ちげえから。お前らは勘違いしている


 すっかり人のけた北東の庭園。

 その奥まったベンチに、俺達は腰かけていた。


 郷土資料館だとか池だとか、何かしら実用的な物が並ぶ北の庭園と違って、彫刻や噴水で装飾された北東の庭園は、ちょっとおしゃれで敷居が高い。

 俺みたいに、ワイシャツのボタンが一つ取れかけてる男子が足を踏み入れるには特別な理由がいる憧れの場所だ。


 フレームがくるっと渦を巻くベンチとか、芝生に建つミニチュアの風車とか、実はすっごく好きでワクワクしてる。


 しかも隣を見れば、真っ赤なポニーテール。

 ミルクの中にイチゴシロップを溶かしたような甘い香り。

 大好きな朱里ちゃんが、ニコニコとご機嫌な細面で俺を見つめていた。


 こんな夢のようなシチュエーション、嬉しいけど落ち着かないぜ。

 そわそわって言葉は、今の俺を形容するために昔の学者が発明したに違いない。


「えへへ、授業さぼってお友達とこうしてるなんて、ドキドキするね!」


 そう言いながら覗き込んでくるアーモンド形のぱっちり目。

 彼女は、訳あって十日ほど前、一時間くらいだけ俺の恋人だった人。

 今はとっても仲のいいお友達で、勾玉入手のためのパートナー。


「ほんと、お友達に格下げされてなけりゃ最高の気分なんだが」

「なんで? 格下げじゃないよ? いいじゃない、お友達! 最高!」


 長い間、友達がいなかった君の言いたいことは理解できる。

 でもさ、彼氏だってずっといなかったろうに。

 そっちは欲しいと思わないのか?

 今なら校内随一の面白マンが漏れなく君のものになるんだよ?

 他の人に取られちゃうかもしれないよ?


「それにしても雫流とハトさん、そんな関係だったなんて……。世間の反発もあるだろうけど、あたしは応援してるから!」


 ……応援されちゃったよ。

 俺が他人ひとのものになっても動じないんだね。

 ちきしょう、本気でハトと付き合ってくれようか。


「で? で? どっちから告白したの? なんてセリフだったの?」

「……くるっぽー」

「きゃー! 雫流、モテるのね!」

「なわけあるかい!」


 ああもう、頭痛い。

 なんだろうこの子。たまに天才だけど、普段はれっきとしたバカ。

 天然どころか、大自然。

 俺は説明を諦めて、盛大にため息をつきながら視線を景色に移した。


 庭園の先に建っているのは柔剣道場。その奥には弓道場。

 無駄にだだっ広い多羅高にはありとあらゆる施設が点在しているが、総じて古い。

 どっちの道場も隙間風が厳しそう。

 ぼろぼろだ。


 ああ、弓道場はどっちにしたって吹きっさらしか。

 冬は寒そうだな。

 ……そのために的がたわらなのかな。

 あれ、燃やしたらあったかそうだし。


「そういえば、朱里ちゃんは部活やらないの? 弓道とか似合いそう」

「うーん……、雫流がどこかに入ったら、あたしも同じとこ入る!」

「こら! 急にドキドキすること言うんじゃねえ!」


🐦がんっ


 お友達なのに恋人のような受け答え。

 こんなの男子からしたら勘違いする。

 女子から見たら嫌われるタイプだよね、きっと。


 ……ああ、そりゃあねえか。

 これ、ただしイケメンに限るってやつだ。

 俺に対してこんな態度とったって、誰も嫉妬したりしねえ。


「許すまじTIK」

「え? そんな部活あるの?」

「部活じゃないけど、男前な朱里ちゃんなら入れるやもしれん」

「雫流と一緒じゃなきゃやだよ?」


🐦がんっ


「……朱里ちゃん、これ見ても動じなくなったね」

「だって、何で落ちて来るのか分からないんだもん。あ、そうだ! だったら麻雀部とか入ってみたら?」

「急になに言い出した。俺、アプリでしかやったことねえぞ?」

「負けそうになったらそれ落とせばいいじゃない。無敵!」

「そうな。アプリでもローンって言われるたびにタライが落ちてきたし」


 ドキドキする競技はだめだろ。

 試合途中で気を失いそうだ。


「あとは……、軽音楽部とか!」

「おお、世界屈指のドラマーになれそうだな」


 両手両足に加えて頭でも音を鳴らせるやつはそうそういないだろう。

 でも、やっぱり演奏途中で気を失いそうだ。


 鈍色にびいろの空に目をやりながら、うーんと伸びをする朱里ちゃん。

 いろんな姿の自分を思い描いているのかな。


「部活か~。高校生なんだし、やってみたいとは思うけどね~」

「俺達悪魔にそんな暇ないけどな。アエスティマティオだけで手一杯」

「ほんとそうだよね~。あーあ、今日のBランク、悔しかったなー!」


 そう言いながら携帯を取り出した朱里ちゃんは、自然と二人の中間あたりに画面を差し出してきた。

 優しい子ならではの素敵な気配り。

 でもそれは仲のいいお友達に対するもので、俺への恋愛感情がそうさせているものではないらしい。


 ……明言されちゃったし。

 俺に対する恋愛感情、普通。もしくは若干嫌い。

 溜息をつきながら画面をのぞき込むと、治人はるひとに取られたアエスティマティオの暗号が表示されていた。



  本日の進級試験

 Bランク:ツワ子木六メ|日日|ノ米田。この中に勾玉がある。二人一組で解読する事。最も早く発見できた者に授与。ペア以外の者と協力した場合失格とする。妨害自由。鎌の使用不可。

 Eランク:十四時に発表。



「朱里ちゃん、発表されるなり校門に向かって走り出したよね。どう読むの?」

「これは暗号って言うよりは、パズルなの。「ツ」と「ワ」と「子」で、学問の「学」の字になるのよ」

「おお、ほんとだ! さすが名探偵! 次のは……、校舎の「校」か」

「縦棒とお日様、それが二つで「門」。最後の文字は番号の「番」ね」

「学校門番。……なるほど、いつも校門のところにいる守衛さんのことか」


 そう言いながら朱里ちゃんを見たら、難しそうに眉根を寄せていた。

 ああ、そうだったよね。


「でも、なんでおじいさんは持ってなかったんだ?」

「そうなのよね。……ねえ、雫流。いつもと同じやり方でもう一度考えてみない?」

「おお、そうしようか」


 俺達、学園最強コンビの暗号解読法。

 初動捜査を担当するのはこの俺だ。


 俺は朱里ちゃんに寄り添って、携帯の画面と、ぴったりくっ付いたスベスベな二の腕に集中し


🐦がんっ


 ……ちょっと離れて、画面の中の暗号に集中した。


 集中。集中。集中。


 他の感覚をそぎ落として、視覚だけに集中する。

 するといつものように、視界が赤く染まる感覚が始まった。



 反射観察スチールリフレクス…………。



 暗号に書かれた文字。癖。これを観察して、出題者の意図を探る。

 カタカナ。合成して漢字に。簡単。

 Bランク。それなりの難易度を想定。ここに矛盾。

 朱里ちゃんが勘違い。仕組まれたミスリード。

 違和感を探る。カナでも、漢字でない物。


 …………解答。二本の縦棒。これが罠だ。

 


「朱里ちゃん。俺の目には、縦棒が赤く見える」

「縦棒? ……「日」の字は?」

「いやまったく」

「なら……、それだけ無視して見てみると…………、ああああああっ!」

「おお、なんか分かったか?」

「これ、ウソでしょ!? ただの区切り線! 学校、田、番!」

「おお、日が二つで田んぼの田、か。……なら、学校農園のかかしってこと?」


 俺が導き出した答えを聞いて、顔を両手で覆った朱里ちゃん。

 口がДデーの形で開きっぱなし。

 ぶっさいく。


「ああ、もう! なんでそれをすぐに言ってくれなかったのよ!」

「朱里ちゃんの天然、ほんと怖い。俺が携帯の画面を見る前に鞭で引っ張っていった人の名前、それを聞いたらきっと驚くんだろうね」


 もしくは信じないか。

 いずれにせよ、その後振り回されて十人切りの偉業を成し遂げた英雄のことなんかこれっぽっちも覚えてないんだよね。


「あたし、これからはちゃんと雫流のヒント貰うようにする!」

「鼻息荒く言われてもなあ、信用ならん」

「ほんとよ? ちゃんと雫流の話を聞いてから走るようにする!」


 おお、信頼されてるみたいで嬉しいな。

 でも、俺は知っている。

 もうすぐ始まるEランクのアエスティマティオ。

 その着メロがきっかけで、魔法が解けるんだよね分かります。


「でも、あたしたち、やっぱり最高ね!」


 魔法がかけられた素直な朱里ちゃんがベンチから立ち上がった。

 そしてくるっと可愛らしく回ると、スカートと可愛いポニテ、お店のチラシが飛び出した愛用のメッセンジャーバッグも彼女の周りを楽しそうに追いかける。


「雫流! やっぱりあたしたち、ベストカップル!」


🐦がんっ


「やだ言い間違えた! ベストパートナーでした!」

「カップルがいいです、お嬢様」

「それにしても、また落ちてきたね、タライ……」


 俺の迂遠うえんな告白をスルーして、口にグーを当てながらタライを見つめる名探偵。

 この罰が何なのか気になるご様子だが、まあ、分かるわけないだろな。


「…………カップル」


🐦がんっ


「あっぷる」


🐦こんっ


「ツー、あっぽー」


🐦こんっ こんっ


「とめいとぅ」


🐦べちゃ


「柔らか物はダメだって」


 果汁にまみれた毛ルメットを外してベンチの脇へ。

 後で洗えばいいや。便利だこれ。


「うーん、やっぱり分かんないな」


 名探偵、舌を巻く。

 本来ドキドキしたタイミングで落とされるのに、最近じゃ合いの手がわりに落ちるようになったからね。

 この罰が何なのか推理出来たら大したもんだよ。


「いいから、考えるなって」

「でもあたしの罰を解除してもらったし、タライが落ちないようにしてあげたい」

「なんだよ。素直に俺の言うこときくんじゃなかったのか?」

「……うう、わかった」


 おお、素直な朱里ちゃん、いいね!

 この調子でなんかお願いできないかな?


 例えば膝枕……は、朱里ちゃんの頭にタライが落ちるか。

 デートして……は、俺の頭蓋骨が開始五分で陥没するだろう。

 ならば、これしかあるまい。


「あ、朱里ちゃん!」

「はいっ!」

「俺と……、俺ともう一度つき」

「あ、着信! アエスティマティオ始まった!」

「こら魔法使い! 出て来い! 延長を! もう少しだけ彼女にかけた魔法を延長してくれ!」


 魂の叫びが宙に消える。

 俺が悔し涙を拭きもせずに唇を噛み締めていると、朱里ちゃんが興奮気味に叫び出した。


「大変! 落とし物探しよ! 金の万年筆、青いテニスのラケット、赤いエプロン、犬のキーホルダー、猿の根付ねつけ!」

「最後の二つに悪意を感じる。それに落とし物探しって……、父ちゃん、何考えてるんだよ。Eランクの勾玉をダシに使いやがって。なんか情けねえ」


 そう、アエスティマティオを出しているのは俺の父ちゃんだ。

 生まれてこの方一度もあったことが無い人。

 戸籍上だけの関係だ。


「雫流! お父さんに酷いこと言っちゃ駄目!」

「俺は父ちゃん嫌いだって言ってるだろ」

「そんなこと言ってると、ばちが当たるんだよ?」

「どんなだよ」

「例えば……、学校中のみんなに恥ずかしい姿を見られる」

「そんなの構わん。そういったわけで、今回は頑張る気力が湧きません」


 さっきテレビ放送レベルで恥ずかしい姿を見られたからな。

 学校の連中に恥ずかしい姿を見られる?

 その程度の脅迫で俺が父ちゃんの手伝いみたいなことすると思ってんのか?

 

「でも、手伝って欲しいの。落とした人、きっと困ってるし……」


 おお、そりゃあ確かに。

 落とし物として申請するってことは、それぞれ大切な品ってことだもんな。


 朱里ちゃんと一緒にいると、俺まで心が綺麗になるようだ。

 ありがとう。大切な事を教えてくれて。


「よし分かった、協力しよう」

「さすが雫流! ありがとう! じゃあ早速……」

「待て。まずは俺の指示に従っはふーん♡♡♡♡」


 だから魔法使いっ! 延長しろ!


 朱里ちゃんが、いつものように愛用の鞭で俺を縛り付けて走り出す。

 この時の俺は、頭を前に、仰向きで引きずられるのが定番だ。


 なので、こうして引きずられる痛みに耐えながら目をしっかり開くと、引き締まった朱里ちゃんの足の先に存在する夢の世界へ辿り着くことが出来る。


 今日はテレビ撮影があったからかな、気合いがパンツにまで反映されていた。

 よそ行きのピンク、たっぷりフリルがお出迎え。

 今日のドキドキはいつも以上だ。


🐦がんっ……


 そしてこれが、俺の勇者様の実力だ。

 ハトの攻撃が遥か後方へ着弾。被害ゼロ。

 朱里ちゃんは、俺の罰を回避してくれる唯一の存在なのだ。


「はっはっは! ざまを見よ、ハト! 貴様らのハト知恵では、我が勇者様の快足を捉えがりいっ!」


 半開きだった東校舎の鉄扉。

 そこにするっと滑り込む朱里ちゃん。

 調子に乗ってよそ見をしていた俺は、腰からくるぶしに至る体の側面を、鉄扉でがりっと引っ掻いた。


「いてえええ! それに、なんかスース―するっ!」


 無理やり首を起こして視界に捉えた扉。

 そこで風にそよぐズボン。


「うおぉぉい! ストーーーップ! このままでは学校中のみんなに恥ずかしい姿をさらすことになる! はっ!? まさか、さっき父ちゃんのこと悪く言ったから?」


 恐るべし有言実行。

 って、それどころじゃねえ!

 俺達が誰かの前を通り過ぎるたびにぎゃーーーって叫び声が上がってく!

 なんだこのドレミファ橋!


「朱里ちゃん、俺が悪かった! だから一旦止まってくれ! このまま引きずられたらパンツまで…………きゃーーー!!!」



 朱里ちゃんの宣言した通り、俺は学校中のみんなに恥ずかしい姿を見られることになった。

 校内で知らぬ者の無い英雄・七色雫流の名も手伝って、またもや尾ひれを大量に生やしながら噂が拡散していく。


 さてここで、みんなにひとつ言っておこう。

 間違えないで欲しいんだ。


 英雄って言葉の意味。

 今、みんなが考えてる方じゃねえから。



 ……頼む。そうであってくれ。

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