ミタヨウ

 どうも人の世は生きにくい。俺の性分には合わぬようだ。あっちに行ってもこっちに行っても、人様はこの醜男を笑い、びっこを指差し、吃音に顔をしかめるのが常だと見た。生きにくい場所をなんとか生きて、三十齢なるまで堪えはしたが、何にでも限界というのはある。なに、生まれる場所を間違えた、それだけのことだ。

 試しに崖から飛び降りようと思ったが、崖が近所になかった。田舎なので、高層のビルも見当たらない。仕様が無い。訳の分からぬ薬品で死んでみようとも、不如意な生活を送っている身だ。薬は高価で手が出せない。それならばちょいと刃物で割腹か、それとも首かと考えてみたが、武士でも失敗する、欧州革命期の処刑人でも相当の苦労を要したとなれば、それも失敗に終わるだろう。何よりこの四畳半の神聖なる我が部屋を、己の醜い血で染め上げるのも申し訳ない気がしてやめにした。ここはひとつ、潔く首吊りを選ぼう。

 部屋の真ん中に居座って、ああでもないこうでもないと悶々としていた俺は、ようやく決心を固めて天井を見上げた。

 ──ない。

 首をぐるりと見渡してみても、縄を引っ掛けられる場所が、ない。

 首吊りもできぬのかと肩を落とす。いや待て、諦めるのはまだ早い。何も部屋の中で死ぬ必要は無い。外へ行けばその辺の木の枝でも、いくらでもあるだろう。

 俺はゴミを漁って、適当な長さの縄を引っ張り出した。太さもこれぐらいあればちぎれることはないはずだ。俺の不健康な体重でも大丈夫だろう。

 家の裏は、都合の良いことに雑木林だ。少し足を踏み入れただけで、陽の光が届かず薄暗くなる。なんと絶好の死に場所だろう。

 俺は早速、手頃な木を見つけ、太い枝に縄を吊るす。結び目をきつく縛ると、幹の付け根の凸部に足をかけ、縄に首をかける。鬱蒼と繁った葉叢が、俺の身体に緑の影を落としていた。

 行くのは地獄だろう。人の世で善行は重ねていない。しかし俺にとってはこの世こそ地獄。あの世で暮らすのが、俺には丁度良いのだ。

 息苦しさが俺を襲った。足をばたつかせる。しかしすぐにわからなくなった。目の前が霞んで、何も見えなくなった。


 気がつくと、褐色の土の上に横たわっていた。妙にべたついた砂が俺の顔や身体にまとわりついて、気持ちが悪い。

 起き上がって、土をはたく。はて、と身体を見やると俺は服を着ていない。

 辺りを見回すと、褐色の地が広がるだけで何もありはしなかった。

 なるほど、ここが地獄か。にしても殺風景な場所である。地獄といえば、三途の川の先に、針山、灼熱地獄、血の池がテーマパークのように並んでいるものと思っていたが、そうでもないらしい。当たり前か。誰も地獄に来たことなどありはしない。

 じゃり、という音が背後で聞こえて、俺は振り返った。そして目を見張った。

 振り向いた先に立っていたのは、全身が緑色の──俺、だった。紛れもない、俺自身。

 その醜い顔は毎朝鏡で見ている顔だった。背格好も変わらない。左脚を少し引きずる歩き方も、全く同じだった。緑色であることさえ除けば。そして彼もまた、裸体であった。

「す、すす、すみません。むっ宗方義雄さんですよね。あのすみませんあの、あっ、ぼ、僕もヨシオ言う、者なんです」

 吃りまで同じだった。

「──、──かっ、は、」

 喉が鳴るだけで、言葉は出なかった。最近喋っていなかったのも相俟って、いつもよりも出なかった。

「……」

 ヨシオはその様子を黙って見て、そして黙って手を差し出してきた。その手には何やら手紙が握られていた。

 俺も同じく黙って受け取った。広げてみると、何やら汚い字で書きなぐってある。

『吃音が酷くてうまく喋れないと思います。申し訳ないですが、書面で説明致します。

 貴方は死亡し、今は地獄へ行くか、天国へ行くか、その審判をする狭間の世界におります。今から大王様に審査していただき、その判決を待ちますが、その前にあなたにお知らせしておくべきことが、二点ございます。

 その一。大切なものを、一つ、持っていくことができます。持っていかなければなりません。大切なものを一つ教えてください。

 その二。要らないものを、一つ、捨てることができます。捨てなければなりません。要らないものを一つ教えてください。

 貴方も吃音だと存じております。どうぞ文書でお知らせください。質問もうけつけます。どうぞご質問下さい』

 顔を上げると、ヨシオが鉛筆を差し出した。眉をひそめながらも、受け取る。裏面に、質問を書く。

『大切なものは、今持っているものでなくても良いのか』

 どこからかヨシオも鉛筆をとりだして、その横に返答を書いた。

『今持っていなくても、生前貴方がお持ちであったものなら、何でも構いません』

 また質問を書く。

『要らないものは、今持っているものでも良いのか』

『今持っているものでも、何でも構いません』

『物体でなくても良いのか』

『構いません』

 俺は顔をしかめた。

 うーんと悩んで、それからもう一つだけ質問を書いた。

『お前は誰なのか』



 ヨシオは答えを書いた。




『僕は、貴方が捨てたものです』



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