第20話 ロープレがしたいのです
ロープレとは、ロールプレイングゲームのような、プレイヤーが主人公になりきって、その世界観と物語を体験することに由来している。そして主に営業現場におけるロープレとは、二人一組でお客様役と営業スタッフ側に分かれ、実際の商談を想定した模擬接客を行うことをいう。瀬里花も母に水商売でのロープレを繰り返しさせられたおかげで、その大変さは身に染みて理解しているつもりだ。
「ロープレを最初からうまくやれる人間はほとんどいないだろう。機械と話すのではないからな。何回も何回も失敗をするだろう。もちろん、最初は物凄く恥ずかしいかもしれない。人前で自分の会話が聞かれ、また自らの知識の無さがそれを見ているみんなに露見してしまうのだからな。周りとの知識や技術の差を思い知り、落ち込むこともあるだろう。だが、将来、君たちが年次的に一人前の営業になった時に、お客様の前でうまく出来なくて恥をかくくらいなら、今かけるだけ恥をかいたらいいと私は思う。今ならまだ何も出来なくて当然だ。だって君らはまだ入社したての研修生なのだからね。そう、だから安心して何度でも何回でも失敗をするといい。その失敗は、間違いなく君らの営業としての糧になるのだから」
接客やロープレは、川野なりにもっとも重要視しているところなのだろう。いつにない熱の入りようだ。まるでここからが本当の研修の始まりだとでも言わんばかりに。
「さあ、どんどんやろう! やって話して、話すことに慣れるんだ! 慣れてしまえば、勝手にどんどん会話が出て来るようになるぞ!」
川野の言葉に、十人いる営業スタッフが、一体一に分かれて話をする。最初はカタログだけを用い、外でのお出迎えの流れから、新規のお客様が車を見に来たという導入部分まで、繰り返しロープレを行う。どういう車を探しているのか、取り扱いの車種でお客様の要望に合う車は何があるかなど、流れ作業のように繰り返していく。みんな辿々しくはあるが、きちんと要望に合う車種を聞き出せていたようだ。もっともその候補の中から一台に絞るまでは、なかなかうまくいかないようだったけれども。
本物のお客様相手ではないから、瀬里花のロープレは正直かなり適当なものだった。あくまで周囲のレベルに話を合わせる。これも人とのコミュニケーションでは、重要なことだった。一人だけ突き抜けてしまうと、ある意味で孤立してしまう。ただでさえ瀬里花はすでに一台新車の受注をもらっている。羨まれることもあれば、嫉妬さえ持たれているだろう。必ずしも、そこに尊敬はない。
だから、今は牙を隠す。トップセールスマンである柊木を見返すためにも、ただひたすらに爪を研ぐしか瀬里花にはなかった。
「いらっしゃいませ」
ゆっくり頭を下げ、軽い笑みで顔を上げる瀬里花。頭を上にひっぱられたように上げ、ピンと姿勢を伸ばす。まず瀬里花の相手はお調子者の結城だった。
「あの……好きです!」
結城が何故か瀬里花の前で、軍隊のように気をつけをしている。
「え……?」
「好きなんです……」
意味がわからず、目を白黒させる瀬里花。明らかに意味合いが違っていそうだ。
「あっ、すみません。俺好きなんです……車が」
「はあ……」
どうしてお客様役の結城が、顔を赤らめているのだ。思わず脱力してしまう瀬里花。
さあ、気を取り直して次だ。
「いらっしゃいませ」
「こ、こんにちは!」
あまり絡みのない柴田。縁なしの眼鏡をかけた頭の良さそうな地味な男の子だ。今はガチガチに緊張しているようで、挨拶の途中で声が裏返っていた。全く……営業役はこっちなのだけれど。
「本日はどんなご用件ですか?」
「あの……その……」
「緊張なさらずに、何でも申しつけ下さいね」
瀬里花は軽く目を細める。初対面で大事なのは、相手の懐の中にいかに自然に入れるかだ。一瞬で相手に好意を持たせられれば、話の主導権をうまく握ることが出来るだろう。
「ど、どうしたら女の人に好かれますか?」
「はい……?」
「だから、どうやったら、あなたのような人に好きになってもらえるんでしょうか?!」
――悩み相談か!
呆れ果てる瀬里花。少しもロープレらしいことが出来ない。何なんだ、この男どもは。やる気がないにしても、少しはやりたいのが人間である。それをこんな形で邪魔されるとは……。
――でも、大丈夫。
今度は瀬里花がお客様役だ。最悪、話が脱線したとしても、瀬里花自ら本筋に誘導してあげることが出来る。
「いらっしゃいませー」
相手は千秋だった。表情の変化もさほどない。流石はミスター普通。彼とならうまくやれそうな気がした。
「新しいのが欲しいなって思ってるんですけど、色々ありすぎて、どんなのがいいのかわからないんです」
瀬里花は困ったように、上目遣いをしてみせる。髪を耳の後ろにかけるようにかきあげ、女であることを大いにアピールする。
「僕にしてください!」
「えっ?」
意味がわからなかった。車を買う前に、営業担当をいきなり決めろというのだろうか。
「僕を選べば、あなたは後悔しない」
一歩前に出て、急に瀬里花の手を握り出す千秋。
「僕と、付き合ってください!」
――はあ???!!
「久保ー、それアウトー!」
流石に川野が見かねたのか、千秋に声を上げる。いや、アウトというか、最早ただのセクハラだ。
「す、すいません!」
焦って、更に瀬里花の手を強く握り締める千秋。瀬里花は慌ててその手を払いのけた。
「許斐さん、ごめん!」
謝る千秋。慣れているとはいえ、まさか研修中に告白されるとは。せめて彼が漫画の王子様のような見た目なら、瀬里花も素直に喜ぶことが出来たが、あくまで普通の千秋である。しかし、千秋の苗字は久保というのか。よくある名字だなと瀬里花は溜め息をついた。
――全然王子様じゃない!
全く、みんなどうかしてる。瀬里花はただ、当たり前のロープレがしたいだけなのに。
そしてその後も、結局瀬里花は、女の子以外とはロープレらしいロープレをすることが出来なかった。その夜、母の店のお客様に愚痴を零してしまったのは言うまでもない。
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