第8話 ⚪下を向くな、上にも何もない。アレは、まだ、もう少し先だ。

⚪下を向くな、上にも何もない。アレは、まだ、もう少し先だ。


【坂下美華】二週間後(アヒルと鴨のコインロッカー)


 報道部の秋山貴史が昼夜を問わず走り回っている。ピンクのゾンビ。通称ピンキーの取材に奔走している。世間はピンキーの話題に餓えているのだし、現場の状況を自分達が追い掛けるのは当然の事だ。本店の御偉方も勢揃いしてる現状で、寝る間も惜しんで駆けずり回るのは解る。それでも、廊下でスレ違ったのに目線さえくれないのは全てを理解していても何処か飲み下せない。坂下美華は走り去って行く秋山の背中を見詰めてため息を吐いた。

「今日も、フラれたね」

 明石智美が背中を叩く。美華は振り返るとロビーに続く廊下を赤石の後に続いて歩き出した。

「良いんです。まだ、付き合い始めたばかりだし、こんな事態が起こるなんて誰も想像できませんから。でも、ピンキーなんて本当に実在してるんですか?」

 数歩走り寄り明石に届くギリギリの声で問い掛ける。

「私に訊かないでよ。現に自衛隊まで出てきて捜索してるのよ。居るに決まってる。じゃないと関係ない部所の私達まで駆り出されるの、割りに合わない」

「総務でも現場でも同じ会社に勤めてるなら手伝いでもボランティアでも、なんでもしますけど。眉唾ものの騒動に巻き込まれてるのは心地良くなくって。だって、警察も自衛隊も捕まえてはいない。まだ、誰もピンキーを捕まえてない」

 美華は背中で答える明石の声に隠れるようにして騒動を否定した。既に騒動が始まってから二週間が経っている。だが、騒ぎ初日のようにピンク色の人物を目撃した情報は出てきていない。情報が出なければ、代りに憶測が蔓延する。憶測は人々の興味が向く方に傾いて大きくなる。それが世の中の仕組みだ。

「きっと、明るい内は何処かに隠れてるのよ。根拠のないデタラメだったら国が動く筈ないのよ」

「それは、失踪者が続出したから」

 明石が、美華の言葉に立ち止まり振り返る。

「それよ。それこそピンキーの存在を決定的にしてる証よ。こんな小さな都市で、たった一日に数百人も失踪者が出るなんてどう考えてもおかしいのよ」

 一言毎に指差して何かを確認するかのように頷く明石に、美華は曖昧に頷く。だが、考えるほどに結論からは遠退く気がする。六百人を越える失踪者が生死に関わらず見付からないのは明らかにおかしい。同時に、それをピンク色のゾンビに直接結び着けることにも疑問が沸く。失踪者がゾンビなど云う荒唐無稽な存在になっているなら必ず何かの痕跡が残っている筈。街中では、異様な数の警察や自衛隊員が巡回している。ある程度の報道規制が敷かれているのは業界の人間として理解しているが都市機能を完全に保っている小さな街で何か少しでも異常な事が起こればスマホやPCが溢れ返る現代だ。情報を完全に抑える事など出来ない筈。美華は腕組みして明石を見詰め返した。

「確かにおかしいんですけど、そもそも本当のピンキーを知ってる人物なんて居るんですか?」

「知ってるって人が、次から次に現れるから私達まで取材に駆り出されるんでしょ?」

「どうせ、今日も目立ちたいだけの野次馬しかいないですよ」

「それでも行くしかないでしょ」

 明石が微笑んで親指を立てる。美華は微笑み返して答える。

「そうですね」

「そう。例えピンキーに偶然でくわして殺されちゃっても行くしかないのよ」

 明石は泣き顔を作るが、美華は微笑みを崩さず呟く。

「死んでも生まれ変わるだけだって瑛太も言ってましたもんね」

「あぁ! やっと観たのね!」

 言いながら明石が再度叩いた背中の心地よさに美華は嬉しくなった。



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