世界が終わる日に君におめでとうといいたい

葵 悠静

世界が終わるその日に君におめでとうといいたい


 僕は人を愛することができない。だって僕には人の顔が分からないから。

 顔どころか僕は他人の全身が分からない。僕が普通じゃないって気づいたのは、気づかされたのは幼稚園の頃だった。


「どうしてみんなの周りにはこんなにちょうちょが飛び回っているのに、僕の周りにはこんなにちょうちょがすくないの?」

 その時の周りの目を僕は一生忘れないだろう。おかしな人を見つめるように僕を見る目、異常者を見つけた時の目。


 幼い頭の考えでもその時、僕は周りの人とは違うんだということを悟った。



 僕の周りには小さなころから、きっと生まれた時から青い透明な蝶が飛び回り、一人一人に纏わりつくように飛び交っていた。

 大人になればなるほど蝶の数は少なく、子供のころは周りのみんながまるで巨大の蝶のように見えるほど、たくさん飛び回っている。

 それが『人の寿命』だということを僕は大きくなるにつれて理解した。


 だから僕は同級生のほとんどの人の顔を知らないし、知り合いの中でも顔を知っている人は数少ない。僕が知っているのは両親の顔と、死んだおじいちゃん、それと唯一僕と何も気にせずに話してくれるあの子。


 僕がその人の顔を知るチャンスは二回ある。

 一つはその人が死んでしまった時だ。死んでしまった時にはその人の周りには一匹も蝶はおらず、その時初めて死に顔である安らかな表情を見ることができる。


 だから僕は大量の人が死ぬ場所、いわゆる自殺スポットが好きだったりする。今より行動的だったころは、自殺サイトにも加入してわざわざ人が死ぬ瞬間を見に行ったりしたこともある。


 まあ大概の自殺サイトは僕が死なないせいで出禁になってしまったのだけれど。

 その人が崖から飛び降りる瞬間、薬を飲もうとする瞬間にその人の周りから蝶が霧散し、その人のこの世に絶望した瞬間を見ることができる。

 人が死ぬ瞬間を見ているときだけまるで自分が普通の人に戻れたような、そんな錯覚に陥ることができるのだ。


 もう一つのチャンスは、誕生日の時だ。誕生日を迎えた瞬間、つまり日付が変わった瞬間に蝶が数分その人の周りからいなくなる。その時だけはその人の生きている表情を見ることができるのだ。

 だから毎年両親が歳をとる瞬間は絶対に一緒にいるようにしているし、初めてあの子の顔をまともに見ることができたときは泣いてしまったほどだった。


「……行かなきゃ」 

 時計の針は11時50分を指している。僕は布団から抜け出し、一年ぶりに寝巻以外の私服に袖を通した。 


 周りを飛んでいる三匹の蝶がうっとうしくて、思わず払いのけるようなしぐさをしてしまう。そんな行動は無意味で、僕の手は蝶をすり抜けてしまう。

 僕の周りにはあと三匹の蝶しか飛んでいない。僕はその意味を理解した時、自殺サイトを探すことをやめ、部屋から出ることをやめた。ほっといても僕はあと三年後には何かが僕の体におきて原因で死んでしまうのだから。  


 軽くため息をつきながら自分の部屋を出て、暗く寝静まったリビングを通りすぎ、少し寒気が残る春の夜に足を踏み出した。



 うるさいくらいに輝いている月明かりに照らされているだけの、街灯のない暗い歩道を歩きながら、僕はあの子のことを考える。 


 あと五分後にはあの子の誕生日だ。僕の近所に住んでいて僕がおかしな発言をしだしてからも気にせずに、遊んでくれていたあの子。両親の時と同じように僕はあの子の誕生日を迎える瞬間には必ず顔を出すようにしている。 

 一年に一回でもいいからあの子の顔が見たいから。数分かもしれないけど、一年に一度外を出るには十分すぎるほどの理由だった。


 あの子の周りには邪魔なくらいまだたくさんの蝶が飛び回っている。それは喜ぶべきことなんだけど、僕からしたら少し悲しくもあった。


 彼女はたまに僕の様子を見に家に足を運んでくれるけど、その顔は結局見れないままだ。大学生になった彼女はどんな風に成長しているんだろう。


 彼女を想いながら夜空を見上げる。星たちが瞬く中で、月の周りを一匹の小さな小さな蝶が飛んでいるのを見つけた。

「何だろう」

 ふとボロボロの腕時計に目を向けて歩きを速めた。

 今は蝶のことなんてどうでもいい。早く彼女に会いたかった。


 11時58分。彼女の家の玄関前につく。

 小走りをしたからか少し息がきれていた。もしかしたらほかの理由もあるのかもしれないけど。


 僕は呼吸を少し整え大きく一度息を吐きだすと、ピンポンを押そうと手を伸ばした。 

 その瞬間横開きの玄関が大きな音をたてて開き、全身青い蝶に囲まれた彼女が出てきた。

「やっぱり、来てると思ったんだ」

「びっくりしたよ」

「汗だくじゃない」

 彼女はおかしそうに笑い声をあげるが、その笑っている顔を僕はまだ見ることができない。

 そう思っていた矢先、突如彼女の周りを邪魔なほど飛んでいた蝶が一瞬で青い粒となり霧散し、飛翔していった。


 少し白い肌に、血色のいい唇。笑った彼女の目は細く横に伸びており、肩に流れている黒髪が美しかった。

 彼女の笑顔を一年ぶりに見ることができた。大学生になった彼女は少し大人びて入るものの、そこまで変わっている雰囲気はなかった。


「どうかした?」

 僕が一瞬見せた驚いた顔を彼女は見逃さなかったのか、心配そうに僕を見つめてくる。

 僕はその顔に手を添えたい衝動にかられたが、必死に抑え込んだ。

「誕生日おめでとう」

 そういうと、彼女は蝶だらけのスマホで時間を一瞬確認し、僕のほうに笑顔で向き直す。

「ありがとう!」 


 僕は隙間だらけの心が満たされていくのを感じていた。彼女の誕生日に毎年外に出るのはきっとこれが理由だろう。両親の時とはまるで違う全身があったかくなっていく感覚。

 僕はこれを感じることでまだ自分が生きていて、彼女がちゃんと僕を見てくれていることを実感しているのだろう。


「私の今年の目標聞く?」

「ぜひとも聞かしてほしいな」

「君を家から連れ出すこと!」

 そういう彼女の頬は少し紅く染まっているように見えた。しかしその顔は一瞬しか見ることができない。 


 邪魔なのにいなくてはだめな蝶が彼女のもとに帰ってきてしまったのだ。彼女の顔が再び見えなくなる。また一年間彼女の顔を見ることができない、外に出ることのない日々が始まるのだ。


「やっぱりだね」

「どうしたの?」

「……また暗い顔に戻っちゃったね」

「目標、叶うと良いね」

 そんな他人事のように彼女の目標を受け流し、少し話した後僕は彼女と別れた。


 彼女の誕生日には必ず会いに行く。でも彼女の誕生日にはいきたくもなかった。

 だって帰るときには必ずこんな何も残らない虚無感しか残らないのだから。


 僕をこんな風に見える世界が大嫌いだった。僕をこんな風に産み落とした世界が憎くて憎くて仕方なかった。



 僕の蝶が一匹減った。この一年であの子が言っていた願いが叶うことがなかった。

 彼女は今年今まで一番家に来てくれた。それこそ毎週といった具合だ。僕は彼女と話せるだけで満足だったし、彼女が来てくれるから外になんか出る必要なんかはなかった。

 僕はあの数分のために後の二年間を生きている。彼女の姿が見れないそのほかの日の外には興味がなかった。 


 僕は床に投げ捨てられている私服を踏んづけて、部屋の隅に置いてある小さなタンスから今の体に合う私腹を引っ張り出して、それを着る。


 彼女も今年で20歳だ。きっと素敵な成人式を迎えたのだろう。

 僕は去年と何も変わらないため息を一つつきながら、去年よりも寒い外へと出た。



 11時55分。空に張り付いたように存在する月は去年よりもずいぶんと大きく見えた。


「今年もいる」 

 去年付きの周りを飛び回っていた小さな蝶。物や人に纏わりついている蝶は散々見てきたが、月なんかに纏わりついているように見える蝶を見たのは去年が初めてだった。

「いったい何だろう」

 今年は少し時間がある。僕は足を止めて、その蝶を眺めることにした。


 少し月を眺めていると、月の周りを飛んでいた蝶が突然、誰かの誕生日の時と同じように青い粒になって消え去った。


 その直後、一瞬僕の体を生ぬるい風が撫でていったかと思うと、月が空から消えた。

 正確には爆発したのだ。跡形もなく何の前触れもなく急に。

「……え?」

 空から無数に落ちてくる流れ星のようにも見える大量の月の破片、隕石。 

 一瞬の地響きの後、少し先の街に隕石が着弾するのが見えた。


 僕の考えは一つしかなかった。

「あの子は?」

 この世界がどうなろうとどうでもいい。破壊されようが、なくなろうがどうでもいい。


 でも彼女は? 彼女だけは死なせたくない。

 僕は震える足を抑えながら、全力で彼女の家に向かって走った。


 僕は生まれて初めて、物や人に蝶がまとわりつかないこの世に蝶が存在しない世界を目にしていた。きっと月の爆発のせいで、世界は終わるのだろう。

 大量の蝶が霧散し、空を覆いつくすほどに飛んでいく青い粒を見て、隕石が落ちる中で鈍く青く輝いている周りの世界を見て、僕は初めてこの世界が美しいと感じることができた。


 ならば、最後に一瞬だけでもいいから彼女の笑った顔が見たい。もう一度頬を朱く染めた彼女の顔を見たい。世界がこんなにも美しいんだ。彼女はもっと美しいはずだ。


 息がきれるのも構わずに隕石が落ちているのなんか目もくれずに僕はただただ走った。


 隕石の落下はだいぶ落ち着いてきた。


 僕が死ななかったのはきっと奇跡だろう。それとも誰かに決められているのだろうか。周りの大量の蝶はみんな消え去ったというのに、僕の体に纏わりつくように飛ぶ二匹の蝶だけはまだ残っていた。


 僕は彼女の家の前で立ち尽くす。近くに隕石が着弾したのだろうか彼女の家は跡形もなくなり、ただの木片になっていた。

「そんな……」

 僕は必死に彼女の姿を探す。きっとどこかにいるはずなんだ笑っている彼女が。


 知らず知らずうちに僕は頬に涙が伝っていることに気づいた。きっとどこかでわかっているのだ。彼女はもうここにいないと。

 それでも彼女を見つけなければならない。そんな使命感にすら襲われていた。


「……見つけた」


 彼女がいたのは家から数メートル離れた歩道だった。

 下半身がどこかに吹き飛ばされ上半身だけになっていた血だらけの彼女はきっと隕石の風圧で吹き飛ばされたのだろう。


 僕は眠っている彼女の近くにそっと座ると、膝の上に彼女の頭をのせた。

 かすれた声で彼女の名前をそっと呼ぶ。しかし彼女が返事をすることはない。


 僕は彼女の手に何かが握られているのを見つけた。それは小さなプレゼントの箱のようだった。

 中身は新品であろう腕時計。きっと僕がボロボロの腕時計をつけているから買ってくれたのだろう。


「君の誕生日じゃないか。僕にプレゼントを買ってどうするんだよ」

 僕は弱々しく笑い泣きながら、彼女の手から腕時計を受け取る。それに纏わりついてる蝶の隙間から見える時刻は0時半。彼女の誕生日だ。


 落ち着きを取り戻していない中で、世界に蝶が戻ってくるのを横目に見ながら、この世界で一番愛おしい彼女の体を抱き、そっと顔を引き寄せ、僕はその唇にそっとキスをした。


「誕生日、おめでとう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界が終わる日に君におめでとうといいたい 葵 悠静 @goryu36

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ