第4話 セダンってなあに?

 ページを捲ると、見開きにセダン系の写真が飛び出してきた。名前はカティアラ。女王の宝冠をイメージした国産車の中でもかなり高級車の位置づけだ。孫を乗せるのに、今時のワンボックスカーではなくセダンなのが男気溢れている。


 セダンはsedan chairと呼ばれていた、十七世紀のトルコの御輿のような駕籠かごが、語源と言われている。その頃は車輪などなく、あくまで二人の従者が、人力で乗り手を運ぶのが一般的だったそうで、それがまた富裕層の特権でもあったのだろう。セダンタイプの車は、かつて国内ではもっともオーソドックスな車の形だったが、現在は多様化を極め、セダンとして一番台数が残っているのは、タクシーかもしれない。


 ――セダンね。


 どちらかというと装備が充実しているイメージだ。でもどんな違いがあるのかは、瀬里花は知らない。さて、何から始めよう。


「お客様、お好きな色っておありです?」


 カタログを捲りながら、瀬里花は上目遣いで男性を見やる。


「ん、色か?」


「はい。それとももうお決めになられてらっしゃいます?」


 瀬里花の問いに、男性はニヤリと笑みを溢した。


「そんなのホワイトパールに決まっとろうが」


 どう決まっているのかわからないが、瀬里花は手帳をジャケットのポケットから取り出し、ホワイトパールと書き記した。カタログを見ると、白い車の絵の下に※があり、注意事項が記してあった。


「ホワイトパールのお色は少しお高いみたいですね」


「ああ、昔っからそうみたいやな。昔の担当営業が、何層塗りとかで工場での塗装工程が多いから三万円くらい高いって言ってたわ」


 何故か遠い目をする男性。昔の担当さんということは、今は別の人になっているのだろう。その理由については触れないことにした。


「じゃあ、次はグレードみたいですね。これの違いで、金額や装備が変わるみたいですね。お客様はまだどういう仕様にするか決められていないんでしたよね?」


「ああ、頭の中では大方決めてるんだが、カタログ見ても文字が小さくてよくわからん」


「かしこまりました。では私も一緒に見ていきますね」


 瀬里花は彼の要望を聞きながら、該当するグレードを絞っていく。絶対に必要な装備のつくタイプから、なくてもいいかなという装備を省いていくと、自ずと彼にあったグレードが一つになる。一つ上のタイプにしか付かない装備も、メーカーオプションという、工場で車を組み立てる時に追加で組み込める装備で補うことが出来るようだ。一見見づらいカタログの装備一覧表だけれど、見方さえわかれば案外親切なのかもしれない。


「じゃあ、お客様のタイプはロイヤルGというタイプで良さそうですね。これに本革シートだけ付ければ、ご希望の形になります」


「はあー、よくわからんがちゃんと付きそうだな。良かった、良かった」


 安堵からか息をつく男性。


「でも、お客様。お孫さんのチャイルドシートを固定するには、本革シートは滑りやすいかもしれませんよ? よろしいのです?」


「ああ、これだけは譲らんぞ。男のロマンだ。それにな、孫を乗せるといっても年に数回くらいだ。それだけのために、革じゃなくすなんて考えられねえ」


 はっきりとした人だと、瀬里花は感心するように頷いた。購入を考えている車も高級車だし、何処かの社長さんか何かだろうか。


「じゃあ、次は……もう一つのオプションですね」


 車のオプションには、先に出てきたメーカーオプションの他に、車が工場で完成してディーラーに届いてから、その販売会社が取り付けるディーラーオプションがあるそうだ。フロアマットや雨除けのバイザー、そして一部のカーナビなどがこれにあたる。瀬里花は今まで彼が付けてきた装備を確認した上で、男性と一緒に用品カタログを見ていった。


「お、ネエちゃん、絵が上手いな。見積りにパソコンは使わないのかい?」


 パソコンで見積り? そんな便利なものがあるのか。瀬里花は手帳に絵を描き、そこに追加する装備のカタログ番号とイラストを描いていった。


「もう……今日入社したばかりのド新人に、それを求めますか?」


 瀬里花はクスッと微笑み、それに釣られるように男性も、高らかに笑い声を上げた。


「はっはっはっ、そりゃあそうだな。わりぃ、わりぃ、パソコンなしで商談とは、昔を思い出すわ」


 懐かしそうに目を細める男性。彼は昔の話をする時だけ妙に顔が綻ぶ。瀬里花は、ここで一歩だけ彼に踏み込もうと思った。


「昔は電卓を片手に、手書きで見積り書を作成していたそうですね。じゃあ、お客様のも、そうされていたんですか?」


 それは瀬里花なりの挑戦だった。上辺だけの付き合いなら、誰にでも務まるだろう。でも、彼の昔の担当者はいつまで経っても彼の中から消えることはない。これからお付き合いをするかもしれないのに、瀬里花はそんなのは嫌だった。眉間に皺を入れる彼に、構うことなく瀬里花は更に深く踏み込んだ。


「お客様の昔の担当の方は、随分と素敵な方だったんでしょうね。だってお客様は彼の話をされる時だけ、本当に優しそうないいお顔をされているんですから。後学のためにも、私知りたいんです。その営業の方は、一体どんな人だったんですか?」


 瀬里花は、テーブルの上で祈るように両手を組み、哀願するように彼に上目遣いをした。テーブルに置かれたホットコーヒーに口をつける男性。ゴクッと喉がなり、やがて息を吐く彼。果たして瀬里花の目は、彼の心を矢のように貫くことが出来るのだろうか。答えは彼の綻んだ口元が教えてくれた。


「はははっ、まさかここで、あいつの話をすることになるとはな……。まあ、そうだな……。かつて俺の担当者で、自分より他人の車を愛し、そして他人の車のために死んだ男は、あいつが最初で最後だろうな」


 それが、かつて彼を魅了した担当者の話の始まりだった。

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