第16話 プレブスの丘にて


 ベルム・ホムから東に約200キロ。


 ルキアノス山脈に近いプレブスの丘の上を少女と大型犬が歩いている。

小高い丘の上からはナウル湖やゼーフェンの街、街道を走る人馬の姿が見える見晴らしの良さである。


 人里離れた彼女の住む丘にもアドニスの黄色い花が咲き誇っている。

 それは長い冬が終わって春が来た事を教えてくれるのだ。


「すっかり暖かくなったね。」


 まとまりの悪い癖ッ毛触りながら、すらりとした金髪の少女ミリアは散歩中の愛犬のスベンに話しかけた。スベンの世話は毎朝の彼女の仕事だ。

 朝起きれば一緒に散歩に行き、朝ごはんを作ってあげる。彼女が9歳の時にからの約束事だ。それは、常に朝の身支度より優先されるのだ。掌に乗るほど小さかったスベンが今はミリアの体重を追い越しても、それは変わらない。


 話しかけられたスベンは大好きなご主人様を一瞬見るが、すぐにふんふんと鼻を鳴らして辺りを嗅ぎまわっている。大きな身体に優しい表情、白い豊かな毛並みはこの丘の寒さなど物ともしない。

 でも、愛犬家のミリアに夜は室内に入れてもらっているスベンにとって朝の散歩道は重要なニュースソースなのだ。


 ミリアが住むアクィナス家はロウハリアとエルスタルを結ぶ街道から少し離れた丘の上にぽつんと建っている。

 かっては街道を扼しアレスタットの国境を守る拠点であったクルツ城がミリアの生活している家である。

 現在はツェルブルクの一部になったため、戦略的価値がなくなって廃棄されるはずだった城をミリアの祖父デボルトが購入したものだ。

 その丘の上の建造物と周囲に広がる農地も彼女の家の地所であり個人の所有物としてはかなりのものだ。そして、それらは全て広大なゴブリン保護区の中にある。ミリアの家族のように保護区の中で生活や事業をしている人々はかなりいる。その業種は様々だが彼らは一様にゴブリン達と上手く付き合っている。

 許可を受けた人々しか入れない地域なので、業種によってはとても活動がしやすい地域なのである。


 ミリアたちは毎朝その広い敷地を散歩している。

 もっともスベンに言わせればどれほど広くても彼のテリトリーの見回りに過ぎないのだろうが。

 そして、スベンが毎日見回りをせねばならないほど彼のテリトリーは変化が多い。


 早速、怪しい男を発見したスベンは猛然と吠え掛かる。

 彼は大好きなご主人様を守らなくてはならないのだ。


「スベン、吠えちゃダメだよ。それミゲル。うちの使用人だよ。」


 早朝から畑に出ている働き者の農夫はゆっくりとした動作でミリアに頭を下げた。

「おはようございます。ミリアお嬢様。」


「おはようミゲル。今年の顔は若いね。なんか年々若返っているみたいだね。」


「ありがとうございます。」

 そういってミゲルはもう一度ミリアに頭下げてから仕事に戻った。


 ミリアはミゲルの仕事を観察しながら、家業の順調さを思った。スベンと毎朝散歩をしていると自然と農場の仕事は目に入る。


 既にミゲル以外の使用人たちも、それぞれの仕事に取り掛かっている。その動きは自立的なものであり、高い技術に裏打ちされている。

 なぜなら、この農場の使用人は全てゾンビでありアクィナス家の財産である。

 ミリアの実家であるアクィナス家では、屍術業を生業としてる。

 つまり、彼らはゾンビを製造・販売しているゾンビ屋さんであり、現在では非合法とされている職業である。

 

 多様な取引先に対応する為、ミリアの家の農場は規模の割りに多彩な事業を行っている。使用人たちがそれらの業務に対応できるか否か を判断しなければならない。

 そこで、農場での仕事でゾンビに不具合が無いか仕様試験を兼ねて農作業をさせているのだ。

 使用人たちは全て自発的に仕事をしている。彼らが最初の指示を受けただけで、どれだけ自動的に動けるかが問題であり、その為の試験でもある。

 

 数え15歳の彼女は豊かな金髪をスベンとの散歩中にまとめた。これも毎朝の習慣だ。彼女のくせ毛は自己主張が強い。

 ミリアは自分の髪と身長をマイナス材料だと感じている。どちらも長身痩躯で癖毛の父からの遺伝である。実は髪の毛をまとめるような細かい作業は苦手なのだ。いつも通り朝は苦労しているミリアに、やはり時々おきる騒動が聞こえて来た。


 ミリアとスベンが顔を見合すと、何が大きな物が倒れるような音が響く。

 

「止まれー!危ない!!」

「戻れ!戻れって!!俺がオーナーだぞ!!」


 ミリアの耳に聞き覚えのある声が工房の方から聞こえてくる。朝のこの時間に研究生達が工房に居るということは、また徹夜で実験をしていたのだろう。


「しょうがないなあ、もう」


 スベンは早くも工房の方へ駆け出しており、途中で振り返ってミリアが来るのをそわそわしながら待っている。

 ミリアの騎士である彼はご主人様を置いて現場に行くわけにはいかないのだ。


 スベンの希望通りミリアは彼を追った。工房は外壁の正門脇だ。そこに作られた門衛棟・兵士の詰め所兼倉庫を改造して作られている。ミリア達家族が住んでいる居館からはかなり遠い。ミリアが様子を見る必要があったからだ。


 ミリアが工房前に駆けつけると双頭の変なモンスターが蠢いていた。立ち上がっては倒れ、牧場の方に移動してはすぐに元に戻る。不思議な行動を繰り返している。

 それをアルドとコージモの凸凹コンビが近くで見ている。

 ミリアは一瞬二人がモンスターを止めようと努力しているのかと好意的に受け取った。


「見ろ。やはり二つの魂の並列は無理がある」

 長身で痩せ型のアルドの指摘通りモンスターは動きはまともだが、不思議な行動を繰り返している。

「然り。おそらく二つの魂による身体の操作がバラバラ故だ」

「左様。やはりトニーさんの設計は杜撰であったな」


 小柄で丸い体型のコージモはアルドの指摘に大いに肯く。

「然り。我らが担当した魂の再生は完全なようだ。だが、、、」

「左様。それゆえオーナーのプロトコルが通用せんな」

 オーナーの命令を聞くには命令を受ける主体が統一していなければならないからだ。モンスターの体内で二つの魂が拮抗しているのか?それは彼ら二人が観察している課題である。


 二人共まだ24歳の研究員で此処には4年もいる学士だ。

 ミリアの聴力にしっかり二人の会話が聞こえている。大型モンスターが工房の柵を壊し牧場の羊達の方に向かっている。放置すれば羊に大きな被害が出る。

 だが、全く止める気はない。というより、羊より自分達の研究が大切。だからモンスターの掣肘はしない。



「これは何?」

 ミリアはため息をこらえて遠巻きに状況を眺めている女性研究員キッカとドロテアに尋ねた。


 スベンも猛烈にモンスターに吠え掛かる。その鳴き声でミリアが来た事を察したアルドとコージモも事態の収拾を図る。だが、彼らの手に負えないからこそ騒動になっているのである。

 彼らが必死になったとしても、そうそう状況は変わらない。 


「こ、これはお嬢様、、、今日はお出かけなのでは?」

 キッカがおどおどと言い訳とも説明ともつかない発言をする。

 ドロテアは全く動じていないが。


「別に怒ってないよ。様子を見に来ただけだから」


 もちろん、父であり彼らの師匠であるナザリオには報告する。だが、ミリアが彼女達に偉そうにする事はない。

 いずれも、ミリアより歳上だというのもあるが、彼らは貴重な彼女の実家の従業員なのだ。

 彼女の実家の稼業であるゾンビ屋は魔王禍により規模の縮小を余儀なくされていた。魔王ネビロスが死者の軍団を操り猛烈な戦火を引き起こしたからだ。

 それまでも、決して良い顔はされていなかったが、ゾンビ屋はそれなりに受け入れられていた。魔法大学でも魔術の一つとして死霊術は外されないものだった。

 だが、現在においてもタイタニアでは死霊術は全面禁止。祖父デボルトは祖国を捨て拠点を海外に移す決断をする。かっては数十人もの従業員を抱えていた老舗のゾンビ屋であるミリアの実家も今では、主任研究員のフェデリコ以下、ベテランが一人、若手が4名だけという寂しさなのだ。  


「今日はフェデリコも家族でお出かけだから、あなた達もオフなんでしょ?」


「はい。ですので、男の子達がどうしても研究したいって、、、」

 キッカがおずおずと顔を伏せて話す。大きな丸めがねと切り揃えた短髪が特徴的な女の子だ。まだ19歳だがドラゴン愛に溢れる才女だ。ドラゴンの研究がしたくて魔法大学に入り、ドラゴンの召喚が個人の魔力では無理だと悟ってアカデミーを辞めた。

 机上のドラゴン学ではなく、実学を志した彼女は此の地にやってきた。ミリアの実家がドラゴンゾンビを扱ってると知ったからである。ドラゴンを研究したくて此処で働いている変わり者である。


「あれ?キッカちゃんもノリノリだったよね?もちろん私も喜んで研究に加わっております。あの綺麗な毛皮を見てください。私がやったんですよ。元の身体より大きいから再生させるのが大変でした」

 栗色の長い髪をポニーテールに纏めているドロテアがミリアの目を見て話す。大人で美人の彼女には自然と気圧されるミリアだった。

あのモンスターはやはりゾンビらしい。そしてその外皮の形成はドロテアが担当したようだ。彼女は此処に来て2年目の26歳。女医から転向してきた変り種だ。ミリアの実家のゾンビは美麗な事でも知られている。ドロテアは、肌の再生、つまり若返りを研究する為に此処で働いている。


 だが、別にミリアは怒っているわけではない。そんな権限はミリアに無い。事態を見極めに来たのだ。

「別に責めてるわけじゃないよ。オフに自分の研究は立派だもんね」


 昨日までは仕事だったはずだ。それなのに翌日の休みを利用して即座に自分達の研究をせずにはいられないほど熱心な青年たちなのだ。

 ミリアが言う事など何も無い。

 だけど、制御不能のモンスターを放置するわけにもいかない。事態を見極めて対策を出さないといけない。経営者の家族はミリアだけなのだ。

 

 よく分からないモンスターはちっともまともに動かず、騒ぎは収まりそうになかった。ミリアには危険度もよく分からないから対処すべきかどうかも判断できなかった。

 今日は両親と一緒にミリアも出かけるのだ、いつまでもグズグズしてはいられない。このモンスターが見掛け倒しなら無視したい所だが、正門近くなのはマズイ。竜車で出かける時に事故が起きるかもしれない。


「アルド。コージモ。これは何?」

 ミリアは先ほどから大汗をかいている男性研究生の元に歩み寄る。

 スベンも吠えるのをやめてミリアに付き従う。


 近寄ってきた師匠のお嬢様に挙動不審になりながら、アルド青年が答える。

「はい。えっと、ケルベロス的なゾンビです。二つの魂と肉体の融合の実験です」


「魂の馴致は上手くいったと思うんですが、どうも同時に動けないみたいなんです。オーナーのプロトコルも効果があったり無かったりでして」

 コージモ青年もミリアに説明する。


「そうなんだ。それで設計者はどうしたの?」

 どうやら難しいゾンビを作成したらしい。だが、彼らだけでやるにはかなり大掛かりだ。つまり、この騒ぎのリーダーがいるはずなのだ。


「ああ、トニーさんなら工房の入り口で伸びています」

「いつも通り高い理想を持って行動されていました」

「左様。いつも通り現実が追いつかない結果となっております」

「然り。故に何の戦力にもならないので放置しております」


 アルドとコージモ コンビの説明でミリアは事態を理解した。

 最初にミリアとスベンが聞いた声。大声で『止まれー!』とか『危ない!』と叫んでいた声が今は聞こえない。その声の主、ベテラン研究員トニーは気絶しているのだろう。


 そして、それを知りながら後輩達から無視される男。


 ミリアは確信していた。

 間違いなく彼が騒動の主犯だと。

 彼を起こしたら絶対面倒くさいと。


 ミリアも研究員達と同じ結論に達した。このまま彼には気絶していてもらおう。彼女は今日、時間が無いのだ。

 

「アルド、コージモ、あれぶっ壊すよ。いいよね?」


 その言葉に二人は目を見交わす。

「あの実験体のオーナーはトニーさんです」

「然り。我々は協力したのみ」

「左様。故に我らに決定権はありません」


 そんな事はミリアだって分かっている。

「二人共よくみて、あのゾンビは羊達の方に向かっているよ。損害が出たら責任取れる?二人は前回の事を覚えいるよね?」


 言葉に詰まった二人にミリアはさらに問う。

「今、此処にはお父さんもフェデリコ主任も居ないよ。トニーは伸びている。誰が判断すべきかな?」


 父ナザリオの同門のアカデミー出身の秀才の二人もまだ若い。責任を問われる判断は身が重い。

 個人で判断できなければ、経営者の判断に任せるしかない。二人がミリアに同意しようとした時、甲高い声が響いた。


「待った!アレは俺が投資した作品だ!新型兵器であり芸術品なんだ!!」

 小柄で痩せた男が小走りにミリア近寄ってきた。

 既にこの工房に20年以上いる古参の研究員トニーである。



この異世界アランソフは魔法という奇跡の杖を持った人々により、生物の魂が資源となっています。

 時に誠実に、時に懸命に、時に勘違いしたりして、その資源を活用しています。その一つが屍術業。つまりゾンビ屋です。

 



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