 だが――

「竜ではないな」

 ジェフの耳には、はっきりと区別できる。

「そうだな。あれはグリフォンどもだ」

 コーデリアは立ち上がり、窓を押し開けた。良く晴れた空に、いくつかの翼ある影が躍っている。

 グリフォン、というその異形について、ジェフも聞いたことはある。

 鷲の上半身と、獅子の下半身を持つ異形のことだ。『憤怒』と『暴風』の契約コードに基づいた《しるし》を与えられたことから、空を飛び、見境なく人を襲う。旧帝国において、空軍の主力を担っていた記録もある。


「ここ最近の王都は、やつらの断続的な襲撃を受けている。魔力価が豊富な学生を有する我々の学園は特に危ない。すまないが、私も執行部役員として防衛線に参加しなければ」

 本当に申し訳なさそうに、コーデリアはまた不器用な笑みを浮かべた。

「きみも安全な場所まで避難してくれ。困ったことがあれば、入学の問題以外なら相談に乗ってもいい。幸運を祈る」


――――


「さて」

 守衛小屋の外に出ると、スノウは翼を伸ばして飛び上がった。ジェフの杖の先端――彼の定位置へと舞い降りる。

「どうしますかね、若。もしかして落ち込んでらっしゃる?」

「いや」

 ジェフは即座に否定する。この程度で心が折れるようなら、竜殺しの弟子は務まらなかった。もっと絶望的な目にあったことは、何度となくある。

 竜が絶滅したくらいで、彼のやることは変わらない。


「何か方法を考える。俺の魔法は必ず必要とされるはずだ。なぜなら、俺はとても強い」

「はは! ごもっとも」

 スノウが不吉な笑い声をあげた。

「だったら、実力を披露するというのは? いま、ちょうど空の上では戦が始まってますぜ」

「ああ」

 歩きながら、空を見上げる。

 スノウの言う通り、頭上ではグリフォンたちと、飛翔する学園の魔女たちの影が飛び交っている。箒、絨毯、馬、思い思いの道具に乗って飛び、魔法によって迎撃を行う魔女たちの側がやや優勢だ。

「若が手を貸せば、あと十秒ほどで終わるんじゃないですかね」


「だが、それはできない」

 ジェフは断言する。

「お爺ちゃんの遺言だ。俺たちの魔法は、竜を殺す以外の目的に使ってはならない」

「じゃあ、どうするつもりです」

 スノウは騒がしく翼をばたつかせる。不満がありそうだ。

「正直言って、若の頭で名案が浮かぶとは思えませんね。竜を殺す以外のことは、本当にさっぱりなんだから」

「確かに」

 認めるしかない。自覚はある。

「しかし、他に何か――」

 言いかけて、止めた。

 背後から近づいてくる気配を感じたからだ。


 何らかの奇襲か。それにしては足音を隠そうとしていない。では、何者が? 素早く振り返ると、見覚えのある顔があった。

 メリー・デイン・クラフセン。

 かなり思いつめたような顔でこちらを見ている。さっさと着替えたのか、もう焼け焦げたローブではない。ジェフは展開しかけていた防御用の契約コードを崩した。


「ジェフさん」

 と、彼女は拳を握りしめた。何か、よほど気合いの必要な話をしているのか。

「先ほどの守衛小屋でのお話、しっかり盗み聞きさせていただきました!」

「そうか」

 まったく気づかなかった。もとよりジェフは、人間のように小型の生き物の気配に対して、それほど鋭いわけではない。


 ぐっ、と、メリーは距離を一歩詰めてくる。

「ジェフさんもあの学園に入学したいんですよね。そして、そのための作戦を必要としている! そうじゃありませんか!」

「凄い推理力だな」

 的外れの賞賛ではあったかもしれないが、ジェフは素直に感心した。

「任せてください」

 メリーの顔に息苦しさを感じるほどの情熱が浮かんだ。どこか暗い陰のある情熱だと、ジェフは思った。

「私に作戦があります。聞いてください! ジェフさんの力を貸していただければ、次こそ成功間違いなしだと思うんです」


「いやあ、若」

 スノウがいっそう不吉な声で鳴いた。ジェフにだけ聞こえるような小声でささやく。

「嫌な予感がしますね。関わらない方がいいと思いますぜ、なんとなく」

「他に方法があるのか?」

「私に聞かないでくださいよ。ただの使い魔なんだから」

「よし」

 スノウは右手をメリーに差し出した。

「乗った。きみの作戦を聞きたい」

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