第11話 壮行会
★
壮行会の会場をぐるっと見回した瞬間、「満員御礼」とか「大盛況」っていう言葉が浮かんできた。
麻耶が知る限り、会社の懇親会で二百人が集まったことなんて一度もない。そんなこと言ったら、これまで会社が一枚岩じゃなかったのがバレバレ。
いずれにせよ、麻耶にとって飲み会は、不快な気持ちになって、ストレスを溜め込んで、憂鬱になる場以外の何物でもなかった。そんなところにわざわざお金を払って出席するなんて
それでも出席者がそこそこいたのは、出席しないのが人事考課に響くから。強迫観念に
会議室には十二のテーブルが並べられて、それぞれに飲み物やケータリングの料理がところ狭しと置かれている。立食形式で各テーブルの周りには十人から二十人の人が集まっている。心なしか、みんなの顔も生き生きとしている。
会場のセッティングや料理の手配をしたのは麻耶たち下っ端。でも、今日一番の功労者は何と言っても今岡さん。これだけの人を集めたのは、一にも二にも今岡さんのカリスマ性あってのこと――ただ、その功労者は壮行会の場でも「超」の付く忙しさを極めていたの。
壮行会の冒頭に乾杯の発声をした後、片手に缶ビール、もう一方の手にグラスを持って、それぞれのテーブルを忙しく走りまわっている。
昼間の挨拶の中で「コミュニケーションが大事」だとか「皆さんの知っていることを話してください」なんて言っていたけれど、麻耶はリップサービスだと思っていた――でも、今岡さんの慌ただしい動きを見ていると、二百人全員と話をするような意気込みがヒシヒシと伝わってくる。
一時間が経った頃、ちょっぴり顔を赤くした今岡さんが麻耶のテーブルにも来てくれた。
そのときの麻耶は相変わらずのクールガール。同年代の女性社員五、六人といっしょに、名前と所属を話しただけ――時間にすれば約三十秒。今岡さんは小さく頷きながら麻耶の顔を真剣な顔で見つめていた。他の
話せなかったのはちょっぴり残念だったけれど、麻耶はとても満足している。だって、今岡さんのおかげで会社が大きく変わりそうだから。多くを望むのは贅沢だと思う。
★★
壮行会は予定通り八時前にお開きとなった。
でも、麻耶たち下っ端にはお仕事――会場の後片付けが残っている。でも、みんなでやれば三十分ぐらいで終わるから苦にはならない。そんな風に思えるのも、今日が「特別な日」だってことなのかもしれない。
バケツを手にした麻耶は「飲物処理係」――缶やコップに残った、飲みかけのビールやジュースをバケツに入れて、それを給湯室のシンクに持って行って捨てるの。
麻耶が壁際のテーブルを片付けていると、背後に人の気配を感じた。振り返ると、なんとそこには今岡さんの姿があった――テーブルの上に置かれたビールの缶を親指と人差し指で
「今岡部長、やりますからそのままにしておいてください。部長に後片付けをさせたら私たちが怒られます」
そう言うが早いか、麻耶は今岡さんの手から中身が少し入ったビールを取り上げた。
すると、今岡さんは、目の前にあった、大切な物を魔法か何かで消されてしまったときみたいに、キョロキョロと顔を左右に振っておどけた仕草をする。
「後片付けは若手スタッフの仕事なの? 今日の壮行会の趣旨は『みんなでがんばろう』なんだから、後片付けもみんなでがんばるのがいいと思うんだけど――そう思わない? 桜木麻耶くん」
今岡さんがいきなり麻耶の名前を呼んだ――しかもフルネーム。
驚きのあまり心臓が止まるかと思った。
確かにネームプレートを見せながら自己紹介はしたけれど、二百分の一だよ。それに、今は後片付けの邪魔になるからネームプレートはポケットの中だし。
「――桜木くんはクールだけど、それが本当の桜木くんなの? 言葉は本心から言っていないように聞こえるね。
さっきの百倍驚いた――「この人、只者じゃない」って思った。
笑顔でサラリと発した、今岡さんの一言に、クールガールの麻耶は心の中で鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたの。
「――桜木くんみたいなタイプって、内心はすごいこと考えているんだよね。発想を受け入れてくれる器がないものだから、あえて見せないだけ。大きな器を用意してあげれば大化けするタイプ。それに、結構『いい女』なのに自分で気づいていないのも問題だね。ほら、昔の少女マンガのキャラでいなかった? 美形で可愛らしいヒロインが自分のことを『ブス』なんて言っているパターン」
麻耶の目の前で、昼間に挨拶をしたときと同じトーンで淡々と話す今岡さん。ちょっぴり
それはさて置き、麻耶は今岡さんが何を言いたいのかよくわからなかったの。
だって、取りようによっては馬鹿にされているようにも聞こえたから――麻耶がすごいことを考えている? 大化けってどういう意味? 麻耶がイイ女なの? 生まれて初めて言われたことばかり。麻耶は戸惑いを隠せなかったの。
「桜木くん、キミに一つ訊きたいことがあるんだけど」
今岡さんがネクタイを緩めながら、麻耶の目をジッと見つめた。
「何でしょうか?」
心臓をドキドキいわせながら、クールガールの麻耶は大きな瞳で見つめ返す。
「昼間に僕が長谷部さんに絡まれていたとき――どう思った?」
唐突な質問だった。何を訊きたいのかよくわからなくて、麻耶は小首を傾げる。
すると、今岡さんは麻耶の方に自分の顔を近づけて耳元で囁いたの。
「あのとき、桜木くんの大きな瞳が僕にメッセージを送っている気がした――「がんばって」ってね。だから、
自分の顔をスッと麻耶の顔から離すと、今岡さんは何かを考えるような仕草を見せる。ちなみに、麻耶は心臓の鼓動が尋常じゃない状況だった。
少し間が空いて、今岡さんは右手の
「こんなところじゃ込み入った話もできないから、どこか静かな店に連れていってくれない? もちろん僕がご馳走するから」
何これ? 展開、急過ぎない? もしかしたら夢? 麻耶は夢でも見ているの?
今岡さんったら――麻耶の手、引っ張ってるし。誰かに見られたらどうするの? ダメ。もう遅い。後片づけをしている
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます