第3話 妄執、成れの果て


 出迎えの車は黒塗りの高級車かと思いきや、国産メーカーの車だった。しかし運転席に座る人間の雰囲気は違い、無言で後部座席のドアを開けた。青比呂も何も言わず車に乗り込む。乗って、どう出るかを移動中思案し続けていた。


 向かうは霧島邸。

 幼い頃、何度か訪れたことがある。子供では迷ってしまうほどの広さと敷地を持つ屋敷だ。庭は庭園といってもいい。だが屋内に足を踏み入れたことはなかった。

 暗く、重く、奥深くで何かがうごめいている……子供に恐怖心を植え付けさせる、想像させる気配があった。


 場所は、内頭市内でも古くから建つ家々が多く連なる中央に鎮座する位置にあり、龍脈や風水の技術や結界など、様々な「ギミック」を施されている要の部分であった。


 車は正門前……かなり大きな観音開きの扉の前で止まり、運転手は何も言わず後部座席にドアを開けた。出ろ、とのことだろう。


 しかし、改めてみるとその大きさに圧倒される。

 ぶ厚い樹木で作られた扉は本当に開くのか? と思うほどずっしりと鎮座しており、隙間などもちろん見えない。


「おい、ところで刻鉄さんは……」


 降りて運転手へと振り返った時、背後に人の気配を感じた。その時には後悔の念が先に走っていた。電撃の鈍い熱よりも、うかつだった自分を呪う熱で脳が沸騰しそうだった。


 スタンガンだろう。押し当てられて数秒。青比呂は意識を失った。

 自分などをまっすぐ通すわけがない。何故それを考えられなかったのか。


 甘すぎた。ただただ後悔だけが残滓となり、濁る心の中で声にならないうなり声を上げていた。


□□□


「えー、もう刻鉄お兄ちゃん帰るのー?」


 赤音が口をとがらせ不満そうに言った。


「ごめんな、今日は習い事がある日だから」


「こら赤音、刻鉄を困らせちゃダメだって約束しただろ」


 空が赤くにじみ出した頃。公園で遊ぶ三人は、まだまだ遊ぶ元気をもてあましていた。しかし時刻は夕飯時に進んでいる。同じく公園で遊んでいた他の子供達も、帰って行って、「ばいばい」と手を振っていた。


「んー」


「わがままいうんじゃない。それにお花に水をやらなきゃダメだろ」


 泥がついた赤音の頬をぬぐい、赤音は渋々といった様子でうなずいた。


「ごめんな赤音ちゃん。お花の世話も立派な仕事だぞ」


「今度はかくれんぼ、私が勝つからね!」


 刻鉄は苦笑して手を振り、公園から姿を消した。


「……」


「お兄ちゃん? どうしたの?」


 去って行った刻鉄の後ろ姿を見ていた所に、赤音が袖口を引っ張る。


「あ、ああ……何でもない」


「変なの。じゃあ帰ろう、んで、また明日遊ぼう!」


「元気だなぁ赤音は。まあ、夏休みだしな」


「うん! また三人で遊ぼう!」


 三人で。三人で。

 去って行った後ろ姿。

 手をつないで帰った、いつも通りの横顔と笑み。

 三人で。三人で。


 三人で。


□□□


 鈍痛とかび臭い空気は、眠っていた意識を内側からこじ開けるように入り込み、青比呂の口からうめき声を上げさせた。


 じゃらり、と鎖が揺れてこすれる音。体が不自然に硬直し、痛みが手足胴体、全ての痛点に熱を持たせていた。


 視野が戻り始めた。意識も明確になりつつある。だが同時に、鈍い痛みもはっきりと分かってきた。


(くそ、薬でも打たれたか……)


 脳に残る麻痺した感覚で、頭がいまいち働かない。

 腕は……上にある。つるされていると判断できた。手首が固められている。手錠でもはめられてるのか。


 下半身は力が入らない。足は……。顎を引いて自分の体を見下ろす。

 自分の体はどうやらぶら下がっている状態のようだ。自力で立とうと思えば出来るだろうが、今は体の自由がきかない。かろうじて、つま先を引きずることが出来た程度だった。


 周囲を見渡す。地下牢獄、という言葉が似合う。霧島邸にはこんな設備もあったのかと内心どこか呆れ半分で思った。


 目の前は鉄格子が出入りを禁じている。左右を挟むものは冷たい黒いレンガ。うっすらと湿気を持った表面からは、冷たさを感じさせた。


「具合はどう? 暴れられないよう、薬は強めのを投与したけど……もう目覚めるなんて、タフね」


 気がつけば、鉄格子の前に人影が現れていた。いや、最初からいたのか、青比呂の意識がとらえきれてなかっただけなのか。


 目の前には三人。左右には黒服を着た屈強な男が二人。その前にはスーツ姿の女性が一人。


「……その声……あんたが川上さんか」


「驚いた。もうしゃべれるの」


 返す川上英子の声に感情がこもっていない。事務的で、機械的なものだった。


「刻鉄さんはどこだ」


「……。ここに来たのはあなたの様子を見に来たわけじゃないの。最後通告に来たの」


 そういって、小脇に抱えていたファイルから一枚の書類を取り出す。


「この書類にサインと血判を。これ以上『神威』に関わらないと約束する、といった内容よ」


「……」


「その代わり、あなたのこれからの生活は全面的にサポートするわ。学校も、社会も、これからもね」


 青比呂は胡乱げな目で書類を見つめている。まだ完全に薬が抜けきったわけではない。それを、川上英子も分かっているようで答えを無言のまま待つ。


 冷たい沈黙が空気を澄んだものから凍てつく温度へと変えていた。


「今すぐ決めろとは言わないわ。ここにいる間、十分に考慮して。薬がきれた後にでも、また来るから」


 ここにいる間、とは。

 おそらく青比呂が条件を吞むまでの時間をさすのだろう。


「……ひとつ、聞きたい」


 青比呂は上手くろれつが回らない口を開いた。


「何かしら」


 川上英子は無機質な声を返す。


「赤音はどこにいる」


 川上英子から、初めて人間くさい仕草が出た。

 嘆息、という疲れた様子のため息だった。


「あなたは……いえ、何でもないわ。この血判書はどうやら、無意味なようね」


 書類を折りたたみファイルへとしまうと、何も言わず川上英子たちは鉄格子の前から遠ざかっていく。


 待て、と声を上げたいところだった。だがこれ以上は体力が追いつかなかった。ただ顔だけを前に突き出し、やがてうなだれ鎖をこすらせるだけに終わった。




続く

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