3600年の恋人たち

@oqo_me_shi

3600年の恋人たち

 西暦3600年。この世は全部ハッピーなので基本ピースだし、甘いものであふれていてみんなヤク中だ。世の中にヤクが溢れていて、コンビニで全部買えるけれど、店員もラリっている。

 金というシステムが不要になって残ったのは、ハッピーなセックス・ドラッグ・バイオレンス。血は薬のやりすぎで、それ自体がドラッグになってしまった。愛する人の血を注射器で自分の体に入れるのが、最高の愛情表現で、人々は祝福せざるを得ない。

 注射器なんてまどろっこしいという若者たちは、カジュアルに恋人とキスしては刺す。血を直接浴びて最高の多幸感を得て、恋人は世界一幸せな自分の血を放出して死ぬ。そうすると、この世で一番の快楽が若者を襲うのだった。街じゅう血まみれで幸せな人がうろついている。


 下品だわ、なんとかならないかしらとテレビを見ながらマダムが、ブラッド・リキュール入りのワインを飲む。もちろん夫の血でできたワインだ。

 おかげで傘が手放せないわ、とマダム。ハッピーでラブリーでセックスな若い恋人たちの愛は、常に大人を困らせるものだ。

 マダムがブラッド・リキュールを追加するか考えあぐねていると、夫が帰宅する。

「またアイツは遊びに行ってるのか」

「そうみたい。でも、放っときましょ」

 夫婦には娘がいる。

 彼女はアカミ、16歳。毎週末の夜は、金持ちの男の車に乗せられてどこかへ行く。血を抜きすぎて貧血気味のアカミのことを、マダムは内心どうでもよいと思っている。

「ねえ、アナタの血がほしいわ。ほら、今日スーパーで、ハッピー・キャンディと、ピンク・ビスケットを買ってきたの。夕飯のあとにでも食べましょ」

 夫婦もまたドラッグにおぼれているが、そんなことはどうでもいい。ダンスの誘いを受けた夫はたいそう喜んで、マダムと30秒キスした。


 ふたりがベッドで血液を交換している頃、アカミは金持ちの男・ハートランドと夜の首都高を走り回っていた。夜の首都高は恋人たちの血、ちぎれた指や腕や脚であふれかえっていた。

 数メートルおきにハッピー・バイオレンスの光景を見せつけられたアカミは、苛立っていた。

 もう、こうして首都高を走って、走り続けて私たち、どれくらい経つの? いくら私が16だからって、手くらい出してもいいのに。私の血ならいくらでも――。

 アカミが考えた瞬間、退屈なカーラジオが切れた。ハートランドが何か操作すると、よくわからないクラシックが流れてきた。

「ハートランド」

「なんだい」

「どういうこと」

 ハートマンは、口の中のキャンディーをカチャカチャ言わせながら答える。

「こんな夜にはふさわしい曲があるってこと、思い出してさ」

 ハートランドがマスクの下でニヤッと笑うのが見えた。

「ほらアカ、キミも食べよう。なんでもあるよ」

 アカミは、世界最大手のディスカウント・ストアのロゴが入った、オレンジ味のハッピー・グミを一気に5粒掴み、口に押し込む。

「もごもご……ほお、ふふわあふぃーひょふって、もぐもぐ、何」

 男はハッピー・ミントガムを噛みながら「ねちゃくちゃ、この曲だよ」と言ってボリュームを上げる。

「『3400年の恋人たち』。もう200年も前の曲だからね、くちゃくちゃ、アカは知らないかもね。もぐもぐ、いい曲なんだ、これがね、ねちゃ」

 そんなことはどうでもいい。アカミはシートベルトをキュッと掴むと、すぐさま外し、ハートランドが握っていたハンドルを思いっきり左に切った。

 車は聖歌隊の子供を全員逆さ吊りにしたような声を出し、ボンネットは大破した。壁際でラブ・ハッピー・バイオレンスしていた恋人たちは、上下に分かれた体で尚も幸せそうに笑い狂っている

「アカ、」

 ハートランドはアカの頭をそっと撫でて見つめる。

「アカ、キミは本当にかわいくてわがままでハッピーな子だね」

「そんなことどうでもいい」

 アカミは吐き捨てる。私が本当にしたいのは、本当のことは――。アカミはハートランドの頭をつかんで、粉々になりかけたフロントガラスに思い切り押し込んだ。ハートランドは顔じゅうから血を噴き出し、車の中を、世界を血まみれにした。アカミはハートランドの口をあけて、ガラスの破片とハッピー・グミオレンジ味をぎゅうぎゅうに詰め込んだ。頭頂部と顎を掴んで上下に動かし、咀嚼させると、ハートランドの唇から血しぶきが漏れ出る。

 すかさずアカミはキスした。一滴たりとも逃すまいと、チープなオレンジの香料とドラッグの臭気と血を口で受け止める。アカミが今まで飲んだどんな血よりも甘く、生臭く、虚しかった。

 そのままハートランドが乾涸びるまでキスは続いた。

 アカミは『3400年の恋人たち』を止めて、カーラジオに切り替える。カーラジオはプランクトンの鳴き声をサンプリングした、ハッピーなジャズを流していた。


 やがて世界はハッピーな朝を迎え、アカミは帰宅し、マダムと夫のおぞましい性行為を目撃してしまうが、アカミはハートランドの血によって史上最高にハッピーなので、ブラッド・リキュールの空き瓶で窓ガラスを割り、その破片を首筋にあてて、部屋中を血まみれにしてマダムと夫を祝福した。

 マダムと夫は裸のままアカミの首筋にそれぞれキスして、そのままベランダからゴミ捨て場に飛び降りた。

祝福された二人は心中せざるを得ない。

 ゴミ収集車のハッピーなアンセムがアカミの耳にも届く頃、アカミは制服を着て、学校へ向かった。

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