第7話 神様、ありがとう

はっと瞼を開く。ここはどこだろうか。


少し甘いような、埃っぽい香りを放つ木造の古い校舎。日焼けしてクリーム色になったカーテンが、気だるい午後の風でゆらゆらと波打つ。


「ミーちゃん、よだれ出てるよ」

文芸部の部長、佐々木ユキトが厚い参考書を閉じながら言う。分厚い眼鏡の下の目がキリッと私をとらえる。


「ふぁ、まだ夏休みボケかな」


私はよだれを拭きながら思い出す。そうだった、文化祭に出す薄い本のプロットを考えていたんだ。


「ミーちゃん、なかなか面白いあらすじ『では』あるよ」


「てへぺろ、と言いたいところだけど、『では』であるところが引っかかるよね」


付き合いは長いから『では』の後に必ず何か来るのが分かる。


ユキトは不敵な微笑みを浮かべながら、私の書いた原稿用紙をゆっくりと広げる。赤線やメモ書きがたくさん書き込んであるのがちらりと見えた。


「僕はSFは専門外なのであまりわからないんだけど…」


そう言うと、ユキトは眼鏡をクイッと人差し指で上げる。来た来た、控えめに言って宣戦布告だ。


「これ、ある日突然、宇宙人が隕石落として攻撃、文明崩壊。はいここ、意味が分からない。なんで攻撃してくるの?事前調査とか、攻撃してくる前にやることあるんじゃない?」


確かにそうだ。


「人を襲って脳を回収、そして脳から意識を再構築。使い古しの設定だよね。何で人間なんかの意識に興味があるの?他の恒星系から来れるぐらいの知能持ってるんでしょ?」


痛いところを突く。


「隕石落としたら、人が結構死んじゃって、その分、回収できる脳みそ減るんじゃ?もっとスマートな方法で侵略するんじゃないかな?」


なんかグサッと来た。理論的にグサッと来たよ。


「っていうか、宇宙人が一回も出てこないよね」


とどめ刺された。もう立てない。


うなだれる私を思いやってか、ユキトはこう続けた。


「まあ、この辺の矛盾をちゃんと回収できる設定を後から…


そうなんだ。確かに、私も同じ疑問を持っていた。そしてその答えは永遠に得られないのだろうか?日常に戻ってから既に7か月、時間が経つにつれて、記憶から痛みが薄らいでいく。もしかして、全ては私の妄想だったのではないだろうか?大災害も『奴ら』との戦いも、私が創作しただけなのではないだろうか?


「ミーちゃん、聞いてる?」


「あ、うん」


私は思考の列車を無理やりもとへ戻す。そう、妄想でも事実でも、今の現実を受け入れて生きていくしかないんだ。


「ミーちゃんなら、大丈夫。まだ文化祭まで時間があるし、どうせ書いても誰も読まないしね」


「いや、それ、最後の全然励ましになってないから!!!」


ユキトはいつものはにかむような微笑みでボケてくれる。その優しさを浴びるだけで私は元気になれるんだよ。君はまだそれに気付いてない。


「じゃ、今日はその辺にしといて、明後日のテスト頑張らなくちゃね。えーと、どこからだっけ?」


そう言ってユキトが再び参考書を開く。パラパラと開いたページからぱっと英単語が目に飛び込んで来た。


「Introdus: 特定の場所への人々の大規模な集まり、移入」


憶えている。


「ミーちゃん、すごい。じゃ対義語は?」


「Exodus…」


「ミーちゃん、もう『必須英単語3000』やってるんだ」


そう、憶えている。焼け野原にポツンと残る半壊した公民館、明日の配給のクラッカーの事しか考えられない極度な飢え、参考書を開いて勉強している時だけ、押しつぶされそうなどうしようもない絶望を、忘れることが出来たんだ。妄想だったらよかったのに…


急に呼吸が苦しくなって、眩暈がする。膝をついて倒れる。


ぽたぽたと、大粒の涙が床を叩く。唸り声が聞える。それが私の押し殺した泣き声だと気づいた時には、もうすでに堰を切ったように大声で泣いていた。


「大丈夫?気分が悪くなったの?保健室連れて行こうか?」


ユキトはおろおろと、困惑しながら私の手を取る。そして、泣き止まない私の肩をそっとぎこちなく抱きしめる。私の髪を撫でながら耳元で囁く。


「大丈夫だよ、大変だったね、辛かったんだね」


私は驚いて瞬間的に硬直したが、人の温かさが今は心地よく、ユキトの好意に甘えることにした。肩を借りて泣くことにした。本当に大変だったんだ。辛かったんだ。


涙が枯れ果てて、落ち着いてきたころにユキトはそっと耳元で呟いた。


「僕がずっと守ってあげるよ」


「フフフ、そういう臭いセリフがすっごくユキトらしい。ありがとうね」


ユキトは照れを隠すように肩をすくめると、私を抱き起こして椅子に座らせる。しばらく下を向いて何かを迷っているようだったが、顔を上げて私の瞳を覗き込む。そして少し寂しそうな顔をして言った。


「僕も、ミーちゃんと同じなんだよ」


「えっ?ちょっ、どういう意味?…」


「あの日、僕も隕石を見たんだよ」


その時突然ビープ音と共に女性の声が響き渡った。


「Violation of the conduct has been detected. This iteration will be terminated in 64 seconds.」


「やっぱり、まいったな。言っちゃいけなかったんだよね」


ユキトはいつもと違って、落ち着いた低い声で、天井に向かって話し始めた。


「神様、このイタレーション4832回目でしょ。アウトプットもスレッシュホールド超えたし、ミコのパラメターもこれ以上最適化しないんじゃない?」


「The iterative simulations will not be transitioned to subsequent simulations unless the prior iterations reach a plateau in all outputs.」


「もうこれ以上ミコが泣く姿を見たくないんだ」


「The subject of the reconstruction process does not carry its memories from the previous iterative simulations. Each iteration is perceived as a first experience regardless of the number of the prior iterations.」


「そういうことじゃなくて…」


「However, the stress of the bystander reached a significant level, and therefore, the iteration will transition to a new sequential phase upon the subject reaching the earliest REM sleep.」


ユキトは振り向くと、私の唇に人差し指を当ててにやっと笑う、いたずらっ子が勝ち誇ったように。


「僕に何も質問しちゃだめだよ。答えられないからね」


そして再び壁を向いてこう言った。


「ありがとう、神様」

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