ほんの少しの何か
ミーシャ
□'
ふと、眠る前に、いつもの感覚に襲われた。携帯ではなく、わざわざ引いた固定電話の前まで行き、短縮ダイヤルを押す。
暗いダイニングの隅、辛うじて手元が見えるのは、寝室から漏れてくる、オレンジ色の常夜灯のおかげだ。白く明るい光は、覚醒と、嘘の日常の為にあって、まるで私には優しくない。だから何かに縋りたい時、弱いじぶんに戻るときは、この暗い光の中を歩き回って、気持ちを宥める。
呼び出し音が鳴り、暫く待った後、女性の声が応えた。私は、相手が現れたことに安堵し、ぽつぽつと、最近あったことを話し出した。
電話の向こうで、見ず知らずの私の話を、何かの片手間ではなく、真摯に聴いてくれるその人。御金を貰ってやっている仕事ではないのに、どうして、そんなに優しい言葉を発してくれるのか。そう思うと、固くなった胸の奥がなんだかこそばゆく、朝起きて会社に出かける前にも、電話の方にちらと目が行くようになった。
何度か、夜に電話をかけているうち、どれくらいの人が向こうにいるのか、想像するようになる。似ている声の人が多いのかもしれないが、私の知る限り、4人。多いなぁ、と思う。私には友人の一人もいないし、仲のいい同僚なんてものもいない。
学生時代に、自分の興味や嗜好を共有し、一緒にいて楽しいと感じる誰かがいたことも、どこか、遠い夢のようなほど昔の気がする。今では、なんでそんなに積極的だったのか、疑問な位だ。「自分」という一つの囲いが、こんなに息苦しいものだとは思わず、ただシンプルに、”一人で息をしよう”として来た。
何もかもが重たくて、暑苦しくて、捨てたくて。
これまで身の内と外に積もった一切を、本当に必要なものだけ残して、削ぎ落としたらきっと、楽になれるんじゃないか、っていう期待があった。でも、その時には既に、大事なものがなくなってたんじゃないかって、今では思う。
「生きていたら」
この条件が、まるで生きている自分に響かないこと、そんなのは当たり前だ。だから、「死んだら」という想像ばかりが、頭をもたげてくるのも。
私は、電話口で、自分が死んでもきっと周りの人は困らない、逆に喜んでくれるのではないかと、何度か力説した。その説明はすごく論理的で、筋が通っていて、誰も簡単に論破できない。口にしているうちに、気分が高揚して、なぜだか満たされた。
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