朱里ちゃんは、何かを隠している
さっきまでの土砂降りはどこへやら。
四限目になったら一気に雨雲が消えて、久しぶりに青空が垣間見えた。
このタイミングを逃すものかと二十分ほどフライングしての昼休み。
さあ、幸せな時間の開幕だ!
「雫流! 良かったね、晴れて!」
「ああ、湿気はもの凄いけどポッカポカだ」
ポカポカ幸せな北東の庭園は、濃くてはっきりとした葉っぱが至る所でたっぷりの滴を転がしている。
そんな場所で、朱里ちゃんと二人でランチ。
こんなの、ぽかぽかでドキドキだ。
🐦ぼふ
「…………雫流。早く持ち上げないと、裾がびしょびしょになっちゃうわよ?」
「なるほど掛け布団ね。ちょうどいいや。濡れてるベンチに敷くものが出来た」
やるじゃん、ハト。
後で親子丼をご馳走してやろう。
俺たちは北東の庭園をかなり奥まで進み、もはや最後かしらと思えるベンチに豪勢な敷物を被せると、その上に仲良く座って、仲良くずり落ちた。
「座りにくいわ!」
「もう、このまま地べたでいいよ。お布団さんごめんなさい」
「でけえピクニックシートだな。四隅に荷物置かなくて済むのは画期的だけど」
「洗って返さなきゃね。後でタライ何個か落としてくれる?」
「せめて貸してって言ってくれ。でも、放っておいて平気だよ。ハトが勝手に回収して洗濯するから。洗濯物も置いとけば洗って届けてくれるんじゃね?」
「いやよ。だって返却先、雫流の頭の上じゃない」
「下着はやめてくれよな。返却された直後に嵐のようなタライ攻撃を浴びることになるから」
脱衣所の恐怖がよみがえる。
あれは凄かったからな。
タライで意識を失って、意識を取り戻すと下着が目に入って、またタライが落ちるんだ。
なんだあの幸せ無限ループ。
「じゃ、食べましょうかね~。おなかぺっこぺこ!」
「それよりごめんな。そんな足でけっこう歩かせて」
「走らなけりゃ平気よ。……ふう」
朱里ちゃんは溜息をついた後、口を開けたまま空を見つめた。
昨日から見かける、考え中のサイン。
普段の朱里ちゃんなら、怪我なんてしないだろう。
何を悩んでるんだろ。
でも、昨日は散々逃げられたし、さっきも目を逸らされたし。
ヘタを打つと、また逃げられちゃう。
気付かないフリして、自然に行こう。
「ハトさんに全部食べられちゃったからって、何度もお弁当作らせないでよね」
「楽しみだな、朱里ちゃんのお弁当。この間はパンを一口しか食えなかったし」
「うそ。お弁当箱からっぽにしてたじゃない」
「ちょっと待ってね。その超揮発性記憶に対抗するアイテムを……、って、家に置いてきちまった」
持ち歩かなきゃ意味ねえな、ホワイトボード。
……避けられムードだったからいろんなアプローチをしてみた結果、もっとも嬉しい結果を生んだ。
弁当をまともに作ってもらっていないと駄々をこねたら準備してくれたのだ。
恋って、数撃ちゃ当たるもの。
俺は今にも溶けて無くなってしまうほどに緩んだ笑顔を自覚しながら弁当箱を受け取ると、中身の揺れ動きのせいで手首を持って行かれた。
とぷん
「うそ!? 何入れやがった! こんなに慣性が付く弁当箱、初めて持ったわ!」
「作らせておいて文句言わないでよ! あたしだって知らないわよ!」
「さすがにその発言がおかしいってことに気付いてはもらえないものだろうか」
でもこれは、ホワイトボードを忘れた俺のミスだ。
甘んじて受け入れよう。
しかし怖い。
背中に冷や汗。
にわかに乾いた口が在りもしないつばを飲み込む。
大好きな女子から貰ったお弁当の蓋を開けるシーンとは到底思えない、おどろおどろしいBGMを耳に感じながら、留め具を左右に開く。
そして、揺れる中身が勢いで零れないよう慎重に蓋を開くと、中から芳醇な醤油の香りがあふれ出した。
「そーめーん!」
「違うわよ。にゅうめんって言うのよ?」
「そーーーおーーーめーーーん!」
「なに怒ってるのよ、にゅうめんですー」
「麺つゆで煮たか煮てないかの違いなんてどうでもいいんだよ!」
「違うもん! ピンクの麺が入ってるのがそうめんなんですー!」
「絶対違うと思うけど、それより弁当にこれ……、もうなんでもいいや」
朱里ちゃん、君は大物よ。
人類史上初の試みをしているのに、なにその冷静な態度。
フォークですくってみたものの、ふやけ切った挙句にやたらと短い麺はすべて逃げて行く。
「なんでこんなに短いんだよ、麺」
「決まってるじゃない。特製だから!」
「特製? 一体、なにそうめんなんだよ」
「そうめんじゃなくて、にゅう麺」
「なににゅう麺なんだよ」
「パンダにゅう麺」
「とほほほほだこの野郎!」
ああ、映像が浮かぶ。
二
だがこれは、パンダを隠し忘れた俺のミスだ。
甘んじて受け入れ……たいけど食い方が分からん。
「シェフ。これ、どうやって食うのさ」
「うん、シェフも食べにくい。……えい!」
うわあ、豪快に飲みだしたよ、シェフ。
杯を片手であおる豪傑みたいになってる。
「ぷはあ! ごちそうさまー!」
「しょっぱそうだね。まずは顎から滴りそうな麺つゆを拭いて、その後、そうめんという文化に謝れ」
せめてほんとににゅう麺だったらスープごと行けたんだろうけど、これ、真っ黒。
どう見たってストレート。
いや、ほんとは何倍かに割るタイプの奴なんじゃねえの?
すっかり食欲を失った俺に向けて、お前もぐいっと行けよ! とばかりにウインクしながら杯を掲げる朱里ちゃん。
冗談じゃねえ。
なんとか誤魔化して、回避できないかな。
「……おお。お弁当包み、おしゃれだな」
「こないだのと一緒だよ?」
「いや、この間と変わったのは俺なんだ。なぜなら、そこの文字が読める!」
俺がお弁当包みのアルファベットを指差すと、赤髪ポニテが嬉しそうに跳ねた。
「へえ! 随分勉強したのね!」
「遠山さんから習ったんだ」
「出会った頃は、I am a pen.とか言うのが限界だったのに、進歩進歩! じゃあ、これの意味は?」
「そうだな、竹、凍て、亜種。……分かった、冷凍メンマのことだ!」
「…………退化退化」
「なんだよ。間違ってねえだろ」
「雫流が習ったのって、ほんとに英語?」
「んにゃ。イタリア語」
眉根を寄せて朱里ちゃんがにらむお弁当包みには、間違いなくイタリア語でこう書かれている。
Take it easy!
「雫流がバカなのって、ひょっとして、罰の効果?」
「失礼な!」
「あ! ゴメン! 罰の話したら、バカが悪化しちゃうね!」
「違うからな! 朱里ちゃんこそ読めないんじゃねえの? きっと二つ目の罰だ」
「失礼ね!」
「あ! ゴメン! 罰の話したら、バカが悪化しちまうな!」
下唇をこれでもかと突き出してにらみ合う。
でも、朱里ちゃんはていきっといーじーなる訳の分からない言葉を自分に言い聞かせながら引き下がってくれた。
なんだそれ?
俺が理解できないってことは英語か?
前後の繋がり的に、あたしが悪かったわ、許して、かっこいい雫流って意味だな。
よし覚えた。
そしてそこまで言うなら許してやろう。
「まったくもう。こんなことして遊んでる場合じゃないってのに……」
おお、そしてまたお悩みモードか。
こんな時に怒らせるようなことして、俺は最低だ。
今だけは、朱里ちゃんがなにを言い出しても肯定してあげよう。
「よし! こういう時は占いね!」
「それは間違ってる。止めた方がいい」
「さっきから違う違うってしつこい! なんで? 当たらないから?」
「逆だよ。当たり過ぎて怖いから」
「じゃあ、いいじゃない。さっきから変な事ばっか言うのね!」
うーん。なんか、ぎくしゃく。
初めて会ったころの関係に戻ったような気がする。
俺が何をしゃべっても朱里ちゃんを怒らせる。
ここ最近は、いつでもニコニコ笑っていたのにな。
昨日、沙那と二人で飛び出して行った後、何があったんだろう。
俺が結界ギリギリまで流されて、天使に無理やり釣り上げられるまでの間。
何かあったに違いないんだけど……。
「じゃじゃーん! 今日の運勢は…………『絹』? どういう意味?」
「知るかよ。一文字さんに聞けよ」
「誰よそれ。占ってるのは、ポンチョ浜松さんよ?」
「またしても奴か。それより、絹ってなんだろ」
二人して、しばらく布団を眺める。
そして顔を見合わせて同時に首をかくん。
「これは絹じゃねえぞ」
「そうだよね。……あ! 分かった! シルク!」
右手のグーを左手のパーにぽんと叩き付ける。
そんな、左手が勝利した朱里ちゃんは勢いよく立ち上がると、これまた勢いよくスカートを捲りあげた。
「大人の魅力に乾杯っ!」
「雨続きでこんなのしかなくて……って、なんで見てるのよ!」
これは死に至る!
俺は弁当にいったん蓋をしてそばに置くと、両手を頭上に掲げてクロスさせた。
だが、果たしてこれで、当然落ちてくれであろうシルクロードを防ぐことができるだろうか。
そして頭上に感じるヤツの気配。
…………来る!
🐦ぼたぼたぼた
「かーいこっ! シルク界ナンバーワンのシェアを誇るメーカー!」
頭に降って来たのは、カイコの幼虫十数匹。
気持ち悪いわ!
お弁当に蓋しといて良かったぜ、ほんと。
「きゃーーーーー!」
「おお。朱里ちゃんでも虫はダメか」
草むらにカイコを投げ込む俺から、布団ギリギリまで後ずさる朱里ちゃん。
「ごめん、普通にお会いしたらダイジョブなんだけどショッキングな登場だったから驚いたの。ちょっと今回は無理」
あのな。その目はやめてくれ。
カイコを含めたグローバルな視界のせいで、俺まで気持ち悪い物を現在見ていますエリアに入ってる。
ハトめ、久しぶりに精神攻撃の方を出してきやがったな。
ばっちり傷ついたよ。
「そんなに嫌ならこっち見るな。ほれ、そこのわんこでも見てろよ」
俺が指差した犬の石像へ振り向いた朱里ちゃんが、嫌悪の表情から呆れ顔にシフトしていく。
負の感情を負の感情で上塗りしてどうするよ、俺。
「雫流はシーサーも知らないの?」
「おお、女子ってやつはなんで犬の種類に詳しいんだよ。全国の
「えっと…………、説明するのが面倒だからそれでいいや」
「そういや、東山の頂上にも同じ犬がいたような気がする」
「そうそう! 山頂からちょっと下りたとこにある広場のとセットなんだよ! 二匹はいつも見つめ合ってるんだって! ろまんちっく!」
おお、急に元気になりやがった。
よし、このまま虫のことを忘れるような話題に持って行くぜ。
「ああ、東山って言ったら渓流があってさ、釣り部の部室があるんだぜ?」
「あ、それ知ってる! 前にやったトレイルで部室の前通ったから。古くて狭くて驚いたよ」
「そうそう、虫とかいそう。まさか餌をそこで……」
「きゃー!」
「驚くほど切れ味のいいバカだな俺は! びっくりするわ! 悪かった!」
なんだろう、今日は怒らせてばっかだな。
ここは誠意をもって謝ろう。
「ほんとにすまん。仲良くいこう!」
「むう。仲良くいかない」
「そうおっしゃらずに。狛犬の話に戻そうぜ。ツガイなの? 恋人同士?」
「恋人……」
ありゃりゃ、今度は思案顔の方に戻っちまった。
どうにもうまくいかないもんだな。
こういう時はどうすればいいのやら。
ずっとポンチョの教えに従ってきた俺だが、そう言えば、奴の言うことに従ってきたのに未だまともに恋人も出来たことが無い。
ひょっとして、当てにならねえんじゃねえの?
「ねえ雫流。恋人って、なんだろ?」
そうつぶやく朱里ちゃんの目は、どこか寂しそう。
正しく答えてはあげたいけど、俺にだって分からねえよ。
「……俺たち、一時間恋人だったじゃねえか」
「あれは、友達以外の関係が思いつかなかっただけだもん」
「そっか、そういう理屈だったよな。……じゃあ、こういうのじゃねえの?」
「どういうのよ」
「だから、お弁当一緒に食べて、二人でお話して」
俺が、ちょっとウキウキしながら説明すると、赤髪のポニテが見る見るうちに元気を失っていった。
「……じゃあ、無し」
「何が無し?」
「今の、ぜーんぶなし」
顔も合わせずにそう言った朱里ちゃんは、自分の分のお弁当箱だけを持って、足早に行ってしまった。
うーん、分からん。
もちろん、朱里ちゃんの様子についても分からないけど、恋人の定義ってやつもまるで謎だ。
そしていつものように、追うべきなのかそのままにしておいた方がいいのかもまるで分からん。
この世は謎だらけ。
…………そしてもう一つの難問。
この弁当、どうしよう?
「食う?」
俺が空を見上げながら弁当箱を掲げると、
🐦がんっ
空を行く盟友は、タライを一つ落として去っていってしまった。
……ほんと最近、ドキドキとは関係なく落としてくよね、君たち。
いつ落ちるか分かんねえから、ドキドキだぜ。
🐦がんっ
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