第18話 アクィナス家
ミリアはひと段落つくと家族と住んでいる丘の上の居館に向かった。
長い散歩になってしまい、帰るのが遅れてしまった。帰るとスベンの食事を用意して、すぐに家族のテーブルに向かう。
朝食のお手伝いをしなければならないからだ。
食堂に行くと妹のソニアがメイドたちと朝食の準備をしていた。
「おはようお姉ちゃん。ちょうど準備できたよ。」
「おはようミリア、早く席につきなさい。」
母親のアーシアが家長の席で促す。
長方形のテーブルにはアーシアの左側に父のナザリオ、続いてミリアと妹のソニアの席がある。その向かいの右側の席にはジョルジュ叔父さんとその奥さんのセレンの席がある、ただ、ジョルジュ叔父さんだけはお仕事で留守だ。
お手伝いをしていたソニア以外の家族は席についてる。
本来ならミリアも朝食のお手伝いをする事になっているのだが、彼女の仕事をソニアかセレンがやってくれたらしい。
待たせた家族に挨拶してミリアが席につくとすぐにメイドが温かいスープを注いでくれる。
ミリアの家族は全員揃って食事をする。もしミリアがテーブルの席につくのが遅れていれば、彼女来るまで朝食を待っていたのだ。
ミリアの優しい家族は何処にでもいる普通の家族だ。
ごく普通に生活している。
ただ少しだけ変わった点もある。この家族は屍術業を生業としてる。
つまり、彼らはゾンビを製造・販売しているゾンビ屋さんであり、現在では非合法とされている職業である。
この屋敷にいる使用人たちは全てゾンビで、農夫なりメイドなりの仕様が施されている。それを研究熱心な父が使用試験をかねて使役しているのだ。
ミリアとしては、食事を作るのだけは人の手が良いと思っていたが、そんな思惑は通らない。非合法な職種になっても彼女の実家のゾンビ屋「エリクサーの瞑眩」は技術革新を怠らない。ゾンビをメイドとして購入するお客様がいる以上、彼ら家族が使用試験をしないわけにはいかないからだ。
「遅れてごめんなさい。さっき工房で騒ぎがあったの。」
ミリアは先ほどの事件を家族に報告した。
特に家長である母と工房のトップである父には報告しなければならない。
ミリアは今日、両親とぜーファンの町まで出かけるので遅れた原因をきっちり伝える必要があるのだ。
「ひっどい!お姉ちゃん、身体は大丈夫だったの?」
「可哀想に怖かったね」
妹のソニアとセレン姉さんはミリアの心配を最初にしてくれる。
セレンは本来は義理の叔母だが歳が近いため、ミリアとソニアは姉さんと呼んでいる。
「お母さん!トニーのやつ解雇にしようよ!許せない!!」
ソニアは怒り心頭だ。まだ13歳の彼女は馬鹿な大人が許せない。
「そうね。トニーには話しておくわ。でも、彼は長年アクィナス家に仕えているの、短慮はダメ。鞭も絶対ダメよ」
「そんな、お姉ちゃん悪くないよ。トニーが悪いもん」
「そうだよ、あのままだと牧場が火事になるかもだったんだよ」
「確かにトニーはダメだし悪いわ。でも、それは分かっている事でしょう?」
トニー研究員の経営者からの評価はこのくらいである。彼の日々の最大の任務は農場で生産された農産物の配達や、工房で必要な物資の買出し、簡単なゾンビのメンテナンスなど使い走りがメインである。
長年働いているので色々な関係者に顔が利く便利なパシリなのだ。
「その場にアルドもコージモも居たんでしょ?火事くらいなら彼らが魔法で消したはずです」
水魔法の基礎があれば、確かに鎮火はできるが、ブレスでどれだけの被害が出たのか分からないのだ。羊だけでなく、農場には生物、非生物と色々いる。
だが、そのミリアの意見を母アーシアは良しとしない。
「何よりもミリア、あなたが直接戦ったことは失敗です。トニーの実験体など無視しなさい」
「それじゃ、子羊が死んじゃう」
「なら、正門まで走りなさい。正門の門塔には衛兵役のゾンビが12体詰めているわ。知っているでしょ?」
工房は正門脇にあるので、確かにすぐ近くの位置に正門があった。
そこには、いざという時のために戦闘用ゾンビが装備を整えて配置されている。 アクィナス家の長女であるミリアは当然、それらのオーナーの一人だ。
「ううぅ、そうだけど」
それをミリアは知っていたが、完全に頭から抜けていたのだ。
「あなたが強いのは分かっているわ。でもね、万が一にも怪我して欲しくないの。トニーの作ったゾンビなんて放置して頂戴」
「ごめんなさい」
ミリアにも心配してくれる母の愛情はよくわかった。
「あなたからも、研究員達によく言ってくださいね」
ミリアには厳しく注意したが、本心は腹に据えかねて居る母アーシアである。
「そうだねぇ。きっと研究員達はトニーの設計だとまともに動くと思ってなかったろうね。ただ、確かに見てみたいユニークな実験体だな。まだあるのかな?」
研究者のトップから見て、トニーの評価はまた少し違う。
彼には、自らのユニークな発想を実現できるだけの力量が無い。 というのが父ナザリオの評価だろう。
「うん、掌打で魂を散らしたけど、いつかは復活すると思う。だからアルドとコージモにフリージングしてもらってる」
「そうか、じゃ出かける前に見学してこよう」
とノンビリした意見の父ナザリオだが、妻のアーシアの視線の熱にようやく気が付いた。
「そうだね、でかける前に叱っておくよ。大事なミリアに怪我でもあったら許せんからね!」
根本的に父ナザリオは、変わり者の研究員達と似ているのだ。下手したら彼も一緒に実験体を作りかねない所がある。
「手早くしてくださいよ。今日は3人でゼーフェンですからね」
「いいなぁ。お姉ちゃんばっかりズルイよ!私も連れて行ってよお父さん!」
3つ下の妹ソニアが頬を膨らませる。
パンを齧りながらなので、頬が膨れている理由は不満からか?パンか?は不明だ。
「私はお手伝いで行くの!あんたじゃ小さすぎて無理でしょ?」
「できるよ!お姉ちゃんが出来て私が出来ない魔法なんて一つもないじゃん!」
「むぅ!」
一瞬むかつくミリアだが、妹の出来が良いのは本当だ。ただ、
「あのね、私はお父さんのお手伝いに行くの!鉱夫用のゾンビのメンテナンスだよ?あんたじゃ抑えが効かないでしょ。この前も調教に失敗して泣かされてたじゃない」
「あんなの半年も前の事だよ!あれからちょっと背も伸びたし、私も行きたい!」
そう言いながら父ナザリオを上目遣いで見るソニア。
「そうだねぇ。」
どうとでも取れる発言をするナザリオ。
こういう時の彼は他の事を考えているのだ。大抵は自身の研究の思索に耽っているので今回もソニアの話は聞いていない。もしかすると、実験体の話を聞き彼なりの構想でも閃いたのかもしれない。
「え!いいの?!」
「いや、ダメでしょ?お父さん話聞いてないよ」
ナザリオは何処を見てるのか分からない目でパンを齧っている。彼の思索は止まる事が無い。彼の研究と度重なる実験によって死者の再生のレベルは上がった。
農夫のミゲルなどは外見だけで亡者だと判断できる人間はほぼいない。一定期間の見た目だけなら、生者と変わらないほどの出来栄えだ。
「ねえ、お姉ちゃん私も行きたいの。ホントに行っちゃダメ?」
「私に聞かないでよ。」
ミリアもソニアとおでかけなら嬉しい。
だが、母のアーシアは街で民会の会合。父はジョルジュ叔父さんと合流してメンテナンスの仕事。普通ならミリアはお供しないが、何故かジョルジュ叔父さんからの指名で町に行くのだ。
プレブスの丘からゼーフェンの町まで20キロほど。整備された街道を竜車で走るので、途中の山道を考慮しても普通に走れば一時間半ほどだ。
ミリアから見たら、ソニアも行ってよいように思えるが、それを決めるのは家長である母だ。
奴隷禁止のツェルブルクでは、その反動か死人の使用は許可制で認められている。その為、ゼーフェンの町で堂々と活動できる。はずなのだが、そうはいかない。街中でのゾンビの製造・販売は禁止されているのだ。
その為、クルツ城でゾンビを製造し、周りに気を使ってひっそりと営業しているアクィナス家である。
メンテナンスも街中では無理なので、顧客の所に出向いて行うか、プレブスの丘に持ち帰って行う。
カツン!
姉妹がお喋りで食事の手を止めていると、母のティーカップが強い音を響かせた。
「二人共早くお食べなさい。ミリアがゼーフェンに行くのはお客様からの要望があったからよね?」
「そうだね。アーシアの言う通りだよ。もう決まった事だよ!」
母アーシアがティーカップを置くだけで、父ナザリオは思索の海から飛び出してきた。婿養子の彼にとって妻の意見は絶対なのだ。
「さあ、ご飯を食べて出かけよう。ミリアはラブの準備をしなさい。お父さんは研究員達と話しをしてくるから」
そう言って、ナザリオはがつがつと朝食を平らげていく。
「お父さん・・・」
ソニアが上目遣いでただ父を見つめる。
普段要領がよく聞き分けがよいソニアにしては珍しく熱心である。
ナザリオは娘達が世界一可愛い男だ。上目遣いは反則すぎる。
彼は一瞬、妻の方を見た。
これは彼にとってはかなり勇気のいる行動なのだが。
「ソニア、商売というのはね。信用第一なんだよ。私はデボルト様から何度も教えていただいたからね。」
一瞬で妻の意図を汲み取ったナザリオはソニアの願いを断り話を終わらせた。
デボルトはミリアの祖父でアーシアの父だ。タイタニアの死霊学者であったナザリオを迎え入れてくれた恩人である。
そして、今年32歳になる母アーシアは老舗のゾンビ屋「エリクサーの瞑眩」のトップだ。その上、若いときから変わらない美貌は父ナザリオにプレッシャーを与え、その優雅なストレートヘアはミリアにコンプレックスを植えつける。
母親としては十分に娘達を慈しんでいるアーシアだが老舗のゾンビ屋のトップとしては厳格そのものになるので誰も異論を挟めないのだ。
母の意思が示されたのでソニアは諦めるしかない。彼女は黙って残っていたパンに齧り付いて食事を終えた。
食事を終えたミリアはラブの厩舎に父の指示通りやって来た。足元にはスベンが当然のように従っている。
「ラブおはよう。今日はお出かけだよ!」
ミリアの言葉にラブは喜びの咆哮で答えた。
その声と喜びはスベンを怯ませ、ミリアの影に隠れさせるほど大きい。
走るのが大好きなラブだが、遠乗りはそんなに無いのだ。ほとんどが近くの街、ゼーフェンが行き先なので2時間も走らない。
ミリアはラブの身体をしっかりと点検する。大きくて逞しい後足、器用に動く小さい前足、太い首にのった大きな頭にはしっかりと牙が生え揃っているし、ピンと張った尻尾は状態の良さを示している。
ミリアはラブの状態を確認してから、手綱とハミを用意した。
「よしよし調子良いね。じゃあ、一緒にお出かけしようね。」
ラブはイシュトバーン産の大型の騎竜。そのゾンビだ。
まだデボルトが存命の時に、研究好きのナザリオが騎竜の死体を引き取ってきたのだ。ドラゴンの再生は実験をするまでもなく極めて困難である事が予想された。
だが新技術獲得に貪欲であったデボルトの判断によりドラゴンゾンビの作成が決定された。
作成にはミリアから見て死んだ祖父、お父さん、お母さん、ジョルジュ叔父さん、ディエゴ叔父さん(現在タイタニア支店を任されている)と当時の研究員が共同で何度も失敗しながら作った。
人間よりも魂も肉体もサイズの大きなドラゴンは小型の騎竜といえども多大の労力と資源を消費したが、現在はラブはアクィナス家の宝物となっている。
本来は肉食のドラゴンだが、ゾンビになると食事は必要としない。また、疲れ知らずなので持久力も桁外れに高い。その為長時間快速で走る事ができ、大変な力持ちなのでかなりの荷を運ぶ事ができる。また、ラブで移動するとモンスターも恐れて近寄ってこないのだ。
ただ、死肉であるので定期的なメンテナンスは欠かせないが、それはアクィナス家の家業なので資源の実費だけで済んでいる。
ミリアも大切にラブを扱っている。騎竜の産地であるイシュトバーンでは、この騎竜を使った竜騎兵という兵種があるそうだが、肉食である騎竜の経費はどのくらいになるのか想像もできないミリアだった。
ミリアは思う。
今の死霊術禁止は絶対間違ってると。
上手く活用すれば人々の役に立てるのだ。
そして、ゾンビは死霊術の入り口に過ぎない。この研究には人々の願いが叶う未来が詰まっているのだと。
もっとも、それは真実を多分に含んでいるが父ナザリオの受け売りだ。
世間知らずのミリアはその願いがどれ程困難であるか、どれほど痛切に追い求められた願いであるかを知らない。
ミリアがラブを荷車に繋いでいるとソニアとセレンがやってきた。
「見送りにきてくれたの?すぐ帰ってくるからいいのに。」
ミリアの言葉にセレンがいつもどおりの穏やかな笑顔を浮かべて大きなバスケットを手渡してくれた。
「うわ、美味しそう。ありがとうねセレン姉さん。」
中身は3人分のお弁当である。
ミリアと父ナザリオはゼーフェンで叔父のジョルジュと会う。
その妻であるセレンの最近会えない夫への贈り物でもある。
セレンは褐色の肌に温和な空気を纏っている。彼女はミリアの右手を両手で包んで祈りを捧げた。ミリアの旅の無事を祈ってくれているのだ。
「大丈夫だよ、セレン姉さん。姉さんこそ気をつけてね。もうお腹が大きいんだから無理しちゃダメだよ。」
セレンは亡き祖父デボルトが伏して連れて来た卓越した念話能力者だ。
アクィナス家が古くから取引関係にある商会の家人だったらしい。デボルトは彼女を養女にするつもりだったようだが、末の息子の嫁になったので義理の娘となった。あまりに念話能力が優れている為、逆に口数が少なくなった女性である。
「お姉ちゃん、実は私も話があるんだ」
「何よ?お父さんもう来るよ」
父の準備ができれば出発である。
「今日の朝さ、何か凄い魔力を感じたの。すぐ消えちゃったけどね」
「凄い魔力って?」
ミリアはまだ13歳の妹を見た。
身長はまだ150センチほどしかない妹なのでミリアが見下げる形になっているが実際にはソニアの魔力は天稟のものだ。それは家族で一番などというレベルの話ではない。父がソニアを魔法大学で学ばせたいと思っているのもミリアは知っていた。
「最初はツェルブルクの王族か誰かかなって思ったんだけどさ。それじゃ変でしょ?そんな王族の噂聞いた事も無いし」
「確かにね。王族だと大げさに噂にするもんね」
もし強力な魔力を持つものがいれば、普通は誇示するのが王族だ。
「それに、魔力を感じて判ったんだけど、距離と方向考えたらツェルブルクじゃないんだ。家とツェルブルクの少し手前だと思う。私の勘だと、ベルム・ホルムなんだ」
秘められたゴブリンの都市ベルム・ホム。かっては存在さえ隠されていた。だが、今は、その名と大体の場所はすでに多くの人々が知る事になっている。
「確かにマキナ山だとその辺りになるね。もしかして、マキナ公とかじゃないの?」
「違うよ~。マキナ公ってずっと居るけど、そんな巨大な魔力じゃないよ。魔力が馬鹿デッカイんだよ。それに短い間にドンドン変化してさ。最後は人の魔力とは思えない形になってるんじゃないかな?」
「なにそれ?怖い。」
「たぶんだけどね、怖くは無いよ。それに人間なのは間違いないと思うの。変わった大きな魔力の持ち主がベルム・ホムにいるよ!」
「それで、ゼーフェンに行きたがってたの?」
「うん、街なら、何か情報があるでしょ。それを確かめたかったんだ。でも、お母さんがダメって言ったらもうダメだから。」
優れているとはいえ、まだ子供で専門の訓練を受けてないソニアが巨大な魔力を感知している。
このプレブスの丘からベルム・ホムまで約200キロ。
つまり、ナガマサが本気の魔力を外で使うとそれくらいの距離なら、ある程度の術者はナガマサの存在を感知できる事になる。
秘匿されていたナガマサの存在は、今朝、この異世界に知られたのだ。
そして、それは静かな水面に石を投げ込んだように、波紋が広がる。
ミリアはソニアの残念そうな顔を見ながら思った。
「それで、その情報を確かめてどうするの?かなり遠くだよ」
姉を見上げるソニアは少しだけ頬を膨らませていた。
「どうって、よくわかんない。分かるのは、たぶん男の子だと思うくらい」
「え?男の子?子供なの?」
「お姉ちゃん、私その人に会ってみたい!見てみたいよ!」
「会ってどうするの?なんで見たいのよ?」
「わからない。けど、どうしても見てみたいんだ」
ソニアは自分の衝動がよくわからない。
もちろん、それを聞いているミリアは妹の情熱はもっとわからない。
「うーん、情報があるかどうかも分からないよ?」
ミリアはソニアの熱量が理解できない。だが妹の為に情報通の友人に話を聞いてみる気になっていた。
「お願い!お姉ちゃん!」
「うん、まあ頑張ってみるよ。居るかどうかも分からない人だけどね。」
ソニアの熱さの前にそう言うしかないミリアだった。
その後、工房での話を終えた両親がやってきて話は終わった。
思わぬミッションを背負ってミリアは自宅の丘からゼーフェンへと向かって出発した。
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