デコボコなふたり

ふり

1

 入学して3日目にして最悪なことが今まさに起こっている。

 誰かがこの帰宅ラッシュの満員電車の中で、よりにもよって私のお尻をわしづかみにしているのだ。

 なんとか首を回して見てみるけど、わかりそうもない。すし詰めの電車内で痴漢をしそうな怪しげな男は何人かいたが、確証は得られない。もし間違えてしまったら、相手は衆目の中で濡れ衣を着せられ、私自身もどんな目で見られるか――。

 想像するだけでゾッとする。

 誤解だったら相手にも悪いし、減るもんじゃないしなぁ。

 ここはひとまず黙っていよう。そうしよう。一度ぐらいなら、まあ……。駅員さんに押し込まれに押し込まれ、体勢的にやむおえず掴んでしまったのだろう。冷や汗と脂汗がミックスされて出ているに違いない。その人だって不幸だよなぁ。

 なんて思ってたら握る力が強くなってきた。まるでこっちの気持ちを逆なでする行為だ。お尻の肉がもげるって。

 そっちがその気なら許す気もない。ちょっと怖いけど、もう許せる気持ちが吹き飛んだ。

 つり革を掴んでいない自由の利く手を動かし、すし詰めの空間をなんとか掻き分けて変態の手首らしき部分をがっしりと握った。

 とりあえずはこれでいいよね。若干お尻を掴む強さも弱まったっぽいし。あとは次の駅に着いた瞬間に引きずり降ろして駅員さんに突き出すだけだ。

 ……うーん、やっぱり怖い。でももう握ったことで賽は投げられたものだし……。今のところ抵抗という抵抗はないけど、ドアが開いたら思いっきり振り払われて逃げられる可能性もある。

 ネットの情報だと痴漢は逃げたら勝ちらしいし、犯人は明日からこの路線を使わないだろう。交通手段なんていくらでもある。……ということは私は触られ損だ。それは嫌だ。

 だから早く――! 1分でも早く駅に着いてほしいよ。握力なんて限りがあるんだし、もうっ。もどかしい!


「次はー、東新後ひがしにいごー、東新後ー」


 待望のアナウンスが流れてきた。ふだんはなんとなしに聞き流していたけど、今はとてつもなく福音に聞こえる。

 ドアの空気の抜ける音で思わず力も抜けそうになるが、グッと変態の手首を再度握り直してホームに引きずり出した。

 相手の顔なんて見たくない。ホームに2,3歩踏み出した所で私は大きく息を吸い込んだ。


「この人ちか――」


 この人がお縄にかかるまであと数文字というときに、異様な空気を察して口をつぐんでしまった。

 なぜか私に対し、乗客たちの大多数が敵意むき出しの視線を向けてきているのだ。憐れみや同情の視線は皆無に等しい。視線を辿ればそれは、手を握った相手に向けられていた。

 向かざるをえないじゃない。肩越しにそっと振り向くと、そこにはとても清楚でかわいらしい女の子がいた。黒を基調としたセーラー服に、黒髪を三つ編みにして2本の房が背中に流れている。丸い眼鏡の奥の瞳は涙が溜められていた。対する私は清楚のかけらもないギャルメイク。金髪を背中まで伸ばし、制服のスカートを何回も折り込んでミニにしている。

 理解した。私が悪い。悪人。……いや待って、悪く見えるだけだ。被害者なのに。誰がどう見たってこの子が痴漢なんてするわけがない。私もそう思う。ということは。

 間違えてしまった……?

 どど、どうしよう。とりあえず手首を離そう。状況によっては人生初の土下座をしよう。うん、それしかない。それは最終手段だとして、まずは言葉だ。この人ちか――まで言ってしまったからには、続く言葉を……あっ。


「この人、近頃じゃ類を見ないほどの大和撫子ですっ!」


 魂の絶叫。ホームにいる全員が振り向いてしまうほどの、自分でもびっくりしてしまうほどのボリューム。

 少しの間が挟まり、周囲の人間はまだ目を見開いてこちらを注視している。時間がまだ止まっているらしい。有罪か無罪かジャッジが怪しいぞ。私が次取るべき行動がわからない。このままでは時間切れになって、不審者扱いで駅員さんに連れて行かれることだってありうる。ヤバい、次を考えてなかった。ええっと、どうしようどうしよう。


「みやびちゃん、久しぶり。逢いたかったよ」


 清楚な子が私の胸に飛び込んできた。そして嗚咽する。みやびちゃんって誰だろう? この子が察して知り合いのふりして合わせてくれたのかな。細身の体を抱きしめる。


「う、うん」


 周囲をゆっくり見渡すと空気が弛緩していくのがわかる。敵意むき出しの視線が抜けて、微笑ましく見守る人々と呆れたような人々が混ざり合っている感じだ。

 私たちはしばらく再会を喜ぶ女友達同士として駅のホームで抱き合った。

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