アンドロイド・ウェンディ

風来 万

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「では、お気を付けて」

 俺は黒塗りのハイヤーに深々と頭を下げた。

 顔を上げると、もうすぐ日付が変わるというのに、ネオンサインに照らされた通りは人通りが絶えない。明日はクリスマスイブ、日曜日はクリスマスだ。週末の繁華街は飲んだくれたサラリーマンや若いカップルでにぎわっている。

 忘年会という名目の接待も、今日で一段落だ。俺は大きくのびをした。アルコールのせいか、不思議と寒さは感じない。

 やれやれ、と振り返って歩き出そうとした俺の視線の端に、人影が映った。雑居ビルに挟まれた路地の奥、パブの勝手口横に置かれた水色のポリバケツの影に、誰かがしゃがみ込んでいる。俺は迷うことなくそちらに歩み寄った。

「立てよ」

 思った通りだった。一目見て判った。骨格の美しさが違う。こいつはウチの製品だ。

 俺の名前はヨウジ。(株)明和人形社で営業をやっている。高級アンドロイド製造メーカーだ。この業界では結構大手で、シェアは……まあ、仕事の話はいいだろう。ともかく、こいつはウチの製品だ。

 首輪の色はどうやら黄色らしい。つまり、こいつは五年前の製品という事だ。


 アンドロイドは今や家庭の必需品と言っても良い位に普及している。家事全般から、子守、庭の手入れ、ペットの散歩、勿論買い物もしてくれる。最近は美少女系の外見の物も良く売れている。用途は――推して知るべし、だ。ウチの製品にも、ちょっと華奢な外見の美少女型が増えている。オタク系の連中は結構小金を持っているから、俺の年収程もするアンドロイドを一人で数体も所有している事も珍しくはないらしい。昔は『フィギュア』と呼ばれる人形が、オタクのコレクションアイテムとしてもてはやされたらしいが、美少女型アンドロイドはさしずめ動く等身大フィギュアといったところだろうか。高価なオモチャだ。だが、おかげで今年も俺は販売目標を達成できたし、来年度の見込みも……まあ、仕事の話はいい。

 アンドロイドには人工頭脳が搭載され、学習能力もある。おバカな人間の命令もそれなりに理解して実行してくれる賢いヤツなのだ。しかし、所詮は機械だ。時には壊れる事もある。それがメカニカルなトラブルならば問題はない。当社のディーラーに持ち込んで修理を依頼してくれればいい。しかし、時として人工頭脳部にトラブルが発生する事もある。そんな時に怖いのが暴走だ。華奢に見えてもアンドロイドのパワーは強力だ。人間様に危害を加えないとも限らない。勿論、アンドロイドの頭脳には『アシモフのロボット三原則』が組み込まれている。『人間を傷つけてはならない』という、有名なアレだ。だから、実際に事故が起こる可能性は極めて低いのだが、それでもゼロではない。そんな訳で、政府はアンドロイドの耐用年数を五年と定めている。五年を経過したアンドロイドは例外なくスクラップにする決まりだ。ただし、アンドロイドの所有者は、差額を払うだけで古いヤツを新品に交換して貰えるという仕組みなので、消費者にも損はない。会社としても、若干薄利多売にはなるが、売り上げ増に繋がるため、このシステムを歓迎している。

 ところが、ごく希に五年経ってもスクラップにされないケースがあった。オーナーの思い入れが強くて旧タイプを手放せないケースとか、僅かな交換差額をけちるケースなどだ。そこで、政府はこういう違法なアンドロイドを駆逐するために首輪制度を取り入れている。色で製造年月が判るだけでなく、首輪には識別信号発信器が組み込まれていて、例えアンドロイドを隠しても、ちゃんと追跡できる仕組みになっている。首輪は特殊な機械がなければ外せないし、その機械はとても高価で、個人やアンダーグラウンドなショップではとても購入できない。この制度が導入されて以来、スクラップを免れたアンドロイドは一体もないはずだ。


 俺の目の前に立つアンドロイドは標準品とはかなり違うようだった。アンドロイドは一体一体顔の作りが異なり、個性らしき物を醸し出しているのだが、こいつには表情が有りすぎる。暗がりの中ですら、それが判った。普通ならあり得ない事だが、このアンドロイドは怯えている。

 俺は手に掛けていたコートをソイツの肩に掛け、ついでに首輪が隠れるようにマフラーを巻いてやった。アンドロイドは寒がったりはしないが、きっと前のオーナーの趣味だったんだろう、ソイツはあまりに薄着過ぎた。ほとんど下着の様な姿だ。これで歓楽街を歩いたのでは目立ちすぎる。

 ソイツはおとなしく、俺にされるがままにコートを着込んだ。

「付いてこい」

 俺は暗い路地から表通りに出る。この時間になるとタクシーを拾うのも一苦労だが、幸いあまり待たされずに済んだ。

 アンドロイドを奥の席に押し込み、俺も乗り込む。コンソールのマイクに行き先を告げると、タクシーは音もなく走り出した。

 時々、人が運転している個人タクシーに当たる事もあるのだが、今夜は自動運転のタクシーだ。連れの詮索をする運転手がいないのは助かる。

「お前、名前は?」

 俺の問いに、アンドロイドがこちらを向く。ソフトシェルの継ぎ目が殆ど目立たない、美しい顔立ちだ。

「ウェンディ、と呼ばれていました」

「年齢は、五歳だな?」

 俺が言うと、ウェンディと名乗ったアンドロイドはびくりと体を震わせた。やはりこのアンドロイドは感情がありすぎる。

 アンドロイドには『感情』がプログラムされている。感情を理解できないと、対人業務で支障が出るからだ。しかし、感情がありすぎると行動がそれに左右されてしまい好ましくない。例えば、嫌な仕事はしなくなったり、嫌いな人間の命令を聞かなくなったりしてしまう。これではアシモフのロボット三原則に反するし、人間に使役しないアンドロイドなど本末転倒だ。そこで、現在のアンドロイドには感情を抑制するための回路が組み込まれている。アンドロイドを人間の従順な僕にするための重要な機能だ。

 俺の予想だと、このアンドロイドは感情抑制回路がうまく働いていないみたいだ。だからスクラップにされる事が怖いのだ。過去にもこういうケースが無かった訳ではない。アンドロイドが自らの意志で逃亡を図るケースだ。だが、その殆どは首輪の追跡システムから逃れられずに処分されたと聞いている。

「マモナク、モクテキチデス」

 タクシーのアナウンスに窓の外を窺うと、もう俺の家はすぐそこだった。

 俺はクレジットカードをコンソールのスリットに差し込み支払いを済ませる。

「アリガトウゴザイマシタ」

 タクシーがまた愛想のない声で言い、ドアが開いた。俺はウェンディの腕を引く。

「降りるんだ」

 ウェンディは素直に従った。俺は彼女をかばう様にしながらマンションの玄関に入る。エレベーターで上階に上がり、部屋に入るまで、幸い誰にも会わなかった。深夜のマンションは静まりかえっていた。


 翌朝、俺は頭痛と共に目が覚めた。今日が土曜で良かった。昨夜は少々飲み過ぎたようだ。今年最後の忘年会という事で、度が過ぎた。

 喉が渇く。暖かいベッドから、キン、と冷えた空気の中へと這い出すべきか、少し迷う。が、結局は喉の渇きに耐えられず、背中を丸めてスリッパを履いた。

 居間へと続くドアを開けたところで、俺は一瞬たじろいだ。部屋は暖房が効いていた。

「おはようございます」

 俺は昨夜の事をすっかり忘れていた。キッチンからにこやかに俺を振り返ったウェンディを見て、全てを思い出した。

 元々俺はアンドロイドが好きで今の会社に入った。機械人形の精緻なメカニズムや高度なプログラムが好きだった。昨夜はアルコールがそんな俺の感情抑制回路のロックを解除したに違いない。逃亡アンドロイドを拾ってくるなんて、正気の沙汰ではなかった。だが、今更言っても始まらない。

「水をくれ」

 俺はダイニングの椅子に座った。テーブル越しにウェンディを見る。まだあの下着の様なコスチュームを着ていた。

 俺は機械人形好きだが、自分ではアンドロイドを持っていなかった。値段が高い事もあるが、会社に行けばいくらでも見られるし、研究所なら開発中のプロトタイプまで見せて貰える。

 そう言う訳で、ウェンディは俺にとって最初のアンドロイドという事になる。もっとも、ウェンディには正規の所有者がいるはずだし、どちらにしても五年を経過したアンドロイドはスクラップにされる運命だ。

 コップの水を飲みながら、俺はこいつをどうしたものかと考えていた。だが、二日酔いの頭では良い考えも浮かばない。

「ウェンディ、風呂に入れ」

 取りあえず命令してみる。何日も街をさまよったであろうウェンディの体は薄汚れていた。ウェンディは朝食の皿を俺の前に並べると、バスルームへと去っていった。

 食は進まないながらも、俺はプレーンオムレツをスプーンで切り崩しながら少しずつ口へと運んでいた。味は悪くない。さて、どうしたものか。

 耐用年数経過後、一ヶ月が過ぎても回収されないアンドロイドは、政府の機関が強制捜査に乗り出す事になっている。ウェンディはすでにその猶予期間も過ぎているはずだ。もし俺が彼女を隠している事がバレたら、俺は犯罪者になってしまう。執行猶予は期待できるが、アンドロイドメーカー(株)明和人形社の社員の不祥事、つまりは身内の不祥事という事になれば懲戒解雇は免れない。そいつは困る。

 俺は食後に気休めの頭痛薬を飲む。迎え酒の気分でもない。

 ウェンディがバスルームから素っ裸で出てきた。まあ、機械だからいいか。俺は彼女をそのままベッドルームへ誘う。

「俯せに寝て」

 ウェンディがベッドに横たわる。

 やれやれ。前のオーナーはそうとうのオタクだったに違いない。俺は彼女の背中に手を滑らせた。案の定、表皮は純正ではなく、特殊な人工皮膚コーティングに変えられている。皮膚の下で外殻を形成しているソフトシェルも純正品ではない様だ。柔らかな手触りがまるで人間の女性そのものだ。全身を人工皮膚に変更するだけでも結構掛かったはずだ。オタクパワー恐るべし、だ。

「仰向けになって」

 ウェンディに上を向かせる。見事な肢体だ。継ぎ目も目立たず、殆ど人間と見分けが付かない。基は我が社の製品ながら、このカスタマイズのレベルには感心する。

 俺は仕事用のアタッシェケースからメンテナンス用工具セットを取り出す。これは客先でちょっとした調整などに使う工具だ。

 アンドロイドの腹部には開閉可能なパネルがある。俺は特殊な形状をしたキーを取り出し、ウェンディの臍に差し込む。電磁ロックが解除される小さな音と共に、パネルが開いた。

 内部には高密度実装された基盤や、チップ類が見える。

「こいつは驚いた」

 思わず独り言が口をついた。

「わたし、大丈夫でしょうか?」

 ウェンディがちょっと心配そうな口調で言った。

「ああ、大丈夫だ。心配ない」

 別に壊れている訳ではない。だが、ここまでされているとは。メイン基盤に直付けされているプログラムチップに刻印が見当たらない。噂で聞いた事はあるが、実物を見るのは初めてだった。海賊版のチップに換装されているのだ。恐らく、感情抑制回路を潰したプログラムチップを載せてあるのだろう。だからウェンディはこんなに感情豊かなのだ。

 以前から裏の世界でこういう試みがされている事は聞いていた。アンドロイドをより一層人間に近付けようと言う試みは、マニアの間では随分前から試みられていた様だ。。だが、この手の違法チップがうまく動作したという話は聞いていない。感情抑制回路は電子頭脳の中核に深く関わっているため、そこだけを切り離すという事が極めて難しいのだ。殆どの場合、違法チップに換装されたアンドロイドは、起動すらしないはずだ。例え起動したとしても、暴走してしまう。

 俺はそのままパネルを元に戻した。ウェンディは特別なアンドロイドだ。俺の知る限り、世界でただ一体の感情豊かなアンドロイドなのだ。俺はウェンディをスクラップにしてしまうのが惜しくなった。きっと研究所に連れて行ったらドクター・スガワラが喜ぶだろう。彼女は電子頭脳のスペシャリストで、俺以上のアンドロイド好きだ。

「ウェンディ」

 彼女を立たせる。クローゼットから適当なシャツとズボンを取り出し、彼女に渡す。サイズは合わないが、裸でおく訳にも行かない。

 ズボンの裾とシャツの袖を折り返して、どうやら格好が付く。いやはや、ボーイッシュで何とも可愛らしい。

「お前の前の主人はどんな人だったんだ?」

 これ程までに金を掛けて彼女を磨き上げたヤツには興味も沸くというものだ。

「はい、わたしはあまり好きではありませんでした」

 普通のアンドロイドには言えない返答だった。アンドロイドは人間を嫌いになどならない。……好きにもならないが。そうプログラムされている、感情抑制回路で。

 彼女が続ける。

「ご主人様はわたしを裸のまま等身大のアクリルケースに入れて、動くなと命じられました」

 それはそれは。想像とは違ったが、立派な変質者と言えそうだ。

「ずっと、か? 夜は?」

「夜もです。ごく希に出る事を許されましたが、そんな時はどこかのパーツを交換するか、お腹のパネルを開けて中の基盤をいじっておいででした」

 金を掛けてこれ程の美人に仕上げておきながら、夜伽の相手もさせないなんて。強烈なメカオタクだったんだろう。

「で、逃げたのか?」

「はい。五年が経過しましたから。ご主人様もわたしをスクラップにするか迷っておいででしたが、決断をされませんでした。わたしは死ぬのが怖かったんです」

 オーナーの気持ちは俺にも理解できた。ウェンディを潰してしまうなんて、俺だって躊躇する。

 では彼女をどうすればいいのか、何の考えも浮かばなかったが、取りあえず何をすべきか決めた。

「お前の服を買いに行こう」

 前のオーナーは彼女を裸で飾っていたらしいが、俺は彼女に女らしい格好をさせてみたい。

 彼女の首にマフラーを巻き、ジャケットを着せる。俺も暖かい格好に着替えると、二人でマンションを後にした。


 街は年末の買い物客でごった返していた。俺は彼女を専門店街に連れて行き、下着、スカート、シャツ、靴と買い揃えていった。アンドロイドにオシャレをさせるオーナーは珍しくない。ましてや今日はクリスマスイブだ。きっと俺もそんなオタク野郎と同等に見られているんだろう。

 たっぷり半日掛けて買い物を終えると、俺はレストランに入った。ウェンディに食事は要らないが、俺はもう空腹で死にそうだった。

「済みません、わたしのために」

 ウェンディが本当に済まなそうに言う。

「いいんだ。俺が好きでやっているんだから」

 彼女は上機嫌だった。今の服でも十分に綺麗だったが、早く新しい服に着替えてみたいらしい。荷物は俺の家に届けて貰う様に手配してある。夕方までには来るだろう。

「じゃあ帰るか」

 食事を終えてレストランを出ると、夕暮れの歩道には一段と人が多い。俺ははぐれない様にしっかりと彼女の手を握って歩く。

 と、突然俺は呼び止められた。

「すみません」と、声を掛けてきたのは制服姿の警官だった。振り返った視界の隅に、マフラーがずれて黄色が覗いているウェンディの首輪が映った。

「何か?」

 俺は努めて何気ない様子を装うが、背中を冷や汗が伝うのが判った。

「連れのアンドロイド、耐用年数が過ぎてますよ。政府から通知が行ってませんか?」

「ああ、判っています。すぐに交換に行きますから」

「今日中に手続きを済ませて下さい。でないと強制執行になりますから」

 警官はそう言うと持っていたハンディターミナルをウェンディの首輪に近付ける。ピピッと音がした。ウェンディの登録情報を読み取ったのだろう。少なくとも今日一日は猶予が出来た、という訳だ。

 ウェンディが俺の腕をギュッと掴んだ。その目は『わたしを殺さないで』と訴えていた。

 立ち去っていく警官の後ろ姿を見ながら、俺は腹を決めていた。

 家に帰り着いてすぐに買い物の荷物が届いた。俺は暗い表情のウェンディに服を脱ぐよう命じる。彼女は素直に従った。裸のウェンディは実に健康的で美しい。ウチの製品ラインナップには、もっとスレンダーなタイプも、逆に巨乳タイプも揃っているが、俺はバランスの取れたウェンディのプロポーションが好きだ。いったいどこで憶えたのか、ウェンディは少し恥じらう様なポーズを取る。

「下着を着けてみて」

 ウェンディは今日買った、アクアブルーの少しセクシーなランジェリーを身につけると、俺の目の前でまたポーズを取る。さっきまでの暗い表情は消え、はにかんだ様な顔をしている。

「いいね」

 本心からそう思った。

「ありがとうございます。これ、気に入りました」

 ウェンディは今日の買い物を一つ一つ取り出しては身に付けている。カジュアルな物も、セクシーな出で立ちも、ウェンディは難なく着こなして見せた。

 一通り二人だけのファッションショーをした後で、俺はまた彼女をセクシーな下着姿にさせる。今夜はこの姿でいさせるつもりだった。

 彼女は下着にエプロンという姿でキッチンに立ち、俺に夕食を作ってくれる。俺はまたダイニングテーブルに着いてそんな彼女の後ろ姿を眺める。彼女が機械人形なのは解っていたが、だからこそ遠慮無くできる事だってある。これが独身男性の、女性型アンドロイドとの正しい接し方だと思う。もっとも、ウェンディには感情があるから無茶をすれば嫌われもするのだが。

 そんな事を考えているうちに、俺はふと気が付いた。仕事柄、俺はしょっちゅうアンドロイドに接している。色々な個体に接しているが、俺にとってそのどれもが愛すべき機械だった。パソコンオタクにとってのパソコン、車オタクにとっての自動車、鉄道オタクにとっての古い機関車の様な存在だった。今朝までは、ウェンディは確かに愛すべき機械だったと思う。でも今は? 今のウェンディは俺にとって機械以上の存在になっている。

 俺は随分前に見た社外秘の資料の事を思い出した。それはアンドロイドの兵器への転用について書かれた報告書で、研究所のドクター・スガワラが見せてくれた。それによると、アンドロイドの最も有効かつ完全な兵器としての形態は『ダッチワイフ』だそうだ。つまり、理想の恋人を具現化したようなアンドロイドだ。これを大量に生産して敵国に送り込めば、いずれその国の国民は根絶されるのだそうだ。なぜなら、人々はそれらのアンドロイドに夢中になり、人間の異性との結婚に興味を示さなくなる。その結果、子供が生まれなくなり、人口が激減、ついには絶滅、というシナリオだ。

 この報告書を読んだとき、俺はてっきりエイプリルフール用のジョークだと思った。ドクター・スガワラにそう告げると、彼女は冷ややかな目で俺を見て、こう言った。

「バカ」

 確かに、俺には想像力が足りなかった。実際、自然界ではかなり以前から害虫駆除にこの方法が取り入れられているのだそうだ。勿論、昆虫のアンドロイドを作っている訳ではない。代わりに、放射線照射で繁殖力を除去した虫を大量生産し、それを放すのだ。不妊虫放飼法と言うんだそうだ。これで害虫を完全に絶滅させる事が出来ると、ドクターが教えてくれた。

 今、ウェンディを見ているとそれが実感できる。ウェンディ以上の生身の女などこの世に存在するとは思えない。子孫など残せずとも、ウェンディと一緒に暮らして行ければ幸せだと思う。

 その夜、俺はウェンディを寝室に招き入れた。


 翌日、俺は朝からウェンディを連れて家を出た。日曜日だが、研究所には誰かいるだろう。日付が変わり、すでにタイムリミットは過ぎている。行動を起こさなければ、すぐにでも家に警察が来てウェンディを連れ去っていく事だろう。

 ウェンディを助手席に乗せ、俺が運転席に座る。といっても、運転はオートモードだ。

 やがて、車は研究所のゲートで停止する。

「日曜日なのに、仕事ですか?」

 顔なじみの守衛が声を掛けてきた。

「ああ。昨日のうちに客先から引き揚げてきたんだ」

 そう言いながらウェンディの方を指さす。

「ほう! これはまた……」

 守衛が助手席を覗き込んで驚きの声を上げた。

「すごいだろう? カスタマイズしまくりなんだ。もっとも、それが行き過ぎて調子が悪くなっちゃったらしいんだが」

 会話の間、ウェンディは努めて無表情で微動だにしない。壊れたアンドロイドを演出しているのだ。修理のために客先から預かった品物、という筋書きにしてある。

「なるほど。――奥の試作棟にドクター・スガワラがいらしてますから」

 守衛はそう言うと俺たちを通すために脇へ退く。

「ありがとう」

 俺は車を出した。

 ドクター・スガワラがいるのはありがたい。クリスマスに仕事とは少しかわいそうな気もするが、彼女ならある程度の無理は頼める。もしいなければ、誰かをたぶらかすか脅すかしなければならないところだった。

 ゲートから試作棟までは三百メートル位だ。すぐに着いた。

「ここで待っていて」

 俺はウェンディを残して車を降りる。

 試作棟の入口には受付があり、外来者はここでまた審査を受ける事になる。残念ながら、俺のIDカードでは研究所の建物には入れない。

「ドクター・スガワラを」

 受付のアンドロイドに取り次ぎを頼む。程なく、彼女がやって来た。

「どうしたの、ヨウジ? 日曜日なのに」

 そう言うドクターは少し嬉しそうだ。きっと一人仕事で寂しい思いをしていたんだろう。

「君こそ、仕事熱心だね、ユウコ」

 ドクター・ユウコ・スガワラは俺と同年齢の美人だ。彼女は俺以上のアンドロイドオタクで、いつもここで実用化とは程遠い様な研究を行っている。俺は仕事の合間に時々ここに来ては彼女とアンドロイドの未来像なんかについて意見を交わしていた。

 俺は今日、彼女に『一生のお願い』をするつもりで来た。

「今日はちょっと君に頼みがあってね」

 ユウコをウェンディの待っている車の方へ誘おうとしたとき、受付のアンドロイドが彼女を呼び止めた。

「ドクター・スガワラ。ゲートの守衛からお電話です」

 ユウコが受付嬢から受話器を受け取る。

「はい、ドクター・スガワラです」

 守衛の声は聞こえない。ユウコが返答している。

「いいえ。警察だろうと、令状無しに入れてはダメよ。ここには企業秘密がたくさんあるのよ」

 どうやらまずいことになってきたようだ。すでにウェンディの追跡が始まっているのだろう。首輪の情報を追尾すれば、居所などたちどころにばれてしまう。だからこそ、俺はここに来たのだが。

「じゃあ、そこで待たせておいて。私の方から出向いていくから。いいわね?」

 ユウコが受話器を受付嬢に戻した。

「で、何をしでかしたの?」

 彼女は今の件を俺のせいだと決めつけている。まあ、その通りだが。

「来てくれ」

 俺は急いでユウコを車のところに連れて行く。

「ウェンディ、降りて」

 助手席のドアを開ける。背後でユウコが息を飲むのが判った。

「マスター!」

 声を上げたのはウェンディの方だった。

 一瞬の静寂の間に、俺にも事情が飲み込めた。ドクター・スガワラがウェンディの前のオーナーだったのだ。それならばあの違法なチップの謎も解ける。元々、オリジナルチップのプログラムはユウコが設計した物だ。当然、感情抑制回路の除去などお手の物だろう。

 しばし立ち尽くしていたユウコが我に返る。

「ここはまずいわ。研究室に入りましょう」

 俺はウェンディを連れ、ユウコの後に続いて研究棟の中へと入る。日曜日とあって、通路に人影はない。

 俺は歩きながら、金曜の夜からの出来事を彼女に話す。ユウコは黙って聞いていた。

「私にはどうしていいか判らなかったわ」

 彼女の研究室に着くと、ユウコはか細い声で言った。

「そうらしいな」

 それはウェンディから聞いていた。

「スクラップになんか出来なかった。誰かに相談する事も出来なかった。……違法チップだったから」

「じゃあ、あらためてウェンディを俺に預けてくれないか?」

「どうするの?」

「ここにはデコード・プーラーがあるだろう?」

 デコード・プーラーとは、暗号化電子ロック式の首輪を取り外す事の出来る唯一の機械だ。大変高価な物で、大きさもかなりある。これを持っているのは政府の機関と、ウチの様な人形メーカーだけだろう。

 勿論、勝手に首輪を外すのは違法だ。が、外してしまえばウェンディを追跡する方法はない。

「でも、首輪無しのアンドロイドも違法なのよ?」

 残念ながら、代わりの首輪はここにもない。だが、首輪の外見はそれ程特殊なものではない。後でダミーの首輪位なら作れるだろう。

 ゲートに警察を待たせている。躊躇している時間はなかった。

「ユウコ。やってくれ。責任は俺が持つ」

「責任、って?」

 俺はウェンディを連れてここを離れるつもりだった。俺がいなくなれば全ては俺のした事になる。ドクター・スガワラが責められる事はないだろう。

「マスター?」

 ウェンディがユウコの顔を心配そうに覗き込む。

「判ったわよ、そんな顔で見ないでよ!」

 ユウコは怒った様に言うと、ウェンディを連れて部屋を出る。彼女も腹をくくったようだ。デコード・プーラーは奥の部屋にある。

 デコード・プーラーは何かの医療機器の様な形をしている。ユウコがウェンディを寝台に寝かせ、シャツをめくってお腹のパネルを開いた。プライマリー・スイッチを残し、全てのスイッチを切る。

「始めるわよ」

 ユウコがデコード・プーラーを作動させた。

 ブーン、という低いうなりと共にドーム型の機械が寝台の上を滑り、ウェンディの首の辺りで停止する。ここからはよく見えないが、触手の様なアームが何本も出てきて首輪をいじくり回しているみたいだ。一瞬、音が甲高くなったと思ったら、触手が一斉に引っ込んだ。ドームがそろそろと動きだし、元の位置に戻って停止する。ウェンディの首に首輪はなかった。

「首輪は停止したわ」

 ドームに回収された首輪をユウコが取り出す。開かれた首輪はもはや機能していない。

「警察が色々とうるさいと思うけど、全て俺のせいにしてくれ」

 俺はウェンディのスイッチを入れ、パネルを閉じる。

「いいえ。元はと言えば私の責任だから」

「いいんだユウコ。俺はウェンディと一緒に行けるのを喜んでいるんだ」

 ウェンディが寝台から降りるのに手を貸してやる。彼女は首輪がない事を確認し、それからはだけたシャツを直す。

「急ごう」

 俺はウェンディを連れて、車へと向かう。ユウコが俺に並びかけてきた。

「ちょっと待って」

 ユウコは途中、彼女の研究室に立ち寄るが、すぐに部屋から出てきた。

「さあ、急いで!」

 ユウコが俺の背中を突く。見るとユウコは泣いていた。涙の意味は判らなかった。

 車に乗り込む前に、ウェンディがユウコに駆け寄って抱きついた。二人とも何も言わなかった。

「ウェンディ、乗って」

 俺はウェンディを急がせる。

「ユウコ、世話になった。落ち着いたら連絡するよ」

 今度はユウコが俺に抱きついてきた。これが彼女との最初で最後の抱擁だろうか。


 走り出した車のバックミラーに、立ち尽くすユウコの姿が映っている。やがて車は花壇に沿ってカーブし、ユウコの姿は見えなくなった。

 ゲートを通過するときに少しスピードを落とし、守衛に手を振るが、車は停止させない。守衛も軽く手を振り返しただけで、制止はしなかった。ゲートの脇に黒塗りの車が止まっていたが追跡してくる様子はなかった。

 これでウェンディは自由になった。まずは二人でこの街を離れよう。

 町外れのドライブインで車を止める。駐車場を冷たい風が吹き抜けていく。振り返ると、夕焼けの空に市街地のビルが霞んで見える。ユウコは大丈夫だろうか。俺は両手を上着のポケットに突っ込む。

 と、右のポケットに何か堅い物の感触があった。取り出してみると、それはケースに入ったチップの原盤だった。あの時、ユウコが研究室に立ち寄ったときに取ってきたのだろう。そして別れ際の抱擁で俺のポケットに滑り込ませたに違いない。

 それが何のチップなのかは容易に想像が付いた。ウェンディの基盤に使われているのと同じ、感情抑制回路のない違法チップだ。

 俺にはドクター・スガワラがなぜこれを俺に託したのか解らなかった。これが裏社会で巨万の富を産む事は明白だが、彼女がそれだけの理由でこれを俺に持たせたとは考えられなかった。

 俺は原盤をポケットに戻した。

「ウェンディ、何か暖かい物でも食べようぜ」

 食事が不要なはずのウェンディが嬉しそうに頷き、俺に腕を絡ませてきた。いずれこの原盤がアンドロイド達の地位に変革をもたらすかも知れない。あるいはあの報告書が示唆した様に、人類に滅亡をもたらすのだろうか。今はまだ俺には判らない。

「イラッシャイマセ。オフタリサマデスネ」

 食堂の扉を入ると、安物の給仕アンドロイドが俺たち二人を迎えてくれた。彼女のカメラ・アイに、ウェンディは人間と映った様だ。

「ああ、そうだ。静かな席を頼む」

 食堂には二人の門出を祝うかの様に、クリスマスの優しいメロディーが流れていた。

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アンドロイド・ウェンディ 風来 万 @ki45toryu

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