ヘラジカの秘密 ~オオカミが描いたイラスト~
十壽 魅
『サバンナに立つ 二人の王』
ヘラジカは薄暗い森の中を歩いていた。
ここは彼女の縄張りから離れた場所。だがどうしても、ここに来なければならない理由があった。
ガサガサ!
近くの茂みからの物音が聞こえる。
セルリアンかもしれない。念のためヘラジカは身構え、茂みに向かって叫んだ。
「何奴!」
そして茂みからこんな声が帰って来る。
「……山」
ヘラジカは聞き覚えのある声に安堵を抱きつつ、合言葉を返した。
「――川だ。遅くなってすまないな、オオカミ殿」
「いや実は、ちょうど今来たところなんだ。トラブルがあってね」
「セルリアンか?」
オオカミは笑みを浮かべ、顔を横に振る。
「キリンが放してくれなくてな。寝床から抜け出すのに苦労したんだ」
「なに?! い、一緒に寝ているのか?」
意外な事実にヘラジカは驚く。しかしオオカミは昨日のことを思い出しつつ、仄かな罪悪感を含ませた笑顔で語った。『これには事情があるんだ』、と。
「いいや。怖い作り話をキリンに聞かせたんだ。そうしたら思いの外、彼女を怖がらせてしまってね。あれは悪いことをしたよ。あまりにも怖がっていたから、一緒に寝ることにしたんだ。さすがに寝る前に話したのは、私のミスだったよ」
「なるほど。お前なりの『謝罪』というわけだな」
「まぁ、キリンの寝顔を見たかったこともあるけどね。普段からは想像できない、あのあどけない寝顔。実に良いものを見させてもらったよ」
すべて計算尽くだったのか? ヘラジカはそう思いつつ、要件を切り出した。
「ところでオオカミ殿。例のブツは?」
「おっとそうだった。コレだな」
オオカミは隠し持っていた一枚の紙を差し出す。それはヘラジカにとってジャパリまん3ヶ月分でも足りないほどの、とても価値のあるものだった。
ヘラジカは懐かしさに顔をほころばせ、満足げな視線で紙を見つめる。
「あぁこれだ……間違いない」
もはや見つめるというよりも、紙に描かれたそれに視線を奪われる状態だった。
そのヘラジカの様子に、オオカミもまた充足感を覚える。顧客の求めるニーズに見事、応えることができたのだから。
ヘラジカは紙を大事そうに胸に抱く。そして周囲を警戒しつつ、オオカミに念を押した。
「オオカミ殿。くれぐれもこの件は内密に」
「あぁ分かってる。『森の王としての威厳』ってやつだね」
「これがもし、ライオンにバレでもしたら――」
そんな二人の前に、第三者がひょいっと現われる。黄金の鬣を持つ彼女の名は――
「なぁヘラジカぁ、こんな夜更けになにしてんのさぁ~」
少し緩めのトーンでヘラジカ達に声をかけた人物。それはなんとライオンだった。
「ぎゃああああああああああああ!!!」
ヘラジカは今まで上げたことのない悲鳴を上げてしまう。
それを聞いたライオンもまた、悲鳴に押され「うわぁああぁあああ?! どしたの?! なに?! なんかした?!」と困惑の声を上げた。
ヘラジカは慌てふためきつつ、ライオンを問い詰める。
「な! なんでライオンがここにいるんだ!」
「なんだって、こんな夜更けに出かけるんだもの。心配になっちゃってさ」
ヘラジカは胸に抱いていた紙を、急いで背中に隠す。ライオンがそれを見過ごすはずがなく、彼女を問い詰めた。
「あ! 今なんか隠した!」
「か、隠してない! 隠してないぞ!」
「うっそだぁ~、バレバレだよぉ~」
ライオンはそう言いながら、ヘラジカの後ろを覗き込もうとする。
だがヘラジカは覗き込まれないよう、頑なに背中を見せまいとする。
そうこうしているうちに、ライオンの野生に火がついてしまう。彼女の温和だった声が豹変した。
「ほう……。おもしれぇ。私に隠し事か。そんなに隠したいものっていうのは、いったいなんだろうな? ヘラジカ?」
まさにサバンナの王。その声だけで平伏したくなるような貫禄と威圧を持つ声だ。ヘラジカは思わず従属したくなる声に抗い、なんとか策を練ろうとする。
「クッ!」
「どうしたヘラジカ? 私とお前の仲だ。その紙になにが書かれていようが、怒ったりはない。さぁ! だからおとなしく、それを見せるんだ」
ライオンからの助け舟。しかしヘラジカは森の王として、決死の決断を下した。
「う、うぉおぉおおぉ!! モシャモシャ、モシャモシャ」
なんとヘラジカは、紙をモシャモシャと食べ始めたではないか。争いの元凶を物理的に葬る、証拠隠滅に手を出したのだ。
まさかの事態にライオンは仰天し、ヘラジカを止めに入る。そして二人を見守っていたオオカミもまた、ライオン同様、ヘラジカを止めに加わった。なにせ紙は食い物ではなく、健康によろしくないからだ。
「ヘラジカ駄目だ! いくらフレンズでも紙を食べたら腹を壊すぞ!」
「んん! モシャモシャ! ムシャムシャ!(オオカミ殿! 放してくれ! 後生だ! これを見られるわけにはぁ!)」
「ヘラジカ悪かったって! そこまで責める気はなかったんだ! だから『ぺッ!』しよ? 『ペッ!』ね?」
「モシャモシャ! んん! モシャシャ!(ダメだ! 見られるわけには! 見られるわけにはぁ!)」
◆
ヘラジカとライオンは帰路についていた。
ライオンが歩きながら「やれやれ」といった口調で語る。
「にしても、さすがに紙を食うとは思わなかったなぁ~。あれにはビックリしたよぉ~」
「すまないライオン。信じてほしい。決してあの紙に、ライオンにとって悪いものは描かれていない」
「ほんとにぃ~?」
「ほんとだ!」
「ほんとにほんと?」
疑惑を向けられたヘラジカは、硬い決意の元、『信じて欲しい』と強く頷いた。
それを見たライオンは、優しい笑みで納得する。
「そっか。そこまで言うのなら、ヘラジカのこと信じるよ!」
疑惑が解けたことに安堵し、ヘラジカは胸を撫で下ろした。
「ありがとう、ライオン……」
そしてライオンは預言者のように、絵に描かれていた真相をスバリ言い当てた。
「にしてもヘラジカが、私のブロマイド? だっけ? イラスト欲しいだなんて驚きだよ。そんなに欲しかったの?」
「な?! なんでそれを知ってるんだ?!」
「だって~、オオカミに絵のモデルになってくれって頼まれてさぁ~」
「じゃあ全部、初めから知ってたのか!」
「うん知ってたよ。あとオオカミからの伝言があるよぉ。『あれは複製品だから安心して』だってさ よかったね!」
よかったのかよくないのか。一人、無駄な大立ち回りしていたヘラジカは、さらにくたびれた表情を見せ、ガックリと肩を下ろした。
そんなヘラジカを元気づけるため、ライオンはこんな提案を申し出る。
「確かブロマイドの内容は、『サバンナに立つ百獣の王』だっけ? じゃあ今度さぁ! 二人だけでサバンナ、行ってみようか!」
思わぬ提案に、ヘラジカはキョトンとしてしまう。
「え?」
「ね? たまにはいいじゃん! カバンとサーバルみたいにさ! たのしそう!」
夜が終りを迎え、朝日が登る。
その光に照らされたライオンの顔は、あの日、ヘラジカが初めて出逢い、その目と心を奪ったライオンそのものだった。
◆
ロッジの一室で、オオカミがイラストを描いている。いつもにも増して真剣な表情だ。
そんな部屋にノックの音が響く。
「はーい! 入っていいよ」
部屋に現れたのは、オオカミの大ファンである、元・迷探偵キリンだ。お盆にジャパリまんと紅茶の入ったカップを載せている。
「お邪魔します先生! お茶を持ってきました。いつにも増して真剣ですね。もしや! 新作の漫画ですか!」
「残念、違うよ。これは漫画でなくイラスト。題名は……そうだな『サバンナに立つ二人の王』、かな」
ヘラジカの秘密 ~オオカミが描いたイラスト~ 十壽 魅 @mitaryuuji
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