階段の死闘
誰かが「窓を開けないでください。ハトが入ってきます」という注意書きを無視して窓を開け放しにしたらしい。オレとSが階段を上ってくると、頭上でばさっと何かが羽ばたく音がした。ハトじゃなかった。カラスだった。それも、やたらデカい。
この妙な作りの雑居ビルは、五階から七階が美術ギャラリーになっていた。一般利用可能なエレベーターが四階までしかないので、その先は階段移動になる。
オレとSは七階で開催中のYの個展を見に来たのだ。現代アートの世界では、このギャラリーで個展を開くことは新人の登竜門とされているが、Yの絵は子供の落書きみたいなもんだ。それにはSも賛成している。もちろん、オレとSも芸術家のはしくれなわけだが、今はそんなことはどうでもいい。今はカラスだ。
そのどデカいカラスは、急降下してSに襲いかかった。爪で額を切り裂かれ、鋭い嘴で目玉を潰されたSは、叫びながら階段を転がり落ちていった。
カラスは、未来の大芸術家であるオレにも容赦なく襲いかかってきた。腕の皮膚を切り裂かれ、オレは泣き喚きながら持っていた団扇を振り回して応戦した。
階段を上がって六階に逃げ込もうとしたが、フロアに通じる鉄の扉は堅く閉ざされていた。見ると、「今週は展示替えのためお休みです」と正方形の小さい紙に、こじんまりと書いてある。畜生。ハメられた。
オレは下の踊り場に倒れたSを見た。足はひん曲がり、ぴくりとも動かない。
Sが死んだことにはどんな感慨もなかった。S、こいつは尊大でイヤな奴です。絵が二十万で売れたとか、有名美術評論家とフェイスブックでつながってるとか、いつもいつも自慢ばっかりしやがって。死んで当然だ。いいSとは、死んだSだ。
開いていたのは六階と七階の間にある窓だった。カラスの奴をそこから追い出すか、それとも真っ向勝負を仕掛けるかだ。
オレは持っていた団扇で「あっちへ行け、あっちへ行け」という感じでカラスを窓の方に追いやろうとした。しかし、奴はひょいとかわして、手すりをとんとんとんと跳ねてうまく距離をとった。
そういうつもりなら仕方ない。勝負してやろう。空中戦ってわけじゃないんだし、人間の成人男子が鳥類と戦って負けるわけがない。確かに足場は悪いが、それくらいのハンデはくれてやる。
カラスがカァと乾いた声で鳴いた。カラス、なぜ鳴くの。いつでもいいぜということらしい。いい気になっていられるのも今のうちだ。
オレは団扇を捨て、斜め掛けにしていたショルダーバッグを外して紐を握りしめた。道具を使えるのが人間と動物の決定的な違いだということを教えてやる。
オレは息を詰めてタイミングを見計らった。
カラスが再び羽ばたこうとした。オレはその瞬間を逃さず、大きく息を吸い込んでショルダーバッグをやぶれかぶれに振り回しながら突っ込んでいった。
まぐれ当たりの一発が奴の横っ面に当たった。
壁に跳ね返って階段に落ちるカラス。
オレはとどめの一撃を食らわす。飛び上がって、かかとで踏みつけにするのだ。ありったけの体重をかけて、仕上げにぐりぐりひねってやる。
完全勝利。百獣の王はウサギを仕留めるのにも全力を尽くす。オレは全身から力が抜けるのを感じた。
そのとき、下から何か音が聞こえた。見ると、Sの死体に黒いカラスがのしかかっている。別の奴だ。いつの間に。しかも、こいつがまた、やたらとデカい。そして、Sを食っている。いかにも野蛮で獰猛な食べ方だ。道具を使えないと、こういうことになる。
どうなってやがる。カラスの奴らめ、突然変異でもしたのか。
四階まで降りるのが得策とは思えない。こちらはかよわい芸術家だ。普段抽象的なことばかり考えているし、食べてもおいしくありません。オレは七階を目指そうと、そろりそろりと階段を上がった。
何なら七階ギャラリーにいるYを「見せたいものがあるんだけど」と誘い出し、階段に突き落として締め出してやってもいいかもしれない。それがいい。そうすべきだ。
いや、それともそのYが、これを仕組んだんじゃないのか。Y、こいつは気取ったイヤな奴です。いかにもありそうなことだ。芸術家には敵が多い。七階のギャラリーで次はオレの個展をする話でも持ち上がって、嫉妬したのかもしれない。
すると頭上でまた何やら音がした。開け放しになっていた窓のところに、また別の一羽が降り立ったのだ。
もちろんカラスだ。今日見た中でも最大級のやつ。ハトはどうした、ハトは。
そいつは挨拶代わりにカァと鳴いた。こりゃどうも。
そのとき、下からもカァと聞こえた。見ると、Sを食っていた奴が今度はオレに狙いをつけている。
挟み撃ちかよ、畜生。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます