二〇+三歳

Kehl

二〇+三歳

「二〇歳のお誕生日おめでとう。


 距離的な問題で君に直接会うことも出来ないこともあるし、柄じゃないけど手紙で誕生日を祝うことにした。電話でも良かったのだが、それだと言いたいことも言えなくなる。まぁ、最後まで目を通してくれると嬉しい。



 二〇歳になった君は、これからの自分にワクワクしていることだろう。だけど、それは一時的なものだと覚えておいてほしい。


 僕も二〇歳になれば自分の目に映る世界は大きく変化し、心の世の中に存在する様々なものの感じ方も一八〇度変わり、僕は大人になるんだ、と期待していたこともあった。


 ところがそんな期待も空しく、僕自身に何の変化も訪れることもなく既に三年が過ぎた。変わったことと言えば、周囲の環境くらいだろう。同い年の友達は皆、就職をして忙しそうにしている。知っての通り僕は未だに学生だ。何も変わっちゃいない。外見だって高校生の頃から変わっちゃいない。そして、内面も、だ。



 そもそも、二〇歳になったところで何も変化することはない。二〇歳の誕生日を迎えた次の日から世界が燦然と輝いて見えるわけでもない。ただ酒が飲めるようになって、タバコが吸えるようになる。もっと言えば、社会的責任なるものを勝手に背負わされるだけだ。


 飲酒や喫煙は二〇歳にならずとも手を付けてしまっている人は往々にして存在するし、今更それを許されたところで優越感に浸れるわけでもない。それに社会的責任を背負わされることに関しては嬉しいわけがない。



 どうして僕は君と同じくらいのこところ、大人になることを期待していたのか分からない。今、思い返してみると不思議でしょうがない。だって世の中の大人たちはまともじゃないじゃないか。皆、自分の経験から物事を仔細らしく僕たちに語り始め、『世間は厳しい』と決まり文句を口にし、仕舞には『みんなこうしてきたのだから、お前たちもそうするべきだ』と僕たちにその厳しさを押し付けようとする。そんな話をされる度に僕は『はぁ』とか『へぇ』などと適当に相槌を打って聞き流しているのだが、正直うんざりだ、閉口だ。君も僕のそんな様子を見たことがあるだろう。



『世間というのは君じゃないか』と書いていたのは誰で、どんな小説だったかな。気になったら調べてみると良い。ともかく僕はその一文に途轍もないほどに同意をしている。世間やみんな、というモノはこの世には存在していない。自分の発言を正当化するためのまやかしの言葉でしかないのだ。そんな言葉を使う人間はろくでもないやつなのだ。



 僕は大人になることを否定しているわけじゃない。ただ、君には二〇歳になったからといって、何も変わらないという事と嫌な大人にはなって欲しくない事、それにこれからの生活で気を付けるべき事を伝えたかっただけなのだ。


これからはなるべく、本ばかり読んで家に籠ることはせず、外に出て色んな経験をするべきだ。君は僕に似て時間を忘れて文字ばかり追っているから、後悔をする前に外に出て遊べ。本を読むのは適度でいいのだ。度が過ぎると、取り返しのつかないことになる。これは僕の経験からのアドバイスだ。だから――」



 ここまで手紙を書いて僕は気が付いた。

 これではまるで僕自身が僕の嫌っている大人そのものではないか、と。

 いつの間にか自分より年下の彼に向けて、経験からのアドバイスをしてしまっていた。そのうちに僕も『世間は~』などと口にしてしまうかと思うと、ブルっと背筋が震えてしまった。


 僕はいつの間にか大人になってしまったのだろうか。いや、そんなはずはない。僕はまだ現実を受け入れることの出来ず、自分に淡い期待を抱き続けている甘ちゃんだ。それに大人にはまだなりたくないのだ。

 


僕は再びペンを動かす。書き直すのも面倒なので、適当に言葉を濁して手紙を締めた。


 

「――まぁ、何はともあれ誕生日おめでとう。君が元気なら僕はそれでいいよ」

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