ウィッチ殺竜ゼミナール

ロケット商会

0.序 (北の荒野より)

 老いた師は、春を待たずに死んだ。

 最後のドラゴンスレイヤーにして、偉大なる魔導士、グラム・キャスリンダーはもういない。


 厳しい冬の寒さと病は、老いた師から様々なものを奪い取っていった。記憶に始まり、声、体温、体重――それから数々の魔法の力さえも。

 残されたジェフ少年は、枯れ木のように軽くなった師を抱え、速やかに埋葬しなければならなかった。ジェフこそは身寄りのない老人の、ただ一人の孫であり、弟子でもあった。


 彼と師が暮らす北部の荒野には、まだ数々の呪いが残っている。

 かつての帝国が残した呪いの《しるし》は、弔われなかった死者をさまよえる死体に変える力があった。たとえ偉大な魔導士であった老師でも例外ではない。

 何よりそんな姿になったとしても、きっと師はジェフを叱るだろう。

「後始末を怠ったな、小僧。報いを受けよ」

 と、恐らくはそのような物言いと、怒りに満ちた鉄拳で。


 だからまだ日があるうちに、ジェフは老師を荒野に埋めた。

 およそ一時間――それだけで、弔いといえるものは全て終わった。

 老師が残したものは少ない。自らの死体とわずかばかりの蓄え、小さな庵と、一匹の使い魔だけでしかなかった。あとはすべて遺言に従い、焼き尽くした。

 使い魔は『スノウ』と名付けられ、《しるし》を与えられた烏だった。右の翼に白い雪のような羽が何本か生えており、どこか不吉な男の声で、騒がしく鳴く。


「さて、どこに行きますか、若」

 埋葬を終えたジェフに、スノウはすぐに声をかけた。彼にしては長く沈黙を保った方だろう。いつもは沈黙を恐れるように、忙しなく喋りかけてくるのが常だった。

「私は南がいいですね。もう寒さにはうんざりです」


「寒さは耐えられる」

 ジェフは白い息を吐き、答えた。《雷の海》から吹きつける北風が、彼の灰色のマントを間断なくはためかせている。

「竜の中には、もっと冷たいブレスを放つ種族がいる。この程度で音はあげない」

「はいはい、そうでしょうよ、若はね。私は無理です。これ以上寒い場所に行こうってなら、お暇をいただきますぜ」

「いや」

 西の地平に溶けていくような夕陽を見上げ、ジェフは首を振る。ここにとどまるつもりもない。

「お爺ちゃんの遺言だ。王都へ行く」

 ジェフは灰色のマントの内側を探る。そこには一束の手紙があった。目の高さに掲げ、夕陽に透かして凝視する。癖のある師の文字と、血判。

 これは紹介状である、と、師は言っていた。


「王都には、大きな魔導士の学園がある。呪いの《しるし》ある異形たちと戦う、戦士を育てる学園だ。俺はそこで必要とされるらしい」

「それ、本当ですかね? 大旦那はもう二十年ばかり王都から離れていたと聞いてますよ」

「本当でなければ困ってしまう。他に行く当てがない。金もない」

 真顔で言って、ジェフは紹介状をコートの内側に収めた。


「おそらく、王都近辺にはまだ竜が生き残っているのだろう。対抗するために、俺の学んだ魔法が必要なのだと思う。生活費などの待遇も、交渉の余地があるはずだ」

「さて」

 スノウは疑わしげな鳴き声をあげた。

「どうでしょうな」

 ジェフはそれを無視した。ただ、片手に持った杖を掲げただけだ。まっすぐで滑らかな、よく磨かれた黒檀の杖だった。


「魔法を使う。スノウ、離れていろ」

「いいんですかい?」

 スノウは少し驚いたようだった。

「大旦那の教え、忘れたわけじゃありませんよね」

「わかっている」

 老師が残した一言一句たりとも、忘れるはずはない。彼はジェフに言った。

『我らが魔法の《しるし》は、ひとえに竜を殺すためにある。決して他の目的のためには使うな』

 と。

 だが――


「これが最後だ」

 ジェフは黒檀の杖を地面に突き立てる。

 瞬間、その先端から銀色に輝く《しるし》が迸った。

 ごおっ、と荒野が唸りをあげる。地面が生き物のように蠢動したのも束の間、ジェフが杖を引き抜くと、たちまちのうちに隆起していく。地が割れ、爆ぜ、その傷口から土と小石が噴出する。

 それは巨大な獣が身をもたげる様子にも似ていた。


 ものの数秒。

 大地の鳴動が終わると、そこには小ぶりな山ができあがっていた。西の夕陽が隠れるほどの高さ。城塞のように、土と小石で強固に形成された山だった。

「小さいが、墓標の代わりにする」

 ジェフは塔を眺め、小さくうなずく。彼の顔はほとんど表情らしきものを浮かべない。そうであるように己を鍛えている。

「この程度なら、お爺ちゃんも許してくれると思う」

「はあ。そうですかねぇ」

「行くぞ、スノウ」

 ジェフ少年は、老人を埋葬した塔に背を向ける。もう振り返らない。

 そう決めていた。

「王都の学園が俺を必要としている」


 ――ここにおいて老人は重要なことをひとつ、伝え忘れた。あるいは伝える必要を感じていなかったのかもしれない。

 学園の名を、王立ダルハナン・ウィッチスクールという。

 通称されるところでは、魔女の学園。

 戦う魔導士を育成する最高学府にして、紛れもない女子校である。

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