マンドレイクでも無双したい!!

並行双月

プロローグ



........



 気がついた、ような気がした。


 何かを知覚しようにも、全ての神経が焼き切れているかのように、一切の感覚が作動しない。唯一先程起動したばかりの回らない形ばかりの脳を働かそうとしても、堰き止めていた泥水が氾濫したかのように、唯でさえ大して複雑な作りをしていない大脳皮質の隙間に泥が蓄積されていくような感じがした。こんな症状に対し、長年自己治癒してきたはずの体が何かしら措置に取り掛かろうとするまもなく、鈍重かつ勢いのある痛みが容赦なく頭全体に寄せてくる。


 痛覚がないはずの脳が悲鳴をあげる。


 否、これを悲鳴と形容するのは不適切であったかもしれない。なぜならば、これは理性の誕生における儀式、もとい人間における幼児の誕生よりも先に発現しなければならない叡智の源、人格を構成するのに欠けては成り立たないものであるから。痛みが絶えない。幸いなことに、その猛烈な痛みにさえ大して気にならないほど、僕の感覚は鈍っていた。


..........


 明晰に意識が覚醒したのはいつだったか。気がつけば湿気が強く、密閉した暗い空間に俺はいた。未だに瞼の裏が熱い。そう認識できるほどに、だいぶ感覚がまともになっていた。


 痛みが引いたせいか、頭がクラクラする。2日酔いというものとは無縁だと思っていたが、どうも今の状態が2日酔いのそれと酷似しているように思える。金縛りにあったかのように、体を動かすことも叶わない。残された僅かな感覚で、周囲の冷たさは感じるものの、恒温動物の特徴である体温の維持を、自身の体が現在進行形で行なっているとはどうにも思えない。その上、ぬめっとした言い難い感触が体を包み込んでいる。酷く冷たくて柔らかいそれは液体のようで、それでいて流体力学に逆らうように、僕の身の回りで静止している。本来なら全身を包むこの感覚は不快だと感じるところであろうが、なぜか今はその感性が抜け落ちているように思えた。まるで密室、いや、生き埋めにでもされているような、パニックになっていても可笑しくはないこの状況だが、生まれた瞬間からこの場所に居座っているように思えて、なぜかしっくりときたのだった。


..........


 さらに時が進む。時間の概念への認識がおかしくなりそうなほどの月日が経ったように思う。


 食べず飲まずのまま膨大な時間が過ぎても、一切の飢餓や渇きを感じないこの体に不思議の念が尽きない。相変わらず体は動かないが、それでも僕は意識を手放すことはない。これまで通り、あらゆる感情、考えが抜け落ちたかのように、僕はただ、目の前の見えない闇にある一点だけを見つめ続けてきた。


 ずっと、長い、長い夢を見ていた。辛くてそれでいて心地よい夢だった。

どこか空虚で、つまらなくとも、それを気にすることなく、僕は眠り続けた。


 そして、目覚めは最悪の形で突然にやって来た。



 っぁ ぁぁ"ぁぁ"ぁ"ぁ"あ"あ"あ あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あーーっ


 呼吸すること自体しているかは知らないが、酷く呼吸が乱れた気がした。体のあらゆる穴から空気が外へ押し出される錯覚を覚える。お腹は吸い込んだ空気で膨らみ、頭の中ではダイナマイトが炸裂した。本能に従って、自身の鼓膜でさえ破れんとするばかり、力のある限り叫び続けた。まるで産声をあげるように。またもや地獄より這い出る命狩りの罪人のように。


 されど、かの音は劇物であった。


 魔力の乗った産声には即死効果が付与されていた。


 本来気絶程度の魔声であったはずだったのに対して、"ソレ"の叫び声は辺り一帯の魔物を死に致しめるには十分以上の威力を発揮していた。


 もっともこの辺りに生存する生物など皆無に等しかったが。




 (目がっ、っ)


 高出力の太陽が撒き散らす光に瞼越しに目が煙を立てている。急いで地面に顔を押し付け冷やそうとすると、今度は風が当たるたびに皮膚が剥がれていく感覚がした。拷問とも言えるこの状況ではまともに意識が持つわけもなく、我慢の限界がとうに過ぎているにもかかわらず、なぜか脳はいつもよりも冴えていた。苦しみながらも現状を確認しようと努力してわずかに目を見開くと、蒸気とともにかすかに見えたのは目の前に緑色の皮膚をした奇怪なヒト型をした何か。長い耳に潰れた鼻。顔を見ようにも耳と目から垂れる血で汚されていて、真っ赤になっていたが、屈強な筋肉を有している所からすると雄にあたるようだ。そいつが俺の髪の毛にあたる部位、なんでも、頭のてっぺんに生えている葉っぱを掴んだまま泡を吹いて横たわっていた。


 それを見て、とうとう俺は意識を手放した。



(?)


 自然な目覚めだった。ぼんやり暗くなっているせいか、目の痛みは軽減されたようだ。周囲を見ると、木に囲まれているのがわかる。空気にも慣れたのか、表皮が痛くない。いつまでも横たわっているわけにも行かなくて、とりあえず立とうとしてみる。どうやら全身が筋肉痛だが、ここは堪えた。二本の足(根っこ)を器用に使い、俺は立ち上がった。奇妙にも体が異常に軽い。ふと自分の体に目を落とすと、そこには大麻を愛用した者の末路みたいな見た目をした"物"があった。


 全身が皺で覆われていて、それでいて異様に細い。いや、そういうことであればまだ納得がいくが、どう見ても植物のそれだった。手や足に至っては根である。

この植物には見覚えがあった。どこぞの映画で見かけて、その生態が気になって調べたこともある。

 マンドレイクだった。

 マンドラゴラともいう。


 にわかに信じ難いが、それ以上に俺自身がとんでもなく落ち着いているのが驚きだった。失神しても可笑しくはないはずなのに、だ。考えても仕方がない。とりあえず俺は本能に従って、何かアクションを起こさねばと初めて思いっきり深呼吸してみた。空気が美味しい。


 さっきまで気がつかなかったが、隣に大部分が風化した死体が転がっている。そこから悪臭が漂っている。状況を判断するにどうやらこいつが俺を地面から抜いたらしい。緑色の皮膚をしていたことを思い出すと、なんとなくゴブリンではないかと疑って見る。自身の体がこの有様だし、ここが異世界であることに疑いはない。一応ライトノベルたるものを好んでいた時期があったもので、ある程度の知識は承知している。しばらく探索、もというろうろしていると、夕日が沈み、辺り一面が本格的に暗くなった。夜の森は不気味だ。加えて一切の物音がしないときた。虫ですら息を飲む静けさの中、ひんやりとする空気がまた恐怖心を駆り立てる。そそくさとゴブリンの隣にあるはずの穴に戻ろうとするも、なぜか、穴は跡形もなく消えていた。もしや気がついた時から既になかったのかもしれない。自身の体ばかりに気が回ってしまい気がつかなかった。とはいえ、根である両手は物こそ掴めるが、とても土を掘りかえせるように見えない。ここまで心細い経験はあったのだろうか。俺は途方に暮れていた。まるで餌にでもなったような気分だ。実に好ましくない。野良猫にだって餌をやったことはないというのに。とはいえこのままじゃまずい。

 

 そんな直感に従って、俺は動き出した。

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