第6話 ※性描写あり。そこまで密な描写ではありませんが念のため苦手な方は飛ばしてください。

 ドルジは目の前の男が、確かに王なのだと思った。人を屈服させられる気の持ち主。長たる者の風格。「長」というものは、一種生まれもってきた気性なのだ。自然と人の間に立ち、先導し、他の者が連なる。

 傑にはそういった一握りの人種が持つ、燦然とした何かをまとっていた。悔しくも、ドルジはそう思ってしまった。今にも眼前を覆いかぶさろうとしている黒い闇にドルジは怯んだ。身じろぎもできないほどに。

「ぐっ、ああっ!」

 首筋が熱い。

 黒い獣に牙を立てられたのだと気付いたのは直後だった。声を上げれば上げるだけ、傑の牙はドルジの首筋に深く刻まれた。

 両手の自由を奪われた彼は、何とか覆いかぶさる傑を蹴り上げようと試みるが、傑はびくとも動かなかった。ドルジの脚力が恐怖により弱まっているのか、それとも傑の力が想像以上に強いのかは分からない。ただ、何度蹴り上げたつもりでも、膝から下がばたばたとあがくだけだった。

 しばらくすると傑は含み笑いをしながらかぶりついた牙をおさめた。唇や鼻にはドルジの首から流れた血がてらてらと蝋燭の光に照らされている。それをぬぐった指先を一本一本丁寧に舐め取る。

 ドルジは呼吸を荒立てた。俄かに、狩りの対象となった恐怖を感じた。

「ここを狙っていたのだろう」

 傑は血を舐めとった指を二本、己の首筋に当てた。ドルジよりも白い首筋に灰色の血の管が浮かび上がっている。

「余は喜んでいる。余を殺そうとする輩がついに寝所へ参ったのだからな。影で、表で、幾度も殺してやると言われ続けたがここに辿り着けた者はいない」

 傑の言葉は挑発めいていたが、皮肉ではなさそうだった。反対に、心の底から歓喜しているようだった。戦で勝鬨を聞いた兵のように、胸の内側から熱が沸々と湧き上がり、あぶくを伴って煮えているかのようだった。

 ドルジは恍惚とした王に再び臆した。生を喜び、まっとうに暮らしてきたドルジにとって、傑は想像よりもずっと理解しがたい歪んだ存在に思えた。天から死を賜るつもりもないのに、賽で死の目が振られるのを至高の遊戯のように熱望している。

「なぜ……。なぜ貴様のような人道にもとる虐殺者が死なない」

 苦虫を噛み潰したような顔のドルジを見て、傑は不思議そうに眉をひそめる。

「なぜって、貴様がしくじったのだろう。それに、余の民と余の家畜を窃盗する貴様らは人道にもとらぬか」

 心外だと言わんばかりに非難するが、やがて思い出したかのように喉を鳴らして笑うと、

「――否、北戎は獣の氏族であったな」

 両手でドルジの首を絞めた。

 ドルジは驚きのあまり声を失ったが、傑は構わずにしゃべり続ける。

「獣は調教せねばならぬのだが、まこと残念なことに余にも獣の一族であるらしい。貴様らと違って血に流れているのではなく、“気”の性質の問題でな。余の父母にも獣の気質があって、そういう意味では血には抗えぬのだ」

 ドルジは、傑の言うことが何を意味するのか理解できなかった。確かに曄の先代王は政を放棄し、享楽に耽ったため宰相一派が力を持ち、国の安寧をかき乱したと、遠くビュレの草原にも伝わってきていた。その妻にして傑の母の話はよく聞かぬ。一体何が獣と関係あるのだというか。

 傑の両手の力が緩められた。左手がドルジの首筋を滑り、鎖骨の凹凸をなぞる。やがて曄服の襟の合わせを避けるように、指先はうっすらと筋肉の張った、しかしまだ少年の薄さを残す胸の上で止まる。

「父にも、母にも、余にも、淫の気があってな」

 どくんと心の臓が飛び跳ねる。突然、乱暴に襟の合わせが広げられ、上半身が露わになった。

「獣――というよりは、“けだもの”の血だ」

「なに――」

「後宮の媚び狐どもでは到底満足できぬ。気高き狼とやらは果たして余を楽しませてくれるかな」

 黒い獣の瞳がぎらりと光り、近づいてくる。右手をずらすと、傑は流れた血を舐めとるようにねっとりと舌を首筋に這わせる。唇から吐き出された息が舌の熱と絡み合う。

 ドルジはぞっとした。頭がひんやりとしてやけに寒々しかった。王の暗殺を決行する時に命の覚悟をしたはずなのに、それよりもずっと恐ろしいことが起きようとしていた。

「や、やめろ……!」

 傑の指はドルジの拒絶を意に留めることなく胸をまさぐる。後宮の女にするように、男であるドルジにも同じ手順をする。だが、反応の乏しいドルジに、傑は眉を寄せる。

「トズやトゥルナの堅物女どもでも胸を揉めば喜びよがるというのに物足りぬと申すか」

 傑は後宮の半数を占める少数民族の女たちを例にあげて疑問を呈した。傑にしてみれば、ドルジが己を拒み、恐怖しているとは露とも思いつかないのだ。王に抱かれるのは後宮では誰しもが名誉と浮かれるくらいだから、ドルジにもその名誉を与えれば、さすがにほだされると思っているのかもしれない。

「うむ、余は前戯を大事にするほうなのだが良いだろう。ならば生き急ぐ貴様に譲歩しよう」

 舌が体を這う。快感などはなかった。ただ、得体のしれぬ蛞蝓のような何かが、ドルジの体を道のように移動する。鎖骨、胸、脇腹、得体のしれぬ生き物が通り過ぎるたびに、背骨の両側がぶるっと震えた。

「やめろ……。やめてくれ」

 暴れてもどうにもならぬ状況に、ドルジは次第に語気を弱める。

「そう拒むものではない。慣れれば快楽。初めてが女でないゆえ悲しいか。遊牧民たちは男色を好むのだろう。習慣とするのであろう。なれば貴様も今宵からは立派な北戎の男だ小宝」

「俺は好まぬっ!」

「威勢の良いのは好きだ」

「貴様を殺す! 何度でも……! っふ……」

「何度でも殺しに来るといい。――だが、先に余だ」

 傑がドルジの脚を撫ぜる。引き締まった筋肉の膨らみを何度も行き来する。やがて手はドルジ自身を包み、慈しむように、或いは乱暴に愛撫を重ねた。不快でしかない行為だった。目の前の男も不快であれば、縛られて良いように弄ばれていることも不快だった。しかし、気持ちとは裏腹に指の腹で執拗に弄られたそれは次第に硬度を増して張りつめた。

 傑が脇腹を舐めながらにやりと笑う。ドルジが何事かを言ったり、反応したりするのを待っているのだ。ドルジは目を瞑り、息をかみ殺すしかなかった。

 それが却って傑の欲情を煽った。下半身から溢れた粘度のある液で指を濡らすと、更に奥を求めて指を進める。

「あ、あぁ……、や、ぬけ……!」

 ゆっくりと入口を広げるように、傑の太い指が奥をなぞる。傑は悪事に満足したようないやらしい笑みを浮かべた。

「ようやく反応したな。何、徐々にほぐせば思ったよりも痛くはならないだろう」

「やめろ……! ぬけ……!」

「良いな、減らず口も怒った表情も良い」

 傑は指を増やすと殊更嬉しがった。着物を肌蹴させ、大きく屹立する自身を褐色の半身に摺り寄せた。

「白い肌の花のような細身の少年も良いが、貴様のような褐色肌も良い。髪の色が良いとは言ったが、そうだな、目尻に朝露のような涙をためて憎しみを宿す目も良い。余を八つ裂きにしてやりたいのにできないもどかしさ、ひしひしと伝わってくるぞ」

「……!」

 素直に命をとられたほうがどれほどましか。これまで以上に腹の中で煮えくり返った憎悪が出口を見出せずに体躯を駆け巡った。雑草のように踏みつけられても何度も首を上げてきた矜持が蹂躙される。かの王が己の部族や、それに連なる部族たちを蹂躙してきたように。彼は支配し、害することでしか快感を得られないのだ。そんな歪な存在に屈してなるものか。

 肘を張り、脚を蹴り上げようとした時、ふいに傑がドルジの下半身を返し、何かが中に侵入した。

「うっ……、あ……いた……な……、やめ、ろ」

 声が上ずる。熱を帯びた傑自身が内部から肉を抉るように動く。

「痛い……! やめろ……! や、めっ……」

 熱は、傑自身の持つものなのか、傑によって己の熱が引き出されているのか、それとも痛みのせいなのか、判然としなかった。ともすると、すべての熱が一体となって体を侵犯しているのかもしれなかった。

「いたっ……! 痛い……!」

 本来男を受け付ける場所ではないところに、無理にあてがわれたそれは震える声を聴いてなお、奥へ進むのを止めなかった。何度も腰を打ち付け、血と蕩けた液が腿を伝う。

「うぅ……っ!」

 痛みにしゃくりあげるドルジの唇を、傑は節くれだった指でのけて舌を押さえる。もう片方の手では腰の動きよりも素早くドルジ自身を包んだ。

「行為に没入すれば痛くなどない。じきに愉悦に変わる」

 耳元で囁き、輪郭をなぞるように舐める。

 ドルジの矜持がこれほどまでに打ち砕かれたことはなかった。メルゲンと呼ばれ、英雄のように丁重に扱われた過去はもはや幻想だった。快楽などないのにあたかも自然に反応を見せる体が憎らしかった。

 熱はもはや憎悪と痛みを包括して全身に巡った。体が脈打ち、動きが緩やかになったとき、彼は改めて自覚した。彼にとっての現実は脚を伝う体液のように熱を奪われ冷え冷えとした生の残滓であると。

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