第11話 壮行会


 壮行会の会場をぐるっと見回した瞬間、「満員御礼」とか「大盛況」っていう言葉が浮かんできた。

 麻耶が知る限り、会社の懇親会で二百人が集まったことなんて一度もない。そんなこと言ったら、これまで会社が一枚岩じゃなかったのがバレバレ。

 他人事ひとごとみたいに言っているけれど、麻耶も会社の飲み会に出るのは久しぶりなの。これまで「出席したい」なんて気持ちになったことは一度だってない――いつも酔っ払いに説教をされるか、煙たがられて無視されるかのどちらかだったから。


 いずれにせよ、麻耶にとって飲み会は、不快な気持ちになって、ストレスを溜め込んで、憂鬱になる場以外の何物でもなかった。そんなところにわざわざお金を払って出席するなんてマゾでもなければやっていられない。

 それでも出席者がそこそこいたのは、出席しないのが人事考課に響くから。強迫観念にとらわれて仕方なく出席した人が結構いたってこと――実際にそんな考課が漫然と行われていたなんて、とんでもない会社としか言いようがない。


 会議室には十二のテーブルが並べられて、それぞれに飲み物やケータリングの料理がところ狭しと置かれている。立食形式で各テーブルの周りには十人から二十人の人が集まっている。心なしか、みんなの顔も生き生きとしている。


 会場のセッティングや料理の手配をしたのは麻耶たち下っ端。でも、今日一番の功労者は何と言っても今岡さん。これだけの人を集めたのは、一にも二にも今岡さんのカリスマ性あってのこと――ただ、その功労者は壮行会の場でも「超」の付く忙しさを極めていたの。


 壮行会の冒頭に乾杯の発声をした後、片手に缶ビール、もう一方の手にグラスを持って、それぞれのテーブルを忙しく走りまわっている。


 昼間の挨拶の中で「コミュニケーションが大事」だとか「皆さんの知っていることを話してください」なんて言っていたけれど、麻耶はリップサービスだと思っていた――でも、今岡さんの慌ただしい動きを見ていると、二百人全員と話をするような意気込みがヒシヒシと伝わってくる。


 一時間が経った頃、ちょっぴり顔を赤くした今岡さんが麻耶のテーブルにも来てくれた。

 そのときの麻耶は相変わらずのクールガール。同年代の女性社員五、六人といっしょに、名前と所属を話しただけ――時間にすれば約三十秒。今岡さんは小さく頷きながら麻耶の顔を真剣な顔で見つめていた。他のには何か質問していたけれど、麻耶には特になし。どこか引いているようにも見えた。でも、それも当然かもしれない。麻耶は人事のブラックリストに載っている「要注意人物」だから。

 話せなかったのはちょっぴり残念だったけれど、麻耶はとても満足している。だって、今岡さんのおかげで会社が大きく変わりそうだから。多くを望むのは贅沢だと思う。


★★


 壮行会は予定通り八時前にお開きとなった。

 でも、麻耶たち下っ端にはお仕事――会場の後片付けが残っている。でも、みんなでやれば三十分ぐらいで終わるから苦にはならない。そんな風に思えるのも、今日が「特別な日」だってことなのかもしれない。

 

 バケツを手にした麻耶は「飲物処理係」――缶やコップに残った、飲みかけのビールやジュースをバケツに入れて、それを給湯室のシンクに持って行って捨てるの。

 麻耶が壁際のテーブルを片付けていると、背後に人の気配を感じた。振り返ると、なんとそこには今岡さんの姿があった――テーブルの上に置かれたビールの缶を親指と人差し指でつまんで左右に振っている。中身が入っているかどうかを確認しているみたい。


「今岡部長、やりますからそのままにしておいてください。部長に後片付けをさせたら私たちが怒られます」


 そう言うが早いか、麻耶は今岡さんの手から中身が少し入ったビールを取り上げた。

 すると、今岡さんは、目の前にあった、大切な物を魔法か何かで消されてしまったときみたいに、キョロキョロと顔を左右に振っておどけた仕草をする。


「後片付けは若手スタッフの仕事なの? 今日の壮行会の趣旨は『みんなでがんばろう』なんだから、後片付けもみんなでがんばるのがいいと思うんだけど――そう思わない? 桜木麻耶くん」


 今岡さんがいきなり麻耶の名前を呼んだ――しかもフルネーム。

 驚きのあまり心臓が止まるかと思った。


 確かにネームプレートを見せながら自己紹介はしたけれど、二百分の一だよ。それに、今は後片付けの邪魔になるからネームプレートはポケットの中だし。


「――桜木くんはクールだけど、それが本当の桜木くんなの? 言葉は本心から言っていないように聞こえるね。他人ひとには『本当の自分』を見せないタイプと見たけど……違う?」


 さっきの百倍驚いた――「この人、只者じゃない」って思った。

 笑顔でサラリと発した、今岡さんの一言に、クールガールの麻耶は心の中で鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたの。


「――桜木くんみたいなタイプって、内心はすごいこと考えているんだよね。発想を受け入れてくれる器がないものだから、あえて見せないだけ。大きな器を用意してあげれば大化けするタイプ。それに、結構『いい女』なのに自分で気づいていないのも問題だね。ほら、昔の少女マンガのキャラでいなかった? 美形で可愛らしいヒロインが自分のことを『ブス』なんて言っているパターン」


 麻耶の目の前で、昼間に挨拶をしたときと同じトーンで淡々と話す今岡さん。ちょっぴり饒舌じょうぜつなのは酔っているからなのかもしれない――それもそのはず。二時間ずっとテーブルを回ってがれたビールを次々に飲み干していたんだから。


 それはさて置き、麻耶は今岡さんが何を言いたいのかよくわからなかったの。

 だって、取りようによっては馬鹿にされているようにも聞こえたから――麻耶がすごいことを考えている? 大化けってどういう意味? 麻耶がイイ女なの? 生まれて初めて言われたことばかり。麻耶は戸惑いを隠せなかったの。


「桜木くん、キミに一つ訊きたいことがあるんだけど」


 今岡さんがネクタイを緩めながら、麻耶の目をジッと見つめた。


「何でしょうか?」


 心臓をドキドキいわせながら、クールガールの麻耶は大きな瞳で見つめ返す。


「昼間に僕が長谷部さんに絡まれていたとき――どう思った?」


 唐突な質問だった。何を訊きたいのかよくわからなくて、麻耶は小首を傾げる。

 すると、今岡さんは麻耶の方に自分の顔を近づけて耳元で囁いたの。


「あのとき、桜木くんの大きな瞳が僕にメッセージを送っている気がした――「がんばって」ってね。だから、俄然がぜんがんばったんだ……で、僕を奮い立たせてくれた桜木くんに俄然がぜん興味がわいてきて、現在に至っている」


 自分の顔をスッと麻耶の顔から離すと、今岡さんは何かを考えるような仕草を見せる。ちなみに、麻耶は心臓の鼓動が尋常じゃない状況だった。

 少し間が空いて、今岡さんは右手のこぶしで左手のてのひらをポンと叩くと、小さく頷いたの。


「こんなところじゃ込み入った話もできないから、どこか静かな店に連れていってくれない? もちろん僕がご馳走するから」


 何これ? 展開、急過ぎない? もしかしたら夢? 麻耶は夢でも見ているの?

 今岡さんったら――麻耶の手、引っ張ってるし。誰かに見られたらどうするの? ダメ。もう遅い。後片づけをしているがビックリ顔でこっち見てる。麻耶は麻耶で相変わらず涼しい顔してるし。胸のドキドキが止まらない。落ち着いて。落ち着くのよ。麻耶。


 つづく

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