第52話 涙を吸う


【魔境】と言われても、晴れる時は晴れる。花が咲く時は咲く。


プルー湖南部にある湿地帯には黄色い花が咲き乱れていた。


「…」「…」『ピィールルル!』


ドッチャッと湿原の草と泥を叩いて飛び上がるのは【鷲と馬の魔獣ヒッポグリフ】。


【鷲と獅子の魔獣グリフォン】が馬と交配して生まれた【魔獣】。


【魔獣グリフォン】と【魔獣ヒッポグリフ】は飛翔出来ない。理由は単純、獅子と馬の体が重いのである。

しかし、【飛翔】せずとも翼を使っての滑空。高所から襲撃。崖などの危険地帯を気ままに動ける脅威は【魔獣】と呼ばれるに相応しい力である。


「地面が泥濘んでる湿原をこの速さで駆け抜けてると、数年前の自分の苦労は何だったのって思う…」

【魔獣ヒッポグリフ】ことアヒルに跨るノーブルは遠い目をして語る。


「馬も頑張れば走れますが、ちょっとした泥沼に落ちたらコケますね。跳び越えたくても草で地面が見えないと跳びようがありませんし…」

同じくアヒルに跨るアディはノーブルの背中にくっ付きながら返答する。


「翼で体勢立て直せるのと、直進なら一回の跳躍と滑空で一気に進むのは利点だよなぁ」

「羽ばたいて急停止は出来ても曲がるのは無理ですけどね。町や森では障害物多くて、普通の馬と…いや、危ないからそれ以下になるのが難点です…」


『ピィールルル!』


緑の絨毯の様に草が生い茂る湿原を高速で駆けていくノーブル一行。

しばらく移動すると赤みのある黄色い花の群生地へと景色が変わる。


「青空に黄色い花畑、魔境とは思えない光景だよなぁ」

「あっ、【ワスレグサ】の花ですね、綺麗です!」


【ワスレグサ】

春に採れる山菜のひとつであり、水気の多い場所に群生する植物である。


「若芽だったら摘んでって食べるんだけどな、花が咲いてるとなぁ」

「…なんかこう…もう少しロマンチックな事を言えないんですか…食い気ばかりですねノーブル様は、もう!あっ、そうだ私、花を摘んできますね」


「お手洗いか?」

「違いますよ!?【ワスレグサ】の蕾も花は食べれますよ」

顔を真っ赤にしてノーブルを叩くアディは怒りながらもキッチリ説明する。

「ん?そうなんだ?」

「はい、止血とか腸の働きを助けるとか薬としても役立ちますよ」


「へー、薬か…確か秋にも咲いてたけどそっちもか?」

「えっ?【アキノワスレグサ】も生えるんですか?鎮静や睡眠障害の緩和する薬になるからお金になるってママが…」

驚いた後に少しずつ声が小さくなるアディにノーブルは苦笑する。


「そうか、まっ、なら幾つか摘んで行こうか。アディの作る料理美味いし、薬の評判も良いしな」

「…あっ、ハイ!任せて下さい!最近はリャマの乳を使ったシチューが凝っていてですね、あっ、ワスレグサの蕾と花を入れたら色があって良さそうですね!」

俯いていたアディは明るい表情に戻ったことに安心するノーブル。

「ははっ………んっ?」


「…?、どうしました?」

アディはノーブルが会話を止めたことに気付くと周りを軽く警戒する。ノーブルを見れば花畑やアディとは違う方向を向いている。


「…あっ」

そんなノーブルの視線を追うと見慣れない光景がそこにあった。


河からワニが顔を出して泳いでいるのだが、そのワニの顔に色鮮やかな蝶が群がっていた。


「何でしょうアレ?怖い顔なのに、リボン付けてるみたいでカワイイですね」

クスリと笑いながらアディは率直な感想を言う。


「ん?ああ、ワニの涙を吸ってるんだよ。足りない栄養を補っているのさ」

「涙に栄養?…ああ、しょっぱいですもんね。蝶にも塩とか必要なんですねー…ふーん、あっ!いやダメか…」


「どうした?」

「…いっ、いえ、私ってノーブル様の魔力吸っているので、あそこにいるワニと蝶みたいにお似合いですねって言おうとしたんですけどね」

頭を掻きながら言葉を溢すアディ。


「ああ、まぁ…吸うだけで何か返すワケでも無いからな」

「ウグゥっ!?」


「…最近、アディちゃん何かとくっ付きたがるよね」

「…それは、だってノーブル様が王都に行くんですよね?」

「そりゃあね、行って催しに参加するだけでお金貰えるんだもん、開拓でお金のない僕が行かないわけがない」


「うっ、うー…グスッ」

「えっ?泣くの!?どうして!?」


「ノーブル様と…一緒にいられないじゃないですか…」

「いや、クラン【炭の従士】として行くよ?アディちゃんも一緒だし、鳥好きの侯爵の依頼としてアヒルも王都に入れるから大丈夫だって」


「ち、違うんですぅ、その、だって…王都って【あの人】がいる所ですよ…ノーブル様も成人してるからそのまま結婚するんじゃないですかぁ…」


「いや、別に決まったワケでも無いけどな…婚約なんて口約束だし、【あの子】も6年会ってないし他に好きな人でも出来てんのかもよ?なんか噂も結構あるし」


「ぅうう…あり得ませんよ…私が小さい時にお世話になりましたが、あの人はノーブル様しか見てないもん…」


「…」


「あの人はノーブル様を【王】にしようとしてる…今回呼ばれたのはその【準備が整った】からですよ…」


「それは…」

(無いとは言えない…むしろ喜んでやりそうだなぁ【あの子】)


「全員参加には【王族】どころか【剣王】に【次期国王】もいます。ノーブル様がお強いのは私が知っていますもん…ボコボコにしちゃいます…」


「ボコボコに?うーん、どうなんだろ?お金くれるから負けてって言われたら負けるかも…」


「とにかく!私は今のままのノーブル様がいいんです!休日はダラダラと私とパパとお茶してご飯食べてるくらい丁度良いんです!」

ノーブルの胸を叩くアディ。


「まぁ…分かったよ、アディちゃんの気持ちは」

ポン…ポン…とアディ軽く背中を叩いて落ち着かせる。


「グスッ…ううぅ…」


「…全く、王都に行く前からこれじゃあなぁ…先が思いやられるよ」


『ピィー!』


【魔境】よりも王都を忌避する彼らの想像はその通りか否か。

そんな思いを掻き消すように黄赤色の花びらが風と共に舞い踊る。


「…ただ今だけは」


【ワスレグサ】の花言葉は多くある。


悲しみを忘れる


憂いを忘れる


愛の忘却


そして【宣告】


王都に行かない選択をしても、【喧騒】いずれやって来ると。


「…ただ、今だけは先の事を忘れよう」

ノーブルは身の危険を知らせてくれる小さな妖精の額に軽く口付けをする。


鰐が動かなければ蝶は安心して羽を休められるのだろうか。


そんな思いをきっと無駄なのだとノーブルは小さくため息を吐いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る