七十万のケータイ小説と文車妖妃

久佐馬野景

まずは上位を憎め

 wanna be

 直訳すれば「なりたい」。音にすれば「ワナビー」。略して「ワナビ」。

 ネット上では、何かになりたい者を皮肉って使われる。

 勝谷克也かつやかつやは、自分がワナビだと自覚していた。それも恐らくは実力の伴わない。

 勝谷は小説家になりたかった。だから何度も賞に原稿を送った。

 だが結果は全て、一次審査で落選。

 そもそも勝谷が小説家になりたいと思うようになった道のりは、あまり普通ではない。

 勝谷は高校に入学した時、友人に誘われて携帯電話向けSNS、モバリスタに入会した。それから暫くは適当に楽しんでいたが、ある日モバリスタに小説機能が追加された。本を人並みに読む勝谷は、それを見て自分も小説を書いてみたいと思い始めた。

 ネット上で小説の書き方を学び、携帯電話でちまちまと文章を打つ。

 そしてモバリスタに投稿し――勝谷は現実を知ることになる。

 閲覧数が増えない。増えても一や二程度だ。ランキング上位の作品は、閲覧数が百万を超えているものも多いというのに。

 ならばランキング上位の作品はどんなものなのかと読んでみて、勝谷は愕然とした。

 勝谷がこれまで読んできた本と比べて、それはあまりに酷かった。素人の書いた小説をプロと比べるのはどうかと思う。が、それを抜きにしても充分に酷い。小説と呼べないものも多い。

 無料で、誰でも気軽に書ける。勝谷もそれに惹かれて書き始めた口だが、一応は小説の書き方というものを守っている。

 文頭は一マス開け、三点リーダーは偶数個で使用し、いくつも繋げない。鉤括弧の中の会話文の最後には句点を打たず、会話文の前に登場人物の名前を書いたりはしない。当然、絵文字や顔文字など論外だ。

 だが大半の小説――小説と呼ぶのもおこがましいが――では、それらが守られていない。

 それでも自分の作品もいつかは評価されるだろうと思い、そのまま更新を続けていた。

 転機は大学に入学する時だった。その時閲覧数は未だに千を超えず、更新も殆ど停止していた。

 大学に入学するにあたりパソコンを購入した勝谷は、これからは携帯電話ではなくパソコンで文章を打とうと思い付く。横書きではなく縦書きで自分の文章を見ていると、本を読んでいるような感覚に陥る。

 自分の文章が本になれば――そう思った勝谷は、賞への応募という選択肢があることに気付いた。

 そう、自分にはネット上という空間は合っていない。ちゃんとした賞ならば、正当な評価が得られる。

 インターネットで賞を調べ、勝谷の書いている作品に合う、ライトノベル系の公募に以前書いた作品を送った。

 結果は、一次審査で落選。

 確かに倍率は高かったが、それでも勝谷は酷く落ち込んだ。自分の作品はモバリスタ上ではかなり上のレベルにあると自負していた(ランキングに載るどころかランキングが表示されない有り様だが)。

 しかし勝谷は失意の中でも作品を新たに書き上げ、また別の賞――やはりライトノベルである――に送った。中身はこの際気にしないことにして、執筆速度だけはある程度早かったから、勝谷は新作が出来る度に様々な賞――全てライトノベルである――に送った。

 だがやはり、どの作品も一次選考を通らない。

 そんなことを繰り返す内に、いつの間にか大学二年生の冬休み間近になっていた。

 勝谷は大学のキャンパスの中を、友人達と連れ立って歩いていた。

 意外なことにこの勝谷という男、実生活はそれなりに充実している。

 友人の一人が急に立ち止まり、ベンチに座った一人の男を指差した。

「なあ、あいつ知ってる?」

 誰と決めてではなく、その場にいた全員に向かってそう訊ねる。勝谷は一人、ああと声を上げた。

結城ゆうきだろ。同じ講義取ってるから何度か話したことある」

「あいつ、どっかの携帯小説で一番なんだってよ。書籍化されたらしいぜ。『ゆうゆう』っていうらしいけど誰か知ってる?」

 勝谷は知っていた。が、驚きのあまり声が出なかった。ゆうゆうといえば、二年程前からモバリスタの頂点に君臨する上位クリエイターだ。その小説の閲覧数は百万をゆうに超え、書籍化されている。勝谷は一度その小説を読んだことがあるが、あまりの酷さに十三ページで挫折した。

 その場にいた者達は「へー」だとか「すごいな」だとか完全に他人事の体である。

 勝谷は一人だけ知っていると言うのもどうかと思ったので、この場は口を噤んでおくことにした。

 その日の午後の講義で、勝谷はたまたま結城と隣になった。

 最初は軽く挨拶を交わし、講義が終わってからついに勝谷は事の真相を確かめに打って出た。

「なあ結城、噂で聞いたんだけど、お前携帯小説ですごいって本当?」

 結城は照れるように、しかし何処か誇らしげに笑った。

「そうなんだけどさー、あんまりこういうこと広めてほしくないんだよなー」

「モバリスタ、だよな?」

「まあなー。もしかしてお前も読んだ?」

「ああ、まあ。けどすごいな。どうやったらそんな上にいけるんだ?」

「どうやったらっつってもなー。書きたいように書いて毎日更新してたらいつの間にか上位にいっちゃったんだよねー。才能?」

 勝谷は殺意を覚えた。だが勝谷はここで堪えることが出来ない程沸点の低い男ではなかった。そのまま笑って話を打ち切り、講義が全て終わったので、いきり立ちながら自宅に戻った。勝谷は大学から自転車で十分程のところに下宿している。

 荷物をかなぐり捨て、耳を押さえてぶつぶつと呟く。

「畜生。畜生。どうしてあんな頭の悪そうな奴が書く小説があんなに人気があるんだ。絶対に俺の書いてる小説の方があんなクソ小説――否、小説と呼ぶのもおこがましいあんなクソ文章より素晴らしいってのに。書籍化だとかふざけんなよ資源の無駄だろうがクソがクソがクソが。しかも売れてるらしいじゃねえかクソが。何処の馬鹿だあんなクソ以下の文を金払って読むなんてクソは。いくら加筆修正したところであんなクソはどうにもなんねえだろうが。出版社も出版社だプライドも何もねえのかよあんなクソを売り出すなんて。もっと世に出すべき才能があるだろうがよ俺とかさあ。クソは書籍化俺は一次落ち。酷い。酷すぎる。あんまりだよ。――憎い。閲覧数が多い奴が憎いしおりが多い奴が憎いファンが多い奴が憎い応援レビューがもらえる奴が憎い。上位の奴らが憎い」

 すると突然、机の上に置かれ電源は落ちていたが開かれていた勝谷のノートパソコンに光が灯った。低い音を立てているところを見ると、起動しているのかもしれない。

 勝谷はその音に気付き、パソコンに目をやった。黒く光っている画面はやがて変わり、マイドキュメントがひとりでに開かれている。その中の「小説」と付けられたらフォルダがこれまたひとりでに開かれ、ワード文書がずらりと並ぶ画面に変わった。

 画面の中心に黒い点が現れた。点は徐々に大きくなり、やがて画面全体が真っ黒に染まった。

 ――どん。

 パソコンが揺れる。部屋に異変はなく、机の上のパソコンだけが振動している。

「な、何だ。一体――」

 ただならぬ気配を感じた勝谷はその場に凍り付いた。

 黒が、隆起していた。パソコンの画面が盛り上がり、黒い何かが迫ってくる。

 パソコンから黒とは違う白いものが出てくる。人の腕だ。病的なまでに白い手が机のへりを掴み、前に出ようと力を込める。

 勝谷はそこで理解した。黒いあれは髪の毛だ。長い長い黒髪は、パソコンから迫り出し床に垂れている。

 もう一本、腕が出てくる。二つの手で机のへりをしっかりと掴み、一気に全身を引っ張り出す。

 細く小さな身体がパソコンから完全に外に出た。ずるりと床に落ち、黒髪で隠れた顔をこちらに向け、右手を伸ばしてくる。

「さ、貞子だ。貞子が出たあ!」

 その右手を音を立てて床に叩き付け、その女は勢いよく立ち上がった。

「あー、疲れた」

 長い黒髪を手櫛でかき上げ、乱雑に整える。髪で隠れていた顔が現れると、勝谷は思わず息を呑んだ。

「だ、誰だ」

 女――というよりは少女――は勝谷を見下すように見上げた。身長は勝谷の方が高い。

文車妖妃ふぐるまようび。最後の濁点はあってもなくてもいいわ」

「ふぐ――何だって?」

「文車妖妃。まあ、妖怪よ」

「妖怪だあ? あのなお前、頭大丈夫か?」

「あんたに言われたくないわ。いい? パソコンが勝手について、その中から女の子が出てくる。これは既に常軌を逸してる訳。私が妖怪っていう怪異を説明するのにジャストミートなものを名乗ってやってんだから、即信じる。これが礼儀よ」

 そう言って少女は水玉のワンピースを数回叩いた。

「ま、待て、待て。百歩譲ってお前が妖怪だと信じるとしよう。じゃあ何で、俺のパソコンから出てくるんだ」

 少女は指を勝谷の顎に突き立てる。

「文車妖妃とは何か。それはしまわれ、出すことのなくなった手紙に宿った妄執が形を成したもの。時代が変われば妖怪も変わる。あんたのパソコンの中には何が眠ってた?」

 一次で落ちた原稿の山。それから、審査する人に宛てた私信。これはマイナス要素になると知り、結局一緒に送ることはなかった。

「じゃあ、お前は」

「そ。あんたの妄執の固まりよ。賞を取りたい、上位にいきたい、評価して欲しい、あとは理想のヒロインの姿も入ってるわね」

 そう、少女の姿は勝谷の頭の中にぼんやりとあった、一番最初に書いた小説のヒロインの姿に見える。性格はこちらの方がきつい気もするが。

「じゃ、その望みを叶えましょうか。あんたの今一番の望みは、モバリスタで上位にいき、ゆうゆう――結城裕樹に勝つこと。そしてあわよくば、書籍化」

 勝谷は生唾を飲み込んだ。少女の言葉通りだ。

「そこに直れ!」

 少女は床を指差し、勝谷は渋々そこに正座した。

「さ。楽しい授業の始まりよ」

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