第8話 事件の帰結と約束。






結婚式のあと、菜穂香から聞いた連絡先。

何度もそこに連絡をしてみた。

あまりしすぎると迷惑を掛けてしまうと思って毎日一通ずつ。


「今週は予定が空いたから来るならおいで」

「そっちはどう?」

「連絡くれたら嬉しいわ」

「菜穂香?」

「ねえ、大丈夫?」

「菜穂香、何かあったんでしょ。絶対に助けてあげるからね」

何度連絡したって返信が返ってこない。


康隆に連絡を取って内情を探らせ始めた。

康隆はすぐに了承。

その三週間後、連絡が来て話を聞いた後、私は怒りで何も考えられなくなった。


結婚式の翌日以来、菜穂香は工場で監禁され男達の鬱憤晴らしの道具にされている、との話だった。

事の発端は結婚をすれば自分のモノに出来ると思っていた誠と愛されていることや命の大切さを尊び、自分の意思を曲げようとしない菜穂香の対立から始まった。

自分のモノにならないことを悟り、一気に菜穂香への興味を失った誠は菜穂香を無理矢理眠らせると部下達に運ばせ工場に監禁したらしい。

あとは菜穂香を監禁したまま暴力を振るうなり、手を出すなりで酷い有様だそうだ。


「あの男……!」

清香は康隆のパイプから警察に要請を出し、菜穂香が監禁されている工場に向かった。


工場で見たものは今でも忘れられない。


ボロボロな体でクレーンに吊るされたままの菜穂香だった。

裸体には淫辣な落書きが施され、体のあちらこちらにはアザも見えた。


都合のいい時だけクレーンを下げていたのだろう。

菜穂香が吊るされている真下には血痕や体液。そして、潰れた何かも見えた。


清香にはその何かが何なのか分かった。

まだ成熟し切ってない胎児だ。

何かしらの器具を使って無理矢理引きずり出されたのだろうか。

それを考えただけでも吐き気を催す。


私は傍で嘔吐した。



口に残った吐瀉物を飲み込みながら恐る恐る首を上にあげながら吊るされた菜穂香を見た。


そして今更ながら焦りが込み上げてきた。

声にならない声で叫んだ。

「早く助けてあげて…」


清香と同じように目の前の惨状に茫然としていた警官たちが一斉に動き始めた。


まずクレーンを下げ、菜穂香を下に下ろし、腕の拘束を解いた。

清香は自分の着ていたコートを菜穂香に着せ、工場を後にした。


菜穂香を見る。

開いたままの目は色を失っている。

何度も何度も嘔吐を繰り返したのだろう。口からは胃液の匂いばかりがした。


警官に乗せてもらって急いで病院に向かった。


医師からの診断はこうだった。


「不知火さんの子宮は既に機能をしていません。これでは満足に子どもを産めないでしょう。」


「そしてそれだけではなく、一ヶ月間腕を縛られていたせいか手が壊死しかかっています。回復には一年ほどかかるでしょう。」



やっと命の大切を知り、次に出来た子は大切に育てるのだと言っていた菜穂香が子どもを産めない体になってしまった。

どうして…こんな…。


目を覚ました菜穂香はどうなるのだろうか。こんな体になってしまったことに絶望しはしないだろうか。


そんなことを考えている時に大学生になった大翔と剛の二人を連れて康隆がやって来た。

三人に菜穂香のことを聞かせると康隆は冷静に対処を考えようとしたが、二人は苛立ちを隠せずに誠をどうにかしようと言い出した。


私は我慢が出来ず、康隆の胸の中に飛び込み泣いた。



次の日、菜穂香は目を覚ますと明らかに様子がおかしく、精神障害を患っていた。まともに話も出来ず、寝ているだけの毎日。

そんな菜穂香に執刀医の女性は優しく看護をしてくれ、寄り添ってくれていた。



それから一年が過ぎた頃。

精神障害は残っていたものの菜穂香は話せるようになっていて病室に入ると執刀医と楽しそうに話をしていた。


菜穂香が寝たのを見計らって、清香は執刀医の女性と話をする。

彼女の名前は赤安由紀菜という名前らしい。

彼女は結婚したばかりでまだ妊娠は未経験で菜穂香の話を聞いて妊娠への不信感が高まっているそう。


この人のおかげで菜穂香が笑顔を取り戻したのだ。

そう思うと感謝しかない。


まず感謝を伝え、そのあと菜穂香の状態について話を始める。

幸いにも壊死しかけていた腕は動くようになり、目も光を宿しているから安心だとのことだ。

ただ、子宮の損傷については治るのは難しいとのことだった。

その話をした後で由紀菜は菜穂香の体外受精による出産方法を勧めてきた。


菜穂香の体内に残っている受精卵を保存し、他人の胎内に送ることで産ませる方法。由紀菜は菜穂香の体内から受精卵が確保できたと言っていた。


これは菜穂香が起きた後で本人と話し合わねばやっていけない話だが、全く希望がないわけでないのがとても嬉しかった。


これで菜穂香が希望を見い出せたなら…


「絶対に嫌。私の子どもは私が作るもん」

精神障害の影響で子どもっぽくなってしまった菜穂香は体外受精による出産を拒否した。


「だって、そんなの私以外の人に迷惑を掛けちゃうじゃん……。既に由紀菜さんにたくさん迷惑を掛けちゃって、申し訳ないのにさらに他の人になんて……」


他人に迷惑を掛けたくないから体外受精はしないと断固として意見を曲げようとしない菜穂香。

そんな彼女はとても相変わらずだった。それが何より嬉しく思えてしまった。


「でも、そうでなければお子さんが出来ないかも知れません。不知火さん、出来るうちにしておきましょうよ。何事も後悔するのは悔しいですよ。ですから……ね?」


由紀菜が笑顔でそういうとこれだけ曲がらなかった菜穂香はすんなり体外受精を承諾した。

「あの笑顔には勝てないなあ……」と言わんばかりに渋々の承諾をした菜穂香は母体となってくれる女性を探すことになった。


こうして一年過ごすうち、誠は一度もこの病院を訪れることはしなかった。

本当に菜穂香への興味を失ったんだろうか。





それから約五年の月日が流れた頃。

ある一人の女性が母体となることを承諾してくれた。


その女性の名前は本郷楓。


ちょっとしたお金持ちの家に嫁入りしたらしく、子どもがたくさん欲しいとの希望だった。

でも菜穂香は当然、自分の子どもを譲る気はない。

折角見つかったのに…と清香は少し残念に思った。


でもそれは菜穂香の杞憂だった。別に楓は菜穂香の子どもまで自分の子どもにする気はないらしく、ただ、産んだ事実を残したいだけらしい。どうやら旦那との関係に角質があり、あまり性交渉が行えていないとの事だった。にも関わらず、旦那の両親に孫をせがまれて困っているのだという。

子どもを作ったという事実だけを残しさえすれば死んだことにして菜穂香に子は譲ることは可能だと言ってくれた。


子どもが産まれて自分で育てられるなら…と菜穂香は楓に全てを委ねた。



菜穂香の子が妊娠した報告を受けた。

どうやら男女の一卵性双生児らしい。菜穂香はとっても喜んだ。


だから菜穂香は女の子には『結以』、男の子には『彼方』とそう名付けた。

菜穂香は無意識らしいが『彼方』は二人の生徒が色んな願いを込めて付けた名前。


菜穂香が無意識でもその名を覚えていて、子どもに付けてあげることが出来たのがなんだか嬉しかった。



でもそんなのも束の間。

双生児の内、女児『結以』が死んでしまった。


菜穂香はとても落ち込んだ。

もしこのまま『彼方』まで死んでしまったら…

清香も菜穂香を慰めながら、嫌な想像ばかりしてしまう。


折角大好きな生徒に貰った名前を子どもに与えることが出来た。

そんな子まで死んでしまったら本当に菜穂香は立ち直れなくなるんじゃないか…。


そんなみんなの不安の中。



彼方は無事に産まれてきた。

元気な男の子だった。


体が壊れるまで妊娠や流産を繰り返し、やっと出来た菜穂香の子ども。

菜穂香はあまりの嬉しさに丸一日泣いていた。

菜穂香だけじゃない。

今まで菜穂香のそばにいて菜穂香やその子どもの幸せを願ってきた人達は喜び祝福し、涙した。


清香や綾香、大翔と剛。

由紀菜は代わる代わる赤ちゃんを見つめながら祝の言葉を口にした。

「おめでとう、菜穂香」

「なおかさん、おめでとう」

「「おめでとうございます!先生!!」」

「良かったですね、菜穂香さん」


菜穂香は皆の言葉を受け取り、楓には感謝しきれない感謝を伝える。

「楓さん、本当にありがとうございます。本当に…本当に…」

「良かったですね。これからもその子を大事にしてあげてください。」

「……はい!絶対に幸せにします!」



そして次の週。

楓はもう一人男の子を出産すると、そのまま息を引き取った。


その連絡を受けた清香はその事を菜穂香には伝えずにして葬儀の列に参加した。

菜穂香は後に自分で楓が死んだことを知り、自らを責め始めたが、息子を幸せにするという楓との約束を思い出し、家事や育児に専念した。


楓が最期に生んだ子どもを誰が引き取るかで揉め、菜穂香は負けた。

結局、本郷家の人間は楓の死よりも孫の誕生を喜んでいた。


そんな許せない気持ちを抱えていた頃のこと。

母になった菜穂香の元に再び誠が現れた。

自分の子どもが産まれたことを喜ぶ体で訪れ、子どもを殺そうと合作し始めた。

子どもに構う暇があるなら俺に構え。


恐らくこの7年間でとても退屈していたのだろう。その鬱憤晴らしに会いに来てみれば子どもが出来ていて、自分が蚊帳の外なのが気に食わなかったようだ。


今度は子どもに手を加えないからまた一緒に暮らせと言い始めた。


菜穂香はそれに応じた。


今度は清香も菜穂香と彼方の二人を見守るためにと誠の家の近くに引っ越した。


もう、絶対菜穂香を苦しませないようにしないと。





彼方が小学生に上がった頃。


菜穂香が首を吊って死んでしまった。

警察は自殺だと断定した。

しかし、とある一人の弁護士は他殺だと断定した。

踏み台は足が届かなくて不自然で、ロープも自分で結んだにしては結び方がおかしいから、と。

弁護士は私に康隆と連絡を取るように言った。何故、夫との関係を知っているのだろうか。

私はそれを聞いて、康隆に連絡を取った。

別の仕事で他所へ行っていた康隆は連絡で事件の概要を知るなり「彼方くんをその家から連れ出した方がいいかもしれない」とそう言った。


私も同じことは思っていた。

だが、あの男がそう簡単に応じるだろうか……


次の日、案の定男は彼方を手放そうとしなかった。

だから数ヶ月後の綾香の進学と共にならと提案すると、それを了承。


しかし、あまりの彼方の不遇さに綾香が「引き取ろう」と直訴してきた。

正直、私も同意だった。


次の日、彼方を引き取ってしばらく住まわせ、性適合手術を口実に彼方を病院に入院させることが出来た。


その間、仕事から帰ってきた康隆に話を聞かれ、誠を殺人の容疑で訴える話へと繋がる。

彼方の手術が無事に終わり退院する頃、誠に逮捕状が出たまでは良かったが、あの男は彼方に罪を着せようとし始めた。


「俺は何もしちゃいない。あのガキが菜穂香を自殺へと追い込んだんだ」


その一言が原因となり、不知火彼方は重要参考人として捜査の対象になってしまった。


清香は慌てて由紀菜に頼んだ。

『不知火彼方』の戸籍を抹消し、植村由紀菜の娘植村彼方として戸籍登録。

由紀菜に予定を早めてもらってタイへと送り出した。



警察関係者は消えた戸籍との関係を探るため、旧齊藤家を訪れたが、既にそこに人はおらずやきもきしたらしい。



彼方達がタイから帰って来る前。

懐かしい顔に出会った。

夢を叶え、弁護士となった街田剛だ。


偶然の再会ではあったものの、久々に話をしてみると、彼は一度私に会っていた。

そして今、菜穂香が死んだ事件の真相追っているらしい。


佐藤大翔にも出会った。

彼は教師になって夢を叶えている途中らしい。

少し前に息子を病気で亡くし、頭を抱えていたそうだ。息子が最期に仲良くしていた女の子を探していたらそれが彼方だったのだ。

大翔は泣いて喜んでいたし、とても彼方に会いたがった。


そして私の所へ辿り着いた二人に協力を取りつけ、誠を排除しようと合作する。


誠の現住所を割り出し、そこに警察関係者を送り込む。

ちょうど若い女性を数名連れ込んでいた所だったようだ。関係を強要されていたのだ、と語った女性達が次々と保護された。


清香は誠にあの事件の鍵だった不知火彼方はもういないのだと伝え、これまでに誠がしてきたことを法的に訴えた。


訴えた後に誠の犯歴が明らかになった。

幼い頃から鉄心に言われて犯罪行為を繰り返していたようだ。

窃盗、売春強要、未成年女性との性的行為、誘拐監禁、強姦、殺人、金銭の横領、恐喝、強盗、情報の隠蔽工作などなど。


どうやら菜穂香以外の人にも手を出していたみたいでその数は数十人に及んでいたらしい。



誠の供述の中から母の大川香織も自殺などではなく、殺されていたことが分かった。

逢瀬鉄心の検挙に移ったが、既に逢瀬家に彼の姿は無かった。


菜穂香の人生感を歪ませたあの男だけは絶対に許してはならない。



数日後、誠に懲役刑が言い渡された。





やっとだ。

父は依然見つかってはいない。



でも、私はたくさんのものを抱えて死んだ妹を縛ってきた鎖をやっと解放してやれた。


菜穂香の墓に参り、手を合わせながら話しかける。


「菜穂香、私やってやったよ。

あなたが育てた大事な生徒と、あなたを苦しめてきた元凶を止めることが出来たのよ」

そう言った時、どこからか声がしたような気がした。

「うん。ありがとう、姉さん」

「お礼なんて……。

私は生きてる時に何もしてあげられなかったんだからこのくらいは罪滅ぼしよ……」

今まで菜穂香が苦しんでいるのを知っていて何も出来なかった。何も出来ない自分が悔しくて惨めで死にたくなったことだってあった。

でもね……

「でも今なら出来ることはあるんだって知ってる。

あんたの代わりに彼方は私と由紀菜さんが大事に育てるって約束するわ。

あなたの大事な二人の生徒が『先生の出来なかった生き方を出来るように』って名付けたあんたの息子を私が由紀菜さんが絶対に大事に幸せに育ててみせるわよ。

だからあなたもあの子のことをちゃんと見守っててあげてね」

姉妹の二度目の約束。次は絶対に違えない。

そんな決意を込めて言った。

またどこからか声が返ってきた。

「うん、お願い。あの子のことを幸せにしてあげてね」

墓に眠る少女は笑いながら去っていった。




その翌日、彼方がタイから帰ってきた。

少し前とは別人のような銀髪の少女。

整形前とは別人のようだけど両親に似ていなかった顔が整形したことで偶然にも菜穂香にそっくりの顔になっていた。


菜穂香そっくりの顔になった彼方を見て思わず涙をこぼしてしまう。

由紀菜は取り繕うのが得意だから何も言わずにこちらに視線を向けると「やっぱりそっくりですよね」とでも言いたそうな顔で笑みを浮かべて私を見ていた。




ねえ、やっぱりあんたの子ね。


約束通りこれからはあんたを大事にしてきたみたいにあの子を大事にしようと思う。

もうあんなことにはさせない。

この子にあんたと同じ道なんて絶対に辿らせないから。





再び胸の中で妹に約束した。

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