だから「ウチ」と自称している


 素敵な本だったの。


 高校の前に建っている喫茶店。

 そこで行われたクリスマス会のプレゼント。

 白馬に乗った王子様が、心の優しい女の人を迎えに来るの。


 何度も何度も繰り返し読んで。

 セリフも全部覚えてしまったのに、まだ読んで。

 そしてそのうち、考えるようになったの。


 あたしには、いつ王子様が現れるんだろうって。


 王子様に見つけてもらうためには、綺麗にならなくちゃいけないの。

 髪も、この挿絵みたいに長く伸ばして。

 綺麗な声で歌えないといけないから毎日練習して。


 ……それが、あたしが迎えた早すぎる思春期。

 つまり、不幸の始まりだった。


 普通は、中学生になって、早い人でも二年生で迎えるもの。

 それがあたしには、小学校五年生で訪れた。



 罰の発症だ。



 痛い。触ると、痛い。

 触った相手も痛がってる。

 好きな男の子だったのに。

 ちょっと乱暴だけど、あたしをいつも庇ってくれる子だったのに。


 他の男の子にも、触ると痛がられた。

 そして気付けば、みんなに嫌われるようになってしまったの。


 誰かに相談したくても、罰のことは誰にも話しちゃいけないって教わったから。

 一人で苦しくて。

 毎日、お家で泣いて。


 心配してくれたお父さん。

 お父さんだけには、痛い思いをさせちゃいけない。

 近寄らないようにしていたら、悲しそうな笑顔であたしを見るようになったの。


 助けて。

 だれか、助けて。


 ……そんなあたしに、ある日お客様が来たの。

 綺麗なお姉さん。

 高校生の、ふわっとした髪型の悪魔王様。


 あたしのせいでごめんねって。

 だから沙那ちゃんにお友達を紹介してあげるって。

 サタン様はそう言ってくれたの。


 でも、一つだけ約束を守りなさいって言われたの。


 その子は男の子だけど女の子でもあるんだよって。

 だからいつも女の子だと思うようにしなさいって。


 あたしは、その子に会った時、男の子にしか見えなくて。


 だから逃げ出しちゃった。

 約束を守れる自信がなかったから。


 でも、次の日も偶然その子を見かけたの。


 田んぼで、中学生に囲まれて。

 笛を取り上げられていたの。


 可愛そう。

 助けなきゃ。


 必死だったから、どうやったのかよく覚えてない。


 そばに止まっていた車から白い仔馬を連れ出して。

 たてがみを掴んで、行って欲しい方に引っ張って。


 そして彼のところにたどり着いたの。

 馬の上から見ても、やっぱり男の子。

 でも、信じなきゃ。


 この子は女の子。女の子。


 ドキドキしながら手を伸ばしたら、その子があたしの手を握ってくれたの。

 ……痛く無かった。


 その子は痛いって顔をしたけど、でも、我慢してくれたの。


 本当だった。


 この子は、あたしのお友達だ。


 そして、あたしに向かって、こう言ったの。

 白馬の王子様みたいだねって。


 あたし、王子様なの?

 じゃあ、この子は、あたしのお姫様なんだ。

 

 だったら、あたしがこの子を守らなきゃ。

 笛を取り返さなきゃ。


 あたしは馬のお尻を蹴とばして、お姫様を逃がしてあげたの。


 中学生は、あたしに触ると痛がって。

 でも、あたしだって痛くて。


 ううん、痛いなんてもんじゃない。

 笛を抱えたまま、あぜ道にうずくまったの。


 蹴飛ばされて、痛さでお腹がぐるぐるになって、吐いてしまったの。


 そしたら中学生たちが、汚いって言いながら逃げて行ったの。


 痛くて、指すら動かない。

 涙でぼやけた景色の向こう、大人が走って来る。


 よかった。笛は、守れたよ。

 でも、きっとこんなことじゃダメなんだ。


 どんな敵からも、お姫様を守ってあげなくちゃ。

 体を鍛えて、剣の腕を磨くの。

 だってあたしは、王子様なんだから。


 それに、男の子らしくしなくっちゃね。

 じゃあ、自分のことは何て呼ぶの? オレ?


 さすがにそれは恥ずかしい。

 だったら、ちょっと乱暴に……。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 姉ちゃんに付き合わされて駅前の本屋へ買い物に行くと、帰りに必ず寄るところがある。

 それがこの噴水公園。

 手入れの行き届いたデートスポットだ。


 姉ちゃん曰く、昔はベンチが置いてある程度の殺風景な公園だったとのこと。

 でも俺にとっては、力仕事のお駄賃にたい焼きを貰える思い出の場所だ。


 花蓮と姉ちゃん、知性派コンビが公園の奥の花壇に行ってしまったので、俺は朱里ちゃんと噴水そばのベンチに腰かけていた。


 膝の上に乗せたたい焼きの袋から漂う甘い香り。

 この香りを楽しむためのベンチ。

 俺の座り位置は、いつもここ。


 隣に座るのは姉ちゃん。

 そしてその向こうから、口の周りをあんこだらけにした黒髪が、こっちを見て笑ってる。


 今、隣には赤い髪の女の子がたい焼きを頬張っているのに、俺の目には古い景色が重なって見えていた。


 そして沙那が……、いや、朱里ちゃんが勢いよく立ち上がった。


「あたしが紫丞さんを助け出してみせる!」

「罰の話か? でも、上手くいくかな?」


 こぶしを握って、空を見上げる朱里ちゃん。

 カッコいいけど、あんこは拭こうね。


「罰じゃないよ? 雫流は鈍いわね。あれは恋ね!」

「朱里ちゃん。口の回りにこしが付くのは分かるんだけど、なんで粒まで付く?」

「こしってなんのことよ」

「今、指で拭いてペロッてしたのがこしだろうが。そして、まだほっぺたに付いてるのが粒な」


 朱里ちゃんは、ウェットティッシュで粒もこしもまとめてふき取ると、


「あれは恋よ!」


 再びこぶしを握って、キラキラした瞳で空を見た。


「……だったら、相手は治人だと思う」

白銀しろがねさん? 確かに、紫丞さんの名前が出たとき反応してたよね?」


 うそ、あれに気付いたの?

 女子はほんと鋭いなあ。


「だったら、相思相愛じゃない?」

「俺もそう思ってる。でも、恋愛経験一時間の二人がそう言ってもまるで信ぴょう性ない」

「……あたしはあてにならないけど、雫流がそう思ったんなら、きっとそうだよ」

「いやいや。俺こそあてにならんだろ」

 

 俺の返事、聞いているやらいないやら。

 朱里ちゃんが両手をくっつけて、人差し指二つで顎をつつきながら、なにやら考え事を始めた。


「……そういえば、なんかの本で読んだな」


 俺の言葉に朱里ちゃんの耳がぴくっと反応。

 ウサギか?


「女子は好きな人と仲良くできないと、気楽に話せる人といちゃいちゃしたがる生き物なんだって」

「ふーん。……そうなの?」


 こら、女子。


「だから、毎日どこかで勘違い男子の悲鳴が上がるんだって。……よく考えたらひでえ話だな」

「なるほど……。それでここんとこ、雫流に張り付いてたのかな?」

「つじつまが合う。だから俺が朱里ちゃんとしゃべってると怒り出してたんだ」

「ん? 合う? つじつま」

「あれ? おかしい?」


 二人で同時に首をカクン。


「やっぱやめね? 俺たちの勘違いだったら、余計おかしなことになる」

「ううん。あれは絶対、恋なの!」

「なんでさ」

「だって、あたしにはよく分からないから!」


 は? どういうことさ。


「でも、だったらそれこそ当人同士の問題だろ」

「やだ! あたし本気よ! そのためなら命がけ!」


 鼻息と共に、俺の膝からたい焼きを奪い取った朱里ちゃん。

 袋から一つ取り出すと、豪快にかぶりついた。


「こら。沙那の分、食うんじゃねえ」

「これは雫流の分でしょ?」

「俺の分でもダメだろ」

「あたし、紫丞さんの恋、叶えてみせる!」


 そして二口目。

 口の周りにこびり付くこし。



 ……やれやれ、ほんとに素敵な子だよ。


「だったら、俺もできることは何でもしてやる」


 好きになった子が望んでるんだ。

 男だったら、全力でその夢を叶えるまで。


 六月の空は、夕闇が近付くにつれ色を濃いものに変えていく。

 でも、おれたちベストコンビの手にかかれば、こんな雲くらい軽く吹き飛ばせるはずだ。


 朱里ちゃんが笑顔で突き出したこぶしに、俺は少しだけドキドキしながらコツンと右手を合わせた。



 ……なぜかその時、タライは落ちてこなかった。




 つづく。




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