第6話 春の訪れ、迷いドラゴン
ゴブリンの都市ベルム・ホムは、大三叉路と呼ばれる天然の交差路部分を境に内部を上層・中層・下層に分けられている。それぞれ天然の洞窟部分を利用しながらもゴブリン達の手によってかなりの部分を増設・補強されている。
その外観は普通の山肌になっており一見して多数のゴブリンが生活しているようには見えない造りになっている。
つまり、外敵に発見されないように外観を擬装していたのだ。
ただ、現在ではベルム・ホムの外側には難民として此の地に来た人間達の家々がある。さらにそれを囲む防壁が村の様相を示しており、さらに彼らが耕す農地が広がっている為、その擬装にはあまり意味がなくなっている。
実は、魔王が倒され魔王軍の脅威が去った後の方が、人間同士の凄惨な戦いが起こった。魔境の発生とその拡大により、人口の大移動とそれに伴う争いが頻発したのだ。
そして、マキナ山のゴブリン保護区に迷いこみ先代女王ラルンダに保護された難民たちとは、戦火や争いを避けてきた民衆達だった。
そして、先代女王ラルンダが受け入れた難民の達は、それぞれなんらかの技能を有していたので、ラルンダは彼らを優遇した。
結果的にベルム・ホムのゴブリン達は高い技術力を獲得し、その力は女王ラルンダの実力となって彼女の政治力を強化させた。
そして、それはマキナ山の女王である彼女の権威を高めてゴブリン保護区の権益は守られることになる。
だが、ベルム・ホムにやってきた難民がゴブリン達にもたらしたのは高い技術と小麦だけではなかった。
☆
ナガマサがユルングに頼み事をした翌日。
今朝もナガマサは他人の記憶の海を漂っていた。
それは知らない自分の夢。
早朝の自室で寒さに震えながら、机に向かう少女。
イザベラは朝型だったらしい。
そして、彼女は懸命に知識を頭に叩き込んでいた。
「腎は志気を蔵す。志気は精を生み、精神活動を支える。大地の力を得るのも志気である。腎の気は虚すると、体の冷え、腰の弱
イザベラの強い意志と集中力、
勉学に励むイザベラ。
だが、強いモチベーションの記憶はイザベラの感情も呼び覚ましていく。
その源流となる感情、彼女の屈辱の記憶がナガマサの意識に侵食してくる。
夢の中にいるナガマサは何の抵抗もできない。
何度も見せられた悪夢がまた始まる。
子供の原色の感情と無垢な残酷さが無抵抗なナガマサを弄る。また今回も身動きできないナガマサの心に悪意がフルスイングで殴りかかってくる。
カンカン! カンカン!
??
カンカン! カンカン!
何故か例えではなく、本当に2回音がする。
そう気が付いた時、ナガマサは覚醒した。
「おはようっす!ナガマサ様!すごい呻き声っすね。起きてるのかと思ったっすよ」
ナガマサの目の前にはヤンスがいた。うなされていたナガマサの目を覚まさせる為に必要以上の大声で挨拶していた。
状況が飲み込めないナガマサは寝汗でグッショリ濡れた顔をヤンスに向ける。
「おはよう。なんでヤンスがここに居るんだ?」
此処は、ナガマサが宛がわれた宿舎だ。
ヤンスはナガマサがベルム・ホムを出るまで男ゴブリンの居住区にある薬師たちの宿舎で生活をしているはずなのだ。
丸顔に大きな眼を光らせている。何か楽しい事が有った時のヤンスの顔だ。
「カンカン って音聞こえるっすよね。これドラゴンが飛んできた合図なんすよ。それでナガマサ様を起こしに来たんすよ。用意して欲しいっす」
「ん?この音って警報なのか?」
目が覚めた今も鳴り響いている。ベルム・ホムの外側に寝泊りしているナガマサに聞こえる警報?
「そっすよ。春になるとたまにドラゴンが飛んでくるんす。農場で働いてる人間を食べにやって来るんすよ。」
大きな眼を光らせてヤンスは笑う。このゴブリンはいつも楽しそうだ。
「一年ぶりのドラゴン狩りっすよ!」
ナガマサはようやく事態が飲み込めた。
「やべぇ。用意してもらった装備どこやったっけ?」
「ああ、装備とかいいっすよ。ここ建物屋外だから危ないっす。ナガマサ様がドラゴンがに襲われないように中に避難して欲しいんすよ。族長が心配してるんすよ」
そう言われて見るとヤンスもいつのも薬師の作業着である。カンカンと警報がなり続ける中、ナガマサはようやく冷静さを取り戻した。
この警報は屋外で作業している人たちに避難を促す為のもの。ベルム・ホムがゴブリンだけの住処で会った時にはドラゴンは来なかった。
ベルム・ホムが難民を受け入れた時、ゴブリン達は高度な技術と共にドラゴンの襲来を受け入れる事になったのである。
「ラーテルも心配性だな。俺がこの建物に寝てたってドラゴンから見えないだろ?」
ナガマサは急いで着替えながら、初めて見る生ドラゴンに少し興奮してた。さっきのまでの悪夢を吹っ飛ばす期待感だ。
ラーテルとは、数々の武勲を立てたゴブリンの英雄。現在のベルム・ホムのゴブリン達の長、族長である。今は若者に説教と自慢話をするのが大好きな老ゴブリンだが、ナガマサはこのラーテルにとても気に入られていた。
この老ゴブリンの語りはかなり上手い方なのだが、このベルム・ホムの男ゴブリンは例外なく何度も何度も彼の英雄譚を聞かされている。
どんな面白い話でも何度も聞かされたら苦役でしかない。誰だって何度も繰り返し聞きたくはないのだ。
だが、このベルム・ホムに来たばかりのナガマサはラーテルの昔話を真剣に聞いていたのだ。なにせ初めて聞く話ばかりだったからだ。
「ナガマサ様、ドラゴンに限らず魔物が人間を襲う時は血肉だけが目当てではなく魔力を含めた精気という生命力を欲しています。飛竜の立場から見れば高い魔力を持つ人間の方に引き寄せられるでしょう」
常に傍に控えるクリスが解説をしてくれる。彼は無口ではあるが喋らないわけではない。そして、常に幽鬼の如くナガマサに付き従う。まあ幽鬼なのだが。
「そうなんすよ。餌になるなら狩りがしやすい場所で寝てくれって族長が心配してるんすよ。みんな久しぶりのドラゴン狩りなんすから」
「そういう心配かよ!」
ナガマサがラーテルの真意に気付いた所で、イザベラが壁抜けして部屋に入ってきた。
「ナガマサ様、本当にドラゴン来ましたよ。今、マキナ山の上をグルグル回ってますよ。最初にドラゴンを見つけたゴブリンって凄く目が利きますね」
イザベラがゴブリンの能力に感服する中、ナガマサは靴紐をしっかり足首まで結ぶ。ゴブリン達がナガマサの足に誂えてくれた逸品だ。
「よし、終わり!待たせたな行こう!」
「じゃ、案内するっすよ。皆エントランスに集合してるす。ナガマサ様にも来てもらって怪我人の対応お願いしたいそうっすよ」
「なるほど、そういう事か」
ヤンスを先頭にナガマサ達は移動を開始する。ヤンスは足の速いゴブリンなので、本気で走られるとナガマサにはかなり厳しい。
その為、少しだけ余裕をもってヤンスが走る間にゴブリン達の話を少しします。
☆
この小説では大きく分けてゴブリンは2種族あります。土ゴブリンと森ゴブリンです。
どちらも人間から見たら同じに見えるので他国では共に討伐対象になっている場合が多いです。
土ゴブリンは洞窟やダンジョンに住むというか、ダンジョンを掘って住居を造り生活している筋肉ムキムキで棍棒を持ってうろうろしているようなマッチョな種族です。ゴツイ体格をしている割に手先が器用で元来鍛冶や工芸なども得意としていました。
高い穴掘り能力と土属性を見込まれて鉱夫になったり、マッチョさを買われて兵士として人間と契約する事(契約の形態は色々)も多い種族で、ゴブリン内での多数派です。
森ゴブリンは長大なルキアノス山脈の周囲の広範な森林地帯に住む種族で、洞窟に住むことはあってもダンジョンを掘ることはありません。
聴視覚に優れた剽悍な種族で、比較的に細身で弓矢を得意な得物としています。
森の中に住みかなり広い活動範囲を持つため、コミュニケーション能力に優れ、語学が堪能な者も多い種族です。
山ゴブリンよりも小柄で細身、比較的耳や目が大きいのが特徴です。
ゴブリン内の少数派で、ベルム・ホムでも全体の3割程度で、ヤンスやイタドリ率いる薬師部はほとんどがこの森ゴブリンです。
ベルム・ホムの先代女王ラルンダは配下のゴブリンを一つにすべく種族間の融和策を取りましたが、そう簡単に種族の間の垣根は無くならず現在に至っています。ナガマサもベルム・ホムで過ごすうちにゴブリン達の見分けができるようになっています。
☆
ナガマサ一行がヤンスの誘導に従い、大三叉路を経て巨大なエントランスに辿り着くとゴブリンの兵士達がひしめいていた。
大声で呼び合う声が行き交い、戦時の編成を行っているのだ。ベルム・ホムには専業の兵士など僅かしか居ない。その彼らはレダの護衛の為、この地を離れている。その為、普段と違う編成を組んでいるようだ。武装しているのは、普段はそれぞれ別の仕事している若いゴブリン達だ。
精鋭無しで不安感があるはずなのに、各々の武装に身を包んだ彼らからは、強い高揚感を感じるナガマサだった。
例えるなら、祭りの前。ライブ前の観衆達のようだ。ナガマサが想像していた戦いの前の悲壮感や断固たる決意なんてのは無いようだ。
「おい、ヤンス、ドラゴンて弱いのか?なんかコイツら浮かれてるぞ。」
「空の王者っすよ。強いに決まってるっすよ。でも、うちの兵士達は経験豊富な猛者揃いっすもん」
毎年のようにやってくるドラゴンを処理してるのだから、ヤンスの仲間達への信頼には根拠がある。
「それに今日はチャンスなんす!皆張り切ってるんすよ!」
「は?チャンス?」
「今日はレダ様の護衛で精鋭達が出かけてるでしょ?あいつら強いからっていい所全部もってちゃうんすから」
「何の話?さっぱり話が見えないんだけど」
「鈍いっすよ。ほら、エントランス上部の通路を見るといいっすよ」
「上?」
この巨大エントランスは床面積も広いが、吹き抜け部分も大きい。その為上部に通路があるのだが、暗い上に近眼のナガマサでは全く見えない。
その場合、ナガマサは意識もせずに指輪の魔力を使う。魔法を使うと意識しなくても、新しい知覚のようにナガマサはこの魔法を使用している。
レダに教わった指輪の事情と性能。
そしてクリスの意見に従って調べた自身の性能調査により、ナガマサはかなり指輪の能力を把握していた。そして、最も使いこなしていると判明したのが、この周辺把握の魔法である。
ナガマサの右手の中指にある指輪。
これの前の持ち主ネビロスさんは全盲の医師だったそうだ。本来の用途は医療用の魔法アイテムなのだが、この指輪そのものが高性能なアイテムなのだ。
この指輪は2種類の棒状の金属が互い絡み合い指輪の形状をしており中央に黒い石が嵌った作りになっている。
ナガマサは特に綺麗でもない黒い石が嵌っているのを不思議に思っていたのだが、この石は後家石という希少な物で魔力というエネルギーを消費してメモリーのように使う事ができるのだいう。
前の持ち主は指輪に幾つかの魔法の術式をインストールしたらしい。
だから、この指輪を身に付けると装備した者に魔力(MP)があればそれだけで魔法が使える。
そして、この指輪は、前の持ち主が全盲のハンデをカバーすべく周囲の状況を把握する魔法を自動的に行使するように設定されている。
実はナガマサはこの世界に来てすぐに魔法を使っていたのだ。彼が暗闇で一度も転ばなかったのは偶然ではない。
何もしなければ自動的に自分の周囲の状況を把握し、ナガマサが特定の位置を意識すればその周囲の状況がつかめる。
ナガマサとネビロス、この二人は共通点が多い。魔法の特性が同じ。珍しいスキルの保持者である点、程度の差はかなりあるが視力の不具合、実は背格好がほぼ同じ。その為なのか、ネビロスが自分用に設定したこの魔法はナガマサに物凄く馴染んでいる。自分が魔法を使っていると気が付かないほどに。
単純な仕様の魔法だと言っても、それなりに錬度は必要なはずなのだ。それこそファイヤーボールの魔法のようにだ。
ともあれ、ナガマサは周辺探知の魔法をエントランスの上部に展開する。
「うわ、ゴブリン娘が鈴なりになってるぞ?」
「わかったすか?ドラゴン狩りはベルム・ホムの目の前でやるんすよ。皆見てるんっす!バジャ様とか精鋭たちが居ない今日は誰もが目立てるチャンスなんすよ!」
「なるほど。士気が高いというか、あがるよな」
とっくに仕事している時間なのにゴブリン娘たちは上に固まっている。それぞれ意中のゴブリン青年の凛々しい戦士の姿を見に来てるようだ。
ゴブリン娘達の視線を受けて兵士達の士気が盛り上がるの見計らっていたように、ドラゴンの革鎧を着た族長ラーテルが現れた。
「皆のもの!待たせた!戦士らの勇気をワシに聞かせい!」
「おお!」
歴戦の勇士ラーテルの登場に兵士達が歓呼で答える。
「既に先遣隊が人間共をシェルターに避難させておる。作戦はいつも通りじゃ。水濠を利用して手筈通りシェルターを囲め。飛竜がシェルターの人間共に食い付くまで焦るな!」
朗々としたラーテルの声がエントランスに響く。毎年のようにドラゴンがやってくるようで、誰も作戦には異論が無いらしい。
「念話とやらの魔法道具で直接声がかけるぞ。ビビッて声を出すなよ!」
ラーテルの言葉に兵士達から笑いが起きる。ナガマサは知らないが、どうやら有名な誰かの失敗談らしい。
「よし!出撃前にワシの顔見ろ!どうじゃ?男前じゃろ?」
ラーテルの自虐ギャグにまた笑いが起きる。どうやらお決まりのフレーズらしいが、ラーテルの顔は幾つ物の古傷を負った老いたゴブリンだ。何処をどう見てもイケメンじゃない。
「じゃが、ワシがずっとモテモテであったのは、誰もが知っておるな?」
軽い笑いが興るがそれが収まってから、ラーテルはドラゴンの鎧を誇示するように両手を挙げる。
「今日の戦いでドラゴンを仕留めた者はワシと同じ称号を手にするじゃろう。我が兵士達よそれは何じゃ?!」
「ドラゴンスレイヤー!!」
ラーテルの両手を挙げての問いに、兵士達は拳を突き上げて答える。
「よし!出陣じゃ!ドラゴンを逃がすなよ、一度で仕留めるんじゃ!!」
ラーテルの声に従い正門が開け放たれ、兵士達が次々と出陣していく。
何故、このエントランスが巨大に作られているのか?
何故、床面積だけでなく吹き抜け部分も大きいのか?
それは、このエントランスにはベルム・ホムの武威を示す巨大飛竜の骨格が飾られているからだ。
その全長30メートルにもなる大飛竜。それを屠ったのが若き日のラーテル。
彼はそれにより先代女王ラルンダからドラゴンスレイヤーの称号を得ている。
ナガマサは、ゴブリン達の出陣の様子に少し感動していた。ゴブリン達がシェルターを作って人々を守り、自ら命がけで戦う事を知ったからである。
「ナガマサ、少しいいかな?」
ちょっと胸を熱くしているナガマサに声をかけて来たのは、カシアだ。
薬師の若手達のリーダー格であり、ナガマサも色々と世話になっている。
「俺と同期のケアンだ。出陣前にどうしても話したいそうだ?」
「うん?いいけど」
そう言ってしまってからナガマサは気付いた。
戦闘前に突然名前付きで出る新キャラ。
まさか将来の夢とか聞かされるんじゃないだろうな?
それはアカン!アカンやつやで!
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