うつつちほー

宇佐つき

うつつちほー

 瞼を開けると、そこは光の世界だった。


「すっごーい! 夜なのに明るいよー」


 隣でピョコピョコ動く長い耳に遮られ、ようやく僕の目は慣れる。マッチの火の灯りなんて目じゃないほどの光が、夜の闇を覆い尽くす光景に。


「ここが外のちほーなんだね! 高い山があちこちにあるよ! すっごくキラキラしてるけど、サンドスター? 後で登ってみようよ」

「山、というよりカフェみたいだけど……」

「あ、見てかばんちゃん! ヒトがいっぱいいるよ!」


 サーバルちゃんが指さす方向をじっと見てみると、確かにいた。自分と同じ、ヒトの群れを。皆黒い服を着ているものだから、見逃すところだった。こんなにも照らされていなければ。

 そう、皆同じに見える。僕と同じように。

 でも、サーバルちゃんにとっては違うみたい。


「あんまりかばんちゃんに似てないね。ヒトって、色々いるんだ」

「そうかなぁ」

「あ、でもあの子、ちょっとかばんちゃんに似てるかも」

「え、どこどこ」


 サーバルちゃんの視線を追うも見つからない。ここのヒト達はせわしなく動いていた。何かに急かされるように。中々声を掛けてみることも出来ない。

 そうこうしていると、視界にサーバルちゃんが割り込んできた。


「ねぇ君、かばんちゃんを知ってる? ……あ、行っちゃった」


 外のヒトはこちらを無視して群れに戻っていく。サーバルちゃんも諦めて戻ってくる。まるで僕達は透明になってしまったようだ、カメレオンさんでもないのに。

 ここはジャパリパークの外、ヒトのなわばり。

 ――だけど、僕は入っていけるだろうか。


「かばんちゃん、大丈夫?」

「……うん、平気だよ」

「何か困ってるなら、私に任せて」


 不安を抱いた時、いつもサーバルちゃんは心配してくれる。いつまでも一緒にいられるわけじゃないから、一人でも頑張らないといけないのに……今もつい、頼りにしてしまう。

 とりあえず、そびえ立つ「山」に登ってみようと提案するサーバルちゃんだが、崖が平たくて無理だった。やはりアレは山ではなく建物みたいだ。僕がそう言って中に入ってみようとしたが、中のヒトに入ってはいけないと追い返されてしまった。

 どこへ行けばいいのだろう。しばらく僕達は道なりを歩く。あてもなく。


「ごめんねサーバルちゃん、僕に付き合ってもらって」

「へーきへーき! こっちこそ、よくわかんなくてごめんね。あーあ、ボスがいたらガイドしてくれるのになー」


 そういえば、ラッキーさんがいない。ここがパークの外だからか。

 ラッキーさんだけじゃない――何か大切な物を、僕は置き忘れてきた気がした。

 それにしてもここは自然の物が少ない。

 景色にサバンナのような広がりがなく、どこまで行っても地下迷宮めいている。ツチノコさんはあそこがヒトを楽しませるために作られたと言っていたし、ここもそうなのか。ヒトのなわばりだから。

 そしてヒトのなわばりだからこそ、ヒト以外の動物は――


「それにしてもバスの仲間? たくさん走ってるよね。ボスが動かしてるのかも。おーいバスバスー」

「サーバルちゃん危ない!」

「うみゃっ?」


 バス的な物の間に飛び込みかけたサーバルちゃんを、間一髪、押し留めた。頬を汗が伝う。まるで大切な友達が洪水に飲み込まれて、二度と会えなくなるような気がして。

 それらは僕らに構わず動き続ける。その時の僕にはバスではなく――セルリアンに見えた。

 そして、隙間の向こう側に、見えた。

 動物をひもで縛って連れ歩く、ヒトの姿。

 この世界での、ヒトと動物の在り方。


「……かばんちゃん、ねぇかばんちゃんったら!」


 ハッとして、僕は振り向く。いつの間にやら僕とサーバルちゃんの位置が逆転していた。


「大丈夫? 顔色悪いよ。私が飛び出したせい、かな……」

「そんなこと、ないよ」

「ううん、やっぱりよくないよ。はしゃぎすぎちゃったよね。そうだ、あそこの木陰で休憩しよ!」


 手を繋いだまま、サーバルちゃんは僕をグイグイ引っ張っていく。それがとてもありがたかった。

 そう、。外のちほーでは、ヒトのなわばりでは、お互いにフレンズでいられることは。

 そんな事実、気付きたくなかったな。

 僕はやはり、サーバルちゃんに別れを告げなくてはならないだろう。ヒトの世界に辿り着いてしまった以上。ここはフレンズの皆には合わないちほーなのだ。

 しかし持ち前の臆病さで言い出せない。つい目を逸らして、上の空。そんな僕の様子をサーバルちゃんは木に登りたいのだと解釈して誘う。いつもと変わらぬ無邪気さで。するとコクリと頷くことしか出来なくなる。


「うみゃみゃぁ、かばんちゃんも木登り上手!」

「サーバルちゃんのおかげだよ」

「周りがよく見えるね。すっごーい、きれーい!」


 確かに、地上の灯りは夜空みたいで綺麗だった。こうして見下ろしているだけなら。


「やっぱりあれ、バスじゃないのかなぁ。あれ? バス……バス! 見て見てかばんちゃん、ジャパリバスがあるよ!」

「えっ? あ、そっくりだ」

「ね! あれ、乗ってるの、ミライさんじゃない?」


 僕は驚いてサーバルちゃんが指さす方に目を凝らす――すると本当に映った。あのミライさんが。僕のすぐ傍に。

 ――おかしい。

 先程まで木の上から見下ろしていたはずなのに、いつの間にかバスの中。外の景色は瞬く間に移り変わってゆく。変わらないのはバスを運転する見知らぬ人と、ミライさんのみだ。僕は小さくなったみたいで、ミライさんに抱えられている。

 サーバルちゃんは、いない。


「この子の名前、ラッキービースト、はどうですか」


 ミライさんが隣の運転手さんに言った。僕を見ながら。どうやら僕はラッキーさんの視点で見ているらしかった。

 運転手さんは返事をせず、それからミライさんも黙りこくっている。時々後ろを気にして振り返っていた。一体ミライさんは何を見ているのだろう? 生憎ラッキーさんの体は動いてくれない。

 しばらく経ってから、ミライさんはまた口を開いた。


「ジャパリパーク、でしたっけ。そこへ行けば、けものさん達ものびのびと暮らせるといいのですが」

「……檻の中よりは広いでしょう」

「そうですね。もう少しの辛抱ですよー」


 そこでミライさんが振り返るのを目にして、直接見ずとも理解できた。後ろにいるのが誰なのかも。

 ――声がする。いつもと違って言葉にならない声だけれども。僕を呼ぶ声が。

 僕は――

 ありったけの思いを込めて、返事した。


「サーバルちゃん、パークに帰ろう! 僕は戻りたい! 皆と一緒に!」




 瞼を開けると、皆がいた。

 アライさんやフェネックさんやヒグマさん達だけじゃない。博士さんに助手さん、今まで色んなちほーで出会ったフレンズの皆が。そして、サーバルちゃんが。

 僕は黒いセルリアンに食べられて……戻ってきた。皆がいるジャパリパークに。

 その間、何か夢を見ていた気がするが、どうにも思い出せない。おぼろげな記憶はあっという間に意識の底へと沈んでいく。

 それでも確かに覚えている、あの時の「帰りたい」という思い。だからこそ帰ってこれたのだと、僕は信じた。そうでなければ今も夢の中だったかもしれない。

 ――いつか、パークを離れる時が来るかもしれない。船を失ってなお、ヒトのなわばりを探しに行きたいという気持ちがある限り。

 けれど、いつか、またいつか。僕はここに帰ってこよう。必ず帰ってこよう。だって――


「かばんちゃん!」


 サーバルちゃんが、呼んでいる。

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うつつちほー 宇佐つき @usajou

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