第1話 継続のロストマン


 少年が聞いた話では「その」閉鎖病棟は監獄だ、と言っていた情報屋の言葉を思い出す。

 ついでに「坊主みたいなカタギのガキが、俺みたいなのに関わってていいのかねえ……」と老婆心から言ってくれた言葉も思い出す。そこは気持ちだけ受け取っておこう。


 監獄、なるほど。

 いざ「侵入」してしまえば……という考えは甘かった。そもそも自分のようなずぶの素人が簡単に侵入を許すような場所ではない。誘い込んだ外敵を確実に鹵獲するために、わざと入り口を開けているのだと、息を殺し通気口の狭い中で廊下の様子をうかがっていた。


「ガキはいたか」

「いや。ダクトに入ったかもな。ガスを流す」


 短い言葉のやりとりを交わすのは、白い制服を着た看護師だ。だが、言っている言葉と発する気配、物腰はまるで違う。


(ガス……!? 平然と言いやがった! そういうことも想定済みあたりまえなのかよ……!)


 焦る気持ちが更に燻される。彼らの言葉を聞く限りでは、そう珍しいことでもなく、ためらうような行為でもないと知れた。害虫を駆除するのに殺虫剤をまく……それだけの、作業的な、事務的なやりとりだった。


 しかし。


(だからって、引き下がれないんでね……)


 頬を伝う汗はぬぐわず、舌で舐め取る。匍匐前進の要領で後ろへと下がり、ダクトの中を後退、通気口に通じていた入り口の更衣室へ戻ろうとするが、


「さてっと……」


 更衣室の明かりが漏れている通気口がすぐ足元まで来た。ほぼ水平の位置にある入り口は、侵入がばれないよう内側から閉じたが、外にはすでに人の気配がうかがえた。


 話し声は聞こえない。足音……わずかに靴底がタイルを鳴らす音からして二人はいるだろうと推察できた。一人ではない。

 しばし息を潜めて、外の気配が変化するのを待つ。


「ここか?」


 ドアが軋む音が聞こえ、一人、大人の男の声が加わった。気配は他にも感じられるが、詳しくは分からない。



「ああ。見ろよ、通気口を外した後がある。中から閉じたつもりらしいが……雑だな。丸わかりだ」


 若干の笑いを含んだ声が聞こえた。少なくとも、看護師が交わす言葉ではない。


「よし、ガスを流す。持ってきたマスクを……」


 男の言葉の途中で、フシュウ!! と、勢いよくダクト内から通気口の外へと白い粉じんが吹き出した。


「な、何だ!」


 動揺していますと挙手しているようなものだ。にたり、と笑うと少年はスライディングの要領でにダクト内を滑り、通気口の入り口を蹴破り破った。もうもうと立ちこめる白い煙は室内中に広がっている。


「この……クソガキ!」


 煙幕で視界が悪くなっている。大ぶりに振り上げた拳は、冷静になれば何とか避けることができた。

 だが、すぐ隣にいた別の男に羽交い締めにされ、少年は苦悶の声をはき出す。


「ガキが、どうなるか分かってるんだろうな」


 低い声。恫喝するわけでもないのに、背筋をつららで突き刺すような怖気を誘う、暴力の力を感じさせる声だった。


 やがて煙が薄れていき、男たちも視界を取り戻し始めた。目をこすり、咳で濁った唾を吐き出し、捕まえられた少年に目を向けた。


「そっちこそ」


 少年をにらみつけようとしていた男たちの目が見開かれる。


「こっちもガスの類い用意してないとでも思ったのかよ」


 少年の声はくぐもったものになっていた。白い空気が薄れたあと、囚われていた少年の顔には、簡易式ながらもガスマスクが装備されていた。


「ば、バカか! こんな密閉空間で使えば自分もろとも……」


「ここに入る前に免疫を打ってんだよ。少し堪えるが、まあ被害はあんたらほどじゃあない」


 入ってきたと思わしき男が、手にしていたガスマスクを全員に配ろうとするが、少年はそれを見て、


「もう遅いっての。即効性はないんだがな。遅効性ってわけでもない。神経毒だ。麻痺してくるはずだぜ」


 つらつらと言う。その言葉に、少年を拘束していた男の腕の力が若干鈍った。


 動揺。その一瞬。


「嘘に決まってるだろ!」


 ガスのように見せた噴煙はただの小麦粉である。ガスマスクはここに来る前、サバイバルゲームの専門店で購入した形だけのものだ。ハッタリになればそれで十分、それだけの目的で買った。


 病棟に侵入し、もし追い詰められた場合、どうするか。いくつかプランを立てておいた。

 ガスに見せかけた小麦粉も、決して毒物に似せる目的で用意したわけではない。ガスマスクも合わせて用意したのは、ほんの一瞬の動揺を誘うため。


 その一瞬のハッタリを成立させるため「だけ」の用意と装備だった。


 男の腕を振り解くと、少年はあっという間に更衣室を脱出し、左右に広がる廊下を見渡した。


「……病棟の個室は東館だったな」


 右に走り、階段を駆け上がり、渡り廊下へと繋がる踊り場へと出た。まだ人員は配備されていないのか、人気はない。階段を上り、廊下を渡ればもう個室のある病棟である。


「……あっけなさすぎる……」


 入念な警備態勢の割には、穴が空いたようなこの場所に違和感を覚えたが、下の階から走ってくる足音が重なって聞こえてきた。迷っている暇はなさそうだ。


 渡り廊下から差し込んで来る月明かりが妙に明るい。町外れにあるためか。時刻は夜の九時を回っているというのに、白を基調のにした病棟の廊下は月光に染まり足元ははっきりと見てとれた。


 廊下を渡りきると、リノリウムの冷たい床の感触が、靴音をつねるような高い音に変えた。

 同時に、温度が下がった、ように感じた。


(……何だ?)


 ふと、渡り廊下を振り返る。たった一歩後ろにある廊下である。

 それなのに、やたらと遠くに感じる……いや、見えた。月明かりが、渡り廊下を切り取って中に浮かべているような、そんな錯覚さえ覚えた。


「……違う」


 同時に、追いかけてくるはずだった男たちの喧噪も途絶えた。


「ここが、別の世界なのか」


 肌を切るような冷たさを感じる。少年は走ることを止め、病室のプレートを一つ一つ確かめながら歩き始めた。


 見た目には、ただの個室の病室にしか見えない。

 だが、スライド式と思われるドアには、図太いフックが掛けられている。鍵、なのだろう。中には、フックが一つだけではなく二つ三つと重ねかけされている個室もあった。


 音が死んでいる。静けさ、という言葉とは正反対だった。耳に何も感じない。一瞬、平衡感覚さえ麻痺しかけるほどだった。


「……川原優花……この部屋か」


 ネームプレートを確認し、少年は角部屋の個室の前で止まった。

 病室には、フック状の鍵はない。妙に思いながらドアに手を掛けるが、あっさりと開いた。


「……。お邪魔するぞ」


 ぼそりとつぶやき、薄暗い室内へと入った。

 個室の病室は、特に変わった様式ではなかった。広めの間取りに月がよく見える窓、洗面台に大型の液晶テレビ。

 そして部屋の中央にはベッドが備え付けられてある。ただしそのベッドには、鎖が、しめ縄が、天蓋には御札が何十枚とつるされている。


「厳戒態勢だな……」


 ベッドに縛り付けられているのは、十歳の少女である。名は川原優花。

 特に変わった様子はなく、どこにでもいる小学生の少女だ。静かに寝息を立てて眠っている。


 少年は左右を見渡し、ダッシュボードに備え付けられていたタブレット端末を拾い上げる。


「あった、これだ」


 ポケットからマイクロSDカードを取り出すと、タブレットを起動させる。パスワードを求められるが、少年は何のためらいもなく画面をタッチ。すぐにデータを呼び出しSDカードへとダウンロードを開始させた。


「しかし、あっさりいきすぎたな……」


 ぼそりとつぶやいた少年は、ふと液晶テレビを振り返った。


『では、ここで内頭市に起こっている『たたずみ病』についてまとめてみましょう』


 夜のニュース番組が始まっていた。タブレットを持つ少年の手がこわばる。

 いつテレビがついた?


『えー、まだ原因が分からない今では『神威』の力が頼みの綱になるのですが』

『そうですねぇ。一度『佇み病』になってしまっては閉鎖病棟に「匿う」しか本人の、引いては周りの安全も確保出来ないのが現状ですからねえ』


 ダウンロードはまだ40%。読み込む要領が大きいのか、中々進まない。


『では何故『佇み』と呼ばれるのか……最大の特徴としてあげられるのがこちら、ですね……』


 ニュースキャスターがフリップを用意する。そこには人間大の大きさをした、のっぺりとした人型の記号のようなイラストが描かれていた。


『通称『たたずみ』。えー、皆さん、もし見かけたり、お見舞いでも「これ」が現れた場合即座に安全の確保のため、専門員の指示に従ってください。特にお見舞いには必ず専門員が同行します。必ず指示に従うようにしてください』

『こいつがまた厄介だ。まるで漫画ですからねえ……』


 コメンテーターはうんざりとした顔で相づちを打っている。


『この『佇み』は人間の「防衛反応」が生み出した異形……近づくものを無差別に攻撃する。その破壊力たるや……』


 と、画面がVTRに切り替わり、事故現場のような場面が移った。駐車場らしい場所だが、コンクリートの地面が大きく陥没し、周囲に駐車してある車は引き裂かれ、ひっくり返り、叩きつぶされ、地獄絵図と化していた。


『これが『佇み』のもつ力です。……いつ見ても、ぞっとしますね。本当にSF映画じゃないかと思うばかりか、祈るばかりか……そんな気持ちです』


 ダウンロードの数字は60%。

 ふわり、とカーテンが揺れた。

 窓が開いていた。入った時に確認している。ドアも窓も開いていなかった。ここは、完全な密室だった。


『まあそう悲観するばかりではありませんよ。そのための『神威』ですから。日本が誇る「守護結社」。まさに守り神です』

『そうですね。では、この『佇み病』になる原因、『ステイビースト』についての続報で』


 ぶつん、とテレビは暗闇に戻った。

 少年はタブレットを持ったまま、視線だけを動かす。

 眠る少女は変わらないままだった。鎖もしめ縄もそのままに眠り続け、動いた形跡は一切なかった。


 ダウンロードの数字は80%。電気もつけない薄暗い病室で光る光源はこれだけだ。

 ダッシュボードにタブレットをそっと起き、ベッドの側を離れる。タブレットの光が、部屋全体を薄く照らした。


 大して強い光源でもないのに、「それ」ははっきりと姿を見せていた。


 マネキンを思わせる。表面には凹凸がない、真っ平らなプレートだ。それらが組み合わさり、腕、肩、胴体と筒状のモニュメントが浮かんでいる。

 足……下半身にあたる部分は見当たらない。頭部はねじのようで、円錐形の形をしており、タブレットをのぞき込む頭はグルグルと回転していた。


 少年は足跡を殺し、「念のため」と書類棚に手を掛ける。ベッドからは一番遠い位置にあるためか、そっと後ろ手で棚を開いても、あのモニュメント……『佇み』はこちらに頭部をむけない。


 やがて、ふつり、とタブレットの光が消えた。ダウンロードも終わり、自動的にスリープモードになったのだろう。


 『佇み』は光の消えたタブレットから顔を上げ、少女の側で動きを止めた。少年はしばし息を潜め様子をうかがうが、動く気配を見せない。時計を見ると、いつの間にか一時間以上も経過していた。


(まずい、長居しすぎだ。ここに誰もこないのも、『佇み』が現れるからか。侵入者は『佇み』が潰す「事故」にする……そういう流れにしようってか)


 窓から脱出出来なくはないが、タブレットからSDカードを回収しなければ、ここまで来た意味がない。


「……我ながら馬鹿げているが」


 自分でも顔が引きつっているのが分かった。少年はゆっくりと書類棚から背中を離し、一歩前に出た。

 瞬時、『佇み』の頭部が回転した。ゆらりと、平面な「顔」が少年に向けられる。


「聞いてくれ。俺は敵じゃない」


 そう、小さな声で言った。


「ただそこにある「記録」がほしいだけなんだ。……回収させてくれないか」


 少年が選んだ方法は、対話だった。

 だが、『佇み』に変化はない。動かず、回る頭部を尖らせこちらに平たい面を向けているだけだった。


 少年はごくりと喉を鳴らし、もう一歩前に出た。


 酸素の臭いに似たものが、回る頭部から発せられていた。眼前に、平らな頭部が迫っていた。なめらかとも言える表面には何も映り込まず、暗い室内のためか色も曖昧で分からない。

 棒のような腕はゆっくりとこちらを抱きしめるように後ろから折り曲げられようとしていた。


「分かった。俺の負けだ。この通り」


 と、言葉も通じるかどうか分からない相手にそう言って、両手を挙げた。しかし、その手の片方には三つ、棚や冷蔵庫などに着けられる磁石が握られている。書類棚に貼り付けられていたものを、勝手に拝借していた。


 それを、指で鎖へと弾き飛ばす。速度は遅い。放物線を描き、一つ二つと飛んでいく。

 だが、それで十分だった。


 『佇み』は異物が「主」の元へと向かったことを察知し、すぐさま飛んだ磁石を追って少年の目の前を離れた。それと同時に、『佇み』を追う勢いでタブレット端末を奪い取り、素早くSDカードを抜き取ると、振り向きもせず窓めがけて駆けだした。


「律儀っていうか難儀だよな、『佇み』ってのは。無意識の防衛本能……反射神経みたいなもんだからな」


 ドアから身を乗り出し、部屋を飛び出そうとする少年を振り返り、『佇み』は頭を高速回転させ突進しようとした。


「ほれ、最後の仕事だ」


 ゆっくりとした動きで、まるで池の鯉にえさをやるように、少年は磁石をベッドに向けて放り投げた。それを、『佇み』は自動掃除機のように回収しに背を見せ戻る。


「じゃあな」


 窓の縁に足を掛け、配水管を伝って何とか地面へと降り立った。目的の病室が二階という好条件でなければ、この逃げ方は出来なかっただろう。あらかじめ計画立てて動けたのも、事前に情報をためである。


 病棟の裏手を回り、鬱蒼と茂る防風林を抜け、さび付いた鉄の柵が続く先にある勝手口を目指して走った。足元はほとんど腐り土と化した葉っぱで埋め尽くされ、柔らかく靴音を消してくれている。


 木々のトンネルを抜けた先、病棟の裏口は人気のない空間を作り出していた。念のため、枝葉の間から人影がないのを確認してから雑木林となっている防風林を出て、勝手口の錆びた鉄のドアに手を掛けた。


「そこまでだ、新垣青比呂」


 ドアノブを回そうかと言うとき、勝手口の向こう……病棟の外から声があがった。


「不法侵入に窃盗か。天才児の妹の兄はこそ泥まがい……月とすっぽんてえのはこういうことかねえ、ああ?」


 くそ、と舌打ちし、少年……新垣青比呂はドアを開け、両手を挙げて勝手口をくぐった。


 薄暗い道路に面した通路にいたのは四名の男性たち。内三人は黒いスーツを着ており、個性を隠している。

 その三人の前に立つ青年は、白い羽織に似たジャケットを纏っており、神経質そうな顔でにやにやと青比呂をなめるように見ていた。


「お前も凝りねえなあ、新垣青比呂。こうやって面付き合わせるのは何度目だ?」


「都合五回ぐらいっすかね……石木田さん」


 青比呂が「石木田」と呼んだ青年は「うんうん」と大きくうなずいた後、


「なめてんのかてめえ!」


 怒号と共に乱暴な蹴りを青比呂にぶつけた。力任せのその蹴りは青比呂のみぞおちにめり込み、どしんと後ろへ倒れしりもちをつかせた。


「相変わらず俺ら『神威』をかぎ回ってるようだな。その、何だ? まーだ新垣赤音が……妹がどうのこうのって抜かしてんのか?」


 激しく咳き込み、体をくの字に曲げている青比呂の前髪をつかみ上げると、石木田は息が届く距離まで顔を近づけた。


「現実も見れない愚か者……情けねえなあ。いくら探したって無駄に決まってんだろ」


「……」


「新垣赤音は死亡。二年前の『セルフファイア事件』で死亡した。いや、自爆した、か」


 はは、と笑い飛ばした石木田の横顔めがけて、青比呂は拳を振り払うように打った。

 だが石木田はあっさりと青比呂の前髪を手放すと身を引き、拳も交わし一歩後ろに下がる。


「ムキになるなよ「おにいちゃん」。そんなに現実が受け入れられないかね」


「ふざけるな……妹は、赤音は死んでなんか、いない」


 腹の底にまだ熱い痛みが残っている。だがそれを無視して立ち上がり、苦悶の表情を浮かべながら石木田に飛びかかろうとする。


 石木田はそれにため息をつき、


「馬鹿だ馬鹿だと思ってちゃいたが、底抜けの馬鹿だな」


 石木田の右手がす……と青比呂に差し出される。


「単なる人間が、『カタワラ』に敵うものかよ!」


 かざした手のひらの周辺の空気が波打った。風が波紋を呼び、帯電する光がはじけて酸素を焼いていく。


「出ろ、『シティ・ガード』!」


 空間を歪ませていた中心の渦から、白く鈍い色の輪郭がにじみ出る。切り絵のように夜気を割いて光の線を走らせるそれは、人間の大きさを超えた四角い長方形の物体を生み出した。


 「シールド」。そう呼ぶにふさわしい、他を寄せ付けない鉄壁のぶ厚い装甲が、一瞬にして青比呂の前に現れた。


「くそったれ!」


 青比呂はがむしゃらになって拳を、石木田が掲げる「シールド」に向けてぶつけた。だが、拳はあっけなく弾かれ、痛みを覚えたのは青比呂の手だけだった。


「見たか落ちこぼれ。これが『カタワラ』のみに許された絶対防御の盾、『防御領域』。特に俺様の『シティ・ガード』は頑丈さに評定があってね」


「……っち!」


 地面に伏せ、滑るように盾の側面を突くよう青比呂は「シールド」……『シティ・ガード』の正面から離れよとした。


「無駄なんだよなあそれが!」


 その「シールド」の見た目は人間の一回りも大きく、幅は石木田の姿を隠してしまうほど大きい。それが、軽々と持ち上げられ、回り込もうとした青比呂の真上に振り下ろされる。

 青比呂は土の上と固い「シールド」の表面に挟まれ、短い悲鳴を上げた。


「おいおい、見た目がでかいから動きが鈍いだなんて誰が決めた? 先入観はいかんなあ青比呂おにいちゃん?」


 喉の奥でくつくつと笑いながら『シティ・ガード』を持ち上げ、動けなくなった青比呂の脇腹を蹴り上げる。青比呂は身を折ってうずくまり、声を出すのをこらえていた。


「さあ、盗んだものをだしてもらおうか? おおかた、『佇み病』のデータかそれに関連するものだろう」


「……」


「……別にいいんだぜ、お前がプライドを貫いても。ただ「事故」が起きるだけだ。「事故」がな」


 青比呂は痛む腹を押さえながら、ポケットにねじ込んでいたSDカードを震える手で石木田に差し出す。


 石木田はそれを奪い、鼻で笑って指先の間で握りつぶした。


「見逃してやる。今日のところは、だ。だがいい加減、次もあるだなんて思うな。貴様は所詮、『カタワラ』の適正もなく。天才児と呼ばれた妹の影にすらなれない。ただのクズだ」


 そう言い捨てると、石木田はスーツの男たちを引き連れて去って行った。青比呂は彼らの姿が見えなくなるまでうずくまり、痛む脇腹を抑えていた。


 車のエンジン音が聞こえ、遠ざかっていく。どうやら完全にこの場から撤退したようだ。

 しん、とした気配に夜気が戻った後、青比呂は盛大なため息をついた。大の字で寝転び、荒い息をつき、痛みに顔をゆがめ、何とか上半身だけを起こした。


「ひどいもんだ、か弱い一般人にちょーのーりょく使うかよ」


 唾と同時に血の塊も吐き出し、咳き込んだ。土まみれになった服を払い、そして背中に挟んでいた書類数枚を取り出し、ふう、とまた大きく息をついた。


「こいつまで見つかってたらあんたの勝ちだったな、石木田さん」


 それは病室にて書類棚から保険としてくすねてきた、あの少女の紙媒体でのデータだった。


 それは『佇み病』が発病した時期や治療の経緯などがしめされている、川原優花のカルテの原本である。

 発病した際には必ず『佇み』が現れる。『佇み』を抑えることは、一般人では不可能だ。その場を抑え、病棟に運び込むには、特別な……例えば、『カタワラ』のような鉄壁の盾を持つ能力者でもなければならない。


 書類をめくり、最後のページに目的の名前が記されていることを確認し、青比呂はにたりと口の端をつり上げた。


「……追いついたぜ、刻鉄さん」


 そこには、あの川原優化の『佇み』を抑え、病棟へと送り届けた担当者名やIDが記されていた。

 そこに記されていた名は、霧島刻鉄きりしまこくてつ


 会わなければならない。聞かなければならないことがある。


 妹は。

 新垣赤音はどこにいるのか。


「待ってろよ。兄ちゃんが、すぐに迎えに行くからな」


 痛む体を引きずって、青比呂は病棟地区を後にした。



続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る