楽恋 気付いたら楽園を王国にしちゃいました。
古海 拓人
楽園1 ひと夏の始まり
(生きているのがつまらない・・・・・)
加賀拓斗は、最近いいことがない自分の人生を悲観して、図書室の窓から大きなため息を吐き憂いていた。
十八歳の高三だ。彼は今人生の分岐点に立たされている。それは、将来と恋愛の事だ。既に、何人かの同級生は大学や専門学校への進学、または、地元や県外の企業への就職が決まり、あとは、卒業まで気を抜かずに生活するだけで受験戦争の地獄から解放されるとあって、残り少ない学園生活を謳歌している。
しかし、彼の瞳からは何も感じられないくらい輝きを失くしていた。
未来に就きたい仕事への情熱や憧れと言ったものも、友達と残り少ない青春を心に残す意欲も、好きな女の子に対する恋心さえもなかった。むしろ、どこか何もかもに絶望し、希望も持てずにいる物語の主人公の青年のようだ。
「加賀君、この英文の意味をもう一度言ってごらんなさい」
「はーい」
英語の林先生に、先ほどまで黒板に書いていた英語の連文のミミズが這っているかのような筆記体を指差して言う。
「えっと~、ビィ~」
「はい、もう違う、今は授業中ですよ。集中せずに何を考えていたの?」
下手な言い訳は通用しないと悟り、彼は、もう一度、心から声を出した。目の前に凶暴なモンスターがいるので、助けを正義のヒーローに求めるようにして言い直した。
「~Napoléon does’nt raise a weapon against aweak person.~ナポレオンは弱い人々に武器をむけない。と言う偉大なフランス皇帝の功績を意味しています」
林先生は、あっけに取られた顔をして、拓斗に正解を言う。
「グレート、でも、授業ではちゃんとした態度でしないと、あなたの憧れの皇帝が草葉の陰で怒るわよ」
「はい」
軽く説教された後も、マイペースに返事をする拓斗だが、心の中では少しだけ赤い舌を出していた。
(けっ、うるさいババアだな)
授業終了のチャイムが鳴り、生徒たちは帰宅の準備、部活の子は部室に急ぐ。
(ああ、しんどー)
拓斗は、カバンをぶら下げて校内の駐輪場に向かう。その途中で、一人の女子生徒とすれ違う。
「あ、庄野」
声をかけるなり、まるで、目の前に大嫌いな人間が現れたら、年頃の女子がする行為をした。
無言で何も返さず、早歩きで彼の前を去っていた。
彼女の名前は、庄野良枝。
拓斗と入学当初に同じクラスになり、同じ漫画やゲームが好きで、話が弾み仲良くなり、登下校時や休みの日などに話したり、映画やカラオケに行くなどして遊んだりしていた。だが、今年の始めくらいからか、ずっと、こんな調子だった。
そして、もう一人、今度はある男子とすれ違った。
(啓司・・・・・)
心の中で名を呼ぶが、彼とも言葉を交わせなかった。
大瀧啓二は、拓斗と同じこの春まで同じ写真部に所属していた。入った頃、顧問の先生や一学年上の先輩と楽しく活動していたが、しかし、この三月にその上級生たちが卒業してしまい、二人だけになってしまった。写真部は、ここ数年入部希望者がおらず、拓斗と啓司が入部しただけなので、活動が厳しくなってしまい、ついには廃部になってしまった。
理由は、啓司が三年生になったので、受験に向けて集中して勉強したいと顧問に話し、拓斗に話さず退部してしまったのが原因で、口論となり、それっきりだった。
「ちくしょう」
自転車のペダルを外す時、思いっきり恨みのある相手の泣き所を蹴るように解除する。
七月の終わり頃、これからどんどん暑くなっていく。
彼の心のイライラも不満もどんどん空に浮かぶ入道雲みたいに大きくなるが、それを解消する捌け口はない。
「加賀君」
一人の女性教師が声をかけてきた。
「上田先生」
上田恵子先生は、拓斗のクラス担任だ。
「今、怒ったみたいにペダルを外していたけど、何かイライラすることでもあったの?」
「別に、何もないです。ただ、むしゃくしゃしていることがあっただけ・・・・先生には関係ないっすよ」
「本当に、英語の林先生も最近あなたが少しだけ、ぼっと何かを考えているようで、授業中に何か考えているようにしか見えないと言っていたわよ。他にもクラスの子に乱暴な言動をしたとか・・・」
「もう、いいでしょう。ほっといてほしい」
拓斗は、自転車にまたがり、その場を去ろうとする。
しかし、上田先生はそれでも口を止めずに続けた。
「やめないわ。今が一番大切なの時期なのよ。ご家庭の事とか周りのお友達とうまく付き合えなくても、好きな子にフラれても、進学や就職のことだけを考えて行動しなさい。あとで、後悔しても遅いのよ」
「うるさいな・・・いいでしょうが、ほっといてくれよ」
そう言うと、拓斗は勢いよく自転車で校門まで駆けていく。
「加賀君」
拓斗は、そのまま走りに走った。何も考えず、思わずにただまっすぐに自宅がある方向と違う隣町まで自転車を走らせた。
どのくらいの時間を走ったのだろう。
「夕日だ」
気が付けば、そこは隣町でも夕日がきれいに見えると評判の美しい丘の上だった。
ふいに彼の頭の中に、昔読んだ小説の語句を思い出した。それは、昼から夜に変わる時間が変わる時を逢魔が時と呼び、神秘的なことが起こる時間だと・・・・・。
「銀河鉄道とか、夏の夜の夢みたいだが、俺には、カムパネルラみたいな親友もいないし、ロマンチックな夜を過ごす好きな子もいないじゃ、孤独過ぎて笑えるぜ。昔から、友達とかいなかったし、好きになった子にはフラれるなんて慣れているが、十八になってまでも、こんな思いするんじゃ、恰好悪いぜ」
拓斗の目に、何か冷たいものがこぼれていた。
それは、一人になれて、今までのすべての苦く、嫌なものが溢れて、自分を支配していくものから解放される感じがした。
夕日が沈み、辺りが暗くなり始めた頃だった。一番星が見えて、そろそろ帰ろうと後ろを振り向いた時だった。
「おい、お前・・・拓斗か」
彼に、声をかける人物がいた。それは、先ほどのけんか別れした啓司の声ではなかった。
周りが闇に支配された時、拓斗はその声のする方に、視線と心を向けた。
そこには、丸刈り頭に目がぱっちりと開いた暗闇でも光る白い歯をして笑顔で立つ一人の男がいた。
「やっぱり、拓斗だったのか、久しぶりだな」
声の主は、笑顔でこちらに拓斗に返した。
「博樹、博樹なのか・・・・?」
「ああ、四年ぶりだな。元気にしていたか、そうして、どうした。泣いているのか?」
拓斗の前に現れたのは、難波博樹と言う中学生の時に、ともに剣道を習っていた友達だ。
道場でも、中学生では取得するのが難しいと言われる剣道七段の免許を同い年のクラスでただ一人取得した実力者だ。
試合でも負けなしで、個人戦でも団体戦でも一勝もできない落ちこぼれだった自分とは大違いの神童のような存在でもあった。そんな彼が今目の前にいる。
三年生に進級する前に父親の転勤に伴い、家族で東京に引っ越したはずだ。
それなのに、なぜ、ここにいるのか不思議でならなかった。
「こっちにいるばあちゃんに会いに来たんだよ。去年、色々とあって、お盆とか正月も顔を見せてやれなかったからよ。ちょっと会いに来た。その帰りに、お気に入りのここに立ち寄ったんだ。そしたら、お前が居たんだよ」
「そうか、引っ越してからメールぐらいでしか連絡取っていなかったな。どうだ。ファミレスでゆっくりしゃべらないか?」
「いいな。行こうぜ」
拓斗と博樹は、そのまま、近くにあるファミレスに入った。今日、拓斗は両親が仕事で遅くなるので、夕飯はまだだった。
とりあえず、二人は適当に料理を注文した。
「久しぶりだな。メールを読んでいたら、東京の生活楽しんでいるんだろう。こんな田舎と違い、遊ぶ所も美味い物もいっぱいあるんだろう。可愛い女の子とかもいっぱい歩いているのか?」
拓斗は、雑誌やSNSで知っている情報をただ博樹にぶつけるが、返ってくる答えは面白みのない答えだった。
「俺も最初はそうだと期待した。田舎からすれば華やいでいるように見えるが、しかし、住んでみれば、百八十度違う。空気も悪いし、騒音もひどく、周りを見渡せば人の頭しか見えない」
博樹から返ってきた答えは、拓斗が期待したものとは違うかった。この街にない巨大な高層ビル群が立ち並び、海浜地区と呼ばれる東京湾に面した海岸地帯は、高級マンションやお洒落なオフィスやホテル、ショッピングモールが溢れていると言う地方の若者が思っているありきたりなイメージは崩れた。
さらに、博樹は続けた。
「美人な子は多いが、恋愛出来る子は一握りだ。大体が彼氏持ちだ。唯一、フリーな女の子でも価値観や視野が大きい。名門校在籍か、将来上場企業やら省庁に勤められるのようなエリートコースに乗れそうな人間か、俺らと同い年だが考えや思いが大人過ぎる」
拓斗は、田舎者の自分がそんな大都会に出たら、メンタルが弱いので、間違いなく半年もしないうちに潰れると思った。
そんな弱肉強食のジャングルのような場所で暮らす博樹に拓斗は尊敬の念を持った。
「そうだ。もうじき、博樹の学校も夏休みだろう。18の夏の思い出に旅行にいかないか?」
「おお、いいな。行こうぜ」
二人は、夏休みに入ったら、18歳の青春旅行に行く約束を交わした。それは、現在の自分たちの生き方を上手に過ごすことが難しく、嫌なことだらけの日々から一時だけ離れて、心の洗濯をしようと言う二人だけの考えだった。
夏休みは、十日後それまで、二人はメールや電話で連絡を取り合い、計画をこっそりと立てた。
出発当日、拓斗は家族に博樹の親戚の家に二人でサイクリングしながら行くとごまかして家を出た。
待ち合わせ場所には、同じように博樹も荷物が入ったリュックを背負って待っていた。
「お待たせ、待った?」
「拓斗、大丈夫だ。俺も今来た」
「そんじゃ、行くかい?」
「おう」
二人はペダルを漕ぎ自転車を進めた。旅行日程は二泊三日で、目的地は拓斗たちの町から南の方にある小さな港町だ。宿は博樹が以前家族と泊まったことがある小さな民宿で、明治創業の老舗だ。
部屋や風呂も当時の空気が残るモダンな宿なので、観光客にも隠れスポットとして人気がある。
「博樹は、おじさんとおばさんになんて言って出てきたんだ?」
「目的地の町に住んでいる拓斗の親戚のおばさん家に泊まるって言って出てきた」
「俺もおんなじように言って出てきた。親父とお袋には受験の時期だから、羽目を外し過ぎないようになと厳しく注意されながら、空返事してな」
博樹は、それを聞いて、やはりそんな風に出て行くのが一番無難だなと返した。しかし、家を出たらこっちのものだ。二人は逃亡者のようにペダルを強く漕いで、郊外の県道まで進んだ。
さあ、夏の大冒険の始まりだ。
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