第27話 タイムマシンにお願い


 今岡さんがいなくなってから、麻耶は朝起きて必ずすることがある。

 それは、枕元のフォトフレームに目をやること。

 

 フレームに入っているのは、今岡さんの送別会のときにNeo Galaxy Planネオ・ギャクシー・プランのメンバー六人で撮った写真。椅子に座る今岡さんの両サイドには、麻耶と残念和服美人の五十棲いそずみさん。その後ろに、ヲタク・ハッカーの白鳥さん、リーゼント弁護士のジョニーさん、グルメ・アンパンマンの三上さんが立っている。


 当たり前のことだけれど、いくら写真を眺めても何の変化もない。

 眺めれば眺めるほど、今岡さんがいなくなったことを実感してブルーな気分になる――じゃあ、見なければいい? 麻耶もそう思う。でもね、昔見た映画のあるシーンがすごく気になっていて「現実の世界でもこんなことが起きないかなぁ」なんて、心のどこかで期待している麻耶がいるの。


 その映画は、タイムトラベルを扱ったSF映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」。

 主人公は、ロックとペプシが好きな高校生マーティと、彼の親友で科学者&発明家のドク。ある日、ドクが乗用車デロリアンを改造したタイムマシンを発明したところから物語は始まるの。デロリアンのスピードが時速百四十キロを超えるとタイムトラベルが可能になる設定で、デロリアンはまばゆい閃光を放って時空を超える。そして、道路には炎でできたタイヤの跡が残る。

 デロリアンが過去や未来を縦横無尽に駆け抜ける、ハラハラ&ドキドキのアクション巨編で、今も麻耶の大のお気に入り――その第一作の中で、過去の世界へ行って歴史が変わりそうになったとき、以前撮影した写真から人の姿が消えていくシーンがあるの。過去が変わることで、写真に写っていた人が存在しなくなるっていうこと。


 麻耶が毎日この写真を眺める理由は、写真に何か変化があることを期待しているの。と言っても、メンバーの誰かに消えてもらいたいわけじゃない。ここだけの話だけれど、今岡さんの異動がなくなることを願っているの。

 タイムトラベラーが過去に行って歴史に干渉することで今岡さんの異動がなくなったら、NGPの送別会が開かれることはないから、この写真は別の写真に代わっていると思うの。


 ただ、「過去が変わったという事実」は、歴史の流れとその変化を鳥瞰的ちょうかんてきに見ているタイムトラベラーじゃないと認識できない。これ、タイムトラベルの常識――そんなことは麻耶もわかっている。わかってはいるけれど、今はそんなオカルトみたいなものにもすがりたい気分なの。「バカなこと言っている」って笑われるかもしれない。でもね、こんなことでも考えていないと、どうにかなっちゃいそう。

 今岡さんに連絡すればいい? そんなことできるわけない。だって、今岡さんから電話もメールもないってことは、そんなわずかな時間がないぐらい忙しいってことだから。それに、今岡さんは「落ち着いたら連絡する」って言ってくれたし。


★★


 テレビ画面の右上には「18:32」の時刻表示。

 いろいろなことを考えていたら、あっという間に三十分が経ってしまった。


 夕食は七時でお願いしたから、もう少ししたら仲居さんがやって来る。

 もし夕食までに「もう一人の麻耶」が戻ってきたらどうしよう? 今から料理を一人前追加できるかな? それに、いっしょに食べることになったら、何か話題を考えておかないと――そんなことを真面目に考えている自分に気づいて、心の中で「フッ」と笑みがこぼれたの。


 そのとき、ローカルニュースのコーナーで紹介されていた、仙台の紅葉の映像が、何の前触れもなく、の映像に切り換わったの。


 たぶん、それは東京のキー局にある報道情報センター。

 大きな地震なんかが起きたとき、臨時ニュースが流れるときの様子に似ている。カメラの前で神妙な顔をする女性アナウンサー。その後ろをスタッフと思われる人が慌ただしく走り回り、電話の音や複数の人の声が飛び交っている。


 雑然とした雰囲気の中、女性アナウンサーがゆっくりと口を開く。


「こちら報道情報センターです。今入ったニュースをお知らせします。午後六時二十分頃、現地時間午後零時十五分頃、アフリカ中部のF国で大規模な爆弾テロがあった模様です。わかっているだけでも、同じ時刻に四箇所で爆発が起きており、その中には、F国政府の首脳らが集まっていた迎賓館も含まれます。当時迎賓館では、F国政府と日本の総合商社・三友物産みつともぶっさんとの間で会合が開かれており、三友物産の関係者も多数出席していたとのことです。では、現地の迎賓館前からお伝えします」


 金縛りにあったみたいに身体が動かなかった。

 見た目はクールガールだったけれど、いつもとどこか違った――大きな目がそれ以上開かないくらいに大きく見開き、全身からサーっと音を立てて血の気が引いていくのがわかった。


 テレビの映像が現地の様子を映し出す。

 女性アナウンサーは「迎賓館」と言っていたけれど、迎賓館らしき建物はどこにも見当たらない。あるのは、真っ赤な炎とどす黒い煙に包まれた廃墟だけ――正確に言えば、爆弾で吹き飛ばされて廃墟と化した建物が業火に焼かれている。あたりには、爆発で吹き飛んだガラスや木片、コンクリートの瓦礫がれきなどが散らばり、時折「人らしきもの」も映し出される――「地獄絵図」という形容がピッタリだった。


 レポーターが現場を背に興奮気味に話をする。


「迎賓館では、F国政府と日本の総合商社・三友物産みつともぶっさんとの昼食会が開かれていました。ご覧のとおり、現場は火の海で近づくことができない状況です。爆発があった時刻に、F国の近代化政策に反対する、現地の武装集団『ザ・ジハード』からの犯行声明がインターネットを通じて出されたことが確認されており、政府関係者は『悪質な同時多発テロ』との見方を強めています。なお、三友物産みつともぶっさんによれば、昼食会には現地事務所に勤務していた社員全員が出席していたとのことで、安否が気遣われます。以上、F国の迎賓館前からでした」


 その瞬間、麻耶は、条件反射みたいにテレビのリモコンを手に取ると、画面を別の放送局に切り替えた。当然だけれど、そこでも同じテロ関連のニュースが流れていた。麻耶は、さらに別の放送局に画面を切り替えた。とにかく切り替えた。親指が痛くなるぐらい、リモコンのボタンを押し続けた。


 そんな麻耶の様子を見た人がいたら、複数の番組を同時に見ようとしている、落ち着きのない子供を連想したかもしれない。ただ、どう思われようと関係ない。麻耶はを流している放送局を見つけたかった。いや、見つけなければならなかった――「テロによる爆破は誤った報道」だとか「会合はもう終わっていた」とか「一部の社員は会合に参加していなかった」とか、とにかく今岡さんが無事である可能性を見出せるものなら何でもよかった。


 十分ぐらい画面を切り替えたけれど、どの局の報道内容も大差はなかった。

 麻耶はその場にへなへなと座り込んだ――全力で走り終えたアスリートみたいな、荒い呼吸をしながら。

 思い出したように、麻耶はトートバックから携帯を取り出すと、今岡さんの携帯番号に電話をかけた。


『この電話は電源が入っていないか、電波の届かないところにあります――』


 何度かけても同じメッセージが流れた。

 確かに、大きな災害あったときは回線がパンクして電話がつながりづらくなる。ただ、携帯の電源が入っていて、つながりづらいだけなら、こんなメッセージは流れない――このメッセージが意味するのは「基地局か電話機本体が使」ということ。良からぬことしか思い浮かばない。


『お願い。出て』


 祈りながらひたすら電話を掛け続けた。

 しかし、電話はつながらない。同じメッセージが流れるだけだった――二十回目のメッセージが流れた瞬間、麻耶は携帯を思い切り壁に投げつけた。


『……今岡さんが炎の中にいる……誰か助けて……今岡さんを助けて……お願いだから……早くしないと死んじゃうよ……誰でもいいから……お願い……』


 全身を震わせ肩で息をしながら、麻耶は必死に助けを求めた。

 映像がローカルニュースに戻って、テロの情報が画面の端のテロップに切り換わった後も、麻耶は大きく見開いた目を画面から逸らすことができなかった。


『……麻耶はあなたを助けたい。麻耶にできることはないの? どうしたらいいのかわからない……今岡さん……』


 麻耶の心が悲痛な叫び声をあげる――「いつだって麻耶は今岡さんの力になる」。そう決めたのに、肝心なときに何もできない自分が情けなかった。


『せっかく幸せになれたと思ったのに……どうして麻耶だけが……いつも不幸になるの? ねぇ、どうして? どうしてなの!? 教えてよ!』


 麻耶の中で、やりきれない気持ちが湧きあがる。

 そのとき、玄関のチャイムが鳴って仲居さんが夕食を運んで来た。

 テロップが流れるテレビの画面を横目で見ながら「テロは怖い」とか「罪もない人をあやめるのは許せない」とか、仲居さんは世間話みたいに話し掛けてきた。でも、麻耶にはそんな声はほとんど届かなかった――ただ、夕食の配膳が終わって、ポツリと言った一言を聞き逃さなかった。


「フロント係から言付てがあったのを忘れていました。先程、桜木様が『大滝の方へ散歩してくる』と言われたそうです。私には何のことかよくわかりませんでしたが、とりあえずお伝えします」


 「彼女がタイムトラベラーだったら」――そんな考えが麻耶の脳裏をぎる。

 それは何の根拠もない、ただの妄想。独り善がりの希望的観測。でも、妄想だなんて笑われたって構わない。わずかでも希望があれば何だってする。


 仲居さんが何か叫んでいたけれど、よく聞き取れなかった。麻耶は非常階段を駆け下りて裏口へと向かっていたから――もう一人の「麻耶」に会うために。


 つづく

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