カース†エピタフ

柊らみ子

シスター

――何故だろう。

ただ。

ただ――。

幸せになりたいと、願っただけだったのに。

それがどれだけ、いけない事だっただろう。



「ねぇシスター。世界を救った英雄のお話、聞かせて?」



 全ての罪を抱いた人形と、

 世界の罰を背負った人間の、

 たった二人だけの、贖罪の物語。





















 柔らかな、日差しが揺れる。

 黒い髪のシスターはふと顔を上げ、眩しそうに瞳を細めて快晴の空を仰ぐ。雲一つ無い空は何処までも青く涼しげに、広がっている。

 小さな教会は、小高い丘の上に建っていた。故にこんな日は―遠い水平線までくっきりと見渡せる。水平線の真ん中にそびえる『塔』もその存在をしっかりと主張していた。まるで、空を突き刺してでもいるかのように、高く高く伸びている。頂上は白くかすみ、形すら窺う事は出来ない。

 それを認め、彼女は深い紫紺の瞳を伏せる。だが、その顔に表情らしい表情は何も浮かんではいなかった。確認出来たから、目を伏せただけ。ただ、それだけの事なのだろう。

 ぱたぱたと、小さな足音がやってくる。無論、足音だけがやってくる事は無いのだから、足音の主も一緒だ。それも、二人。軽やかなステップを弾ませてシスターの横に並んだ彼らは、額に手を当てて『塔』を見つめた。

「あー、今日はホントにはっきり見えるね!」

「これだけ晴れてるんだもん、当然だわよぅー。ねぇ、シスター?」

 足音の主は、先程まで日曜学校に出席していた年小組の少年と少女である。くりくりとした好奇心丸出しの瞳で『塔』を見つめる少年と、得意そうに頷く少女。そばかすのある頬を得意気に膨らませて、少女はシスターを見上げた。

「これだけ晴れていれば、いつでも『塔』は見られますよ」

 ほんの少しだけ、シスターに表情らしきものが浮かんだ。微笑んだのかも、しれない。

「『塔』は逃げません。いつでも、いつまでも、あれはあそこにあるのです」

 言ってシスターもまた、青にかすむ『塔』を見やる。

 『塔』と呼ばれているそれは実際、本当に『塔』なのではない。人工の建造物ではなく、ただただ高く高く聳え立つ岩の柱だ。海を臨む高台であれば世界中何処からでも見えると言っても過言ではないほど巨大な、天を突く柱。圧倒的な存在感を持つそれは、人工のものにせよ自然の産物にせよ、どちらにしてもどうやって出来上がったのか未だ解明されていない。

 その謎の柱を、一体誰が『塔』と呼び出したのか。上る術など無いというのに、いつからかそれはそう呼ばれ始めた。そして、その頂上に何があるのか思いを寄せる人々が語る、伝承がある。

 あれは。

 その昔、世界を救った英雄の、墓標エピタフなのだ――と。

「でも、あの『塔』にあんな伝説があったなんて。あんなの、ただ高いだけのわけ分かんないものだと思ってた」

「もう、そんなの、あんたが無知過ぎるの! あの『塔』の伝説なんて、世界中みーんな知ってるよ?」

 また、少女が得意気な顔をする。少年は「そうかなー」と首を捻ると、傍らに佇むシスターを見上げた。

「そう、なの?」

「そうかも、しれません。だけど、『塔』について貴方達にお話したのは今日が初めてです。貴方が今まで誰からも聞いた事が無いのなら、これから知っていけば良いのです」

 事務的な話し方は、決して幼い子供達と話すのに合っているとは思えない。が、少年は、その台詞で納得したようだった。くりっとした大きな瞳に溢れんばかりの好奇心を乗せ、もう一度空にそびえる『塔』を見やる。

「世界を救った英雄かぁ。どんな人だったんだろうなー。やっぱ強くてカッコ良かったのかな」

「当ったり前でしょう! きっと強くてハンサムで優しくてステキな人だったに違いないわ」

 夢見る瞳でうっとりと少女が言う。自分が言い出した手前、強くは言えないけれどそこまで揃ってるのもどうかなぁと首を捻る少年だった。

 でも、世界を救った英雄が、カッコ良くないわけは無いし……。

 やっぱり、カッコ良すぎるぐらいで丁度良いのかなぁ。

 少女の妄想と自分の理想の狭間で少年は悩む。

「シスター。その英雄って、一体どんな人だったの? やっぱり強くてカッコ良かったの?」

「さぁ、どうだったのでしょうね。青年だったというだけで、正確な容姿までは伝わっていませんし、そもそも容姿が重要なわけではありませんから」

「うーん……。まぁ、そうなんだけど……」

 淡々と言われ、少年は肩を落とした。とはいえ、このシスターはいつもこんな調子なので、彼女が伝わっていないというならそうなのだろう。

 それに、お話としてはカッコイイ方が華があるけれど、平凡な人間だった、と思う方が夢が見られる気もするし。

 そう自分に言い聞かせ、少年はシスターを見上げた。

「ねぇシスター。もう一回、世界を救った英雄のお話聞かせてよ」

 無邪気な声で言われ、シスターはふっと微笑んだ。珍しくその柔らかな表情を崩さぬまま、彼女は「良いですよ」と答える。少女もいつの間にか、少年と並んでシスターを見上げていた。

 二人から目を逸らし、遠くに霞む『塔』を見やってシスターは話し始めた。

「その昔――。今より遥かに文明が進み、強大な技術力を誇る二つの国がありました。だけど、大地は荒れ果て擦り切れて、軋んでいたのです。青い海も、爽やかな風も、緑をもたらす森も――そしてそこに住む全ての生き物達は、二つの国に住む先の人類が起こした戦争によって、住む世界を奪われようとしていたのです」

 淡々と。

 前を見据えて、シスターは言葉を紡ぐ。

「住む世界を奪われそうになっていたのは、人間達だって同じです。先の人類は、世界のバランスが狂い始めてようやく、その重大な事実に気が付いた。そして―あろう事か、少しでも早く決着をつける事が、世界の復興に時間を割く事が出来る――と考えたのです」

 愚かな事です、と無表情に付け加え、シスターは墓標と呼ばれる『塔』を見つめる。

 『塔』は、何も返さない。

 ――そして。

 決着は。

 あまりにも呆気無く。

「片方の国に現れた一人の青年によって、もう片方の国はなす術も無く滅びました。青年が率いる、戦乙女達の力によって」

 少女の外見をした戦乙女。その見た目とは裏腹に彼女達は高い戦闘能力を有し、青年は彼女達を指揮して戦った。彼らが出現した事によって均衡が崩れ、片方の国は簡単に滅び去り、後には何も残らなかったのだという。

「勝利した国は歓喜に沸きました。王様は青年に褒美を与え、これからも国を守ってはくれないかと頼んだのです。しかし青年は、その頼みを断り、国を去りました」

 そう。

 青年には、成すべき事があったのです。

「世界を、甦らせる事。その為に彼は戦争を終わらせたのであり、結果、英雄となったのです。だから、彼には王様のくれる褒美も国民の向ける賞賛の瞳も名誉も、何も欲しくはなかった。それは、青年が欲している結果とは違っていたから」

 ――だけど。

「世界を回り、もう遅いのだと彼は気が付いた。二つの国の争いが世界に残した傷跡は深く、もう修復出来るものではないのだ、と」

 ふ、とシスターは言葉を切ると、視線を地面へ落とした。さわ、と冷たい風がベールを持ち上げて行く。

「争いを止めても、何も変わらない。結局世界は静かに、でも確実に滅びの道を辿っている。そうさせない為に、彼は戦争にまで手を貸したのに。片方の国を犠牲にしてまで、世界の崩壊を止めようとしたのに」

 青年は、深く――嘆きました。

 そして、諦めようとしました。

 ――その時です。

「付き添っていた、一人の戦乙女が囁いたのです。世界を救えるかもしれない、ある方法を」

 ごくり、と少年が喉を鳴らした。少女も瞬きを忘れたかのような大きな瞳で、シスターを食い入るように見つめている。

「その方法を聞き、青年は驚きました。それはあまりにも突飛で、想像すらした事も無い方法だったからです。それでも青年は、その方法を試すと言いました」

 戦乙女達の力を借り、青年は世界に蔓延る災厄を、自身に集めようと試みました。

 擦り切れた世界を甦らせる為に、滅びの力を全て引き取ろう、と。

 彼が何故、自分を犠牲にしてまで世界を守りたかったのかは結局分からずじまいです。

 それでも。

「青年がそれを試した時。大きな大きな、それこそ地面を引き裂いてしまうのではないかと思う程大きないかづちが、彼の上へと落ちました。真っ白な閃光が世界中に満ち、誰もが皆、その雷を見たのです。その瞬間、世界は一つになっていました」

 シスターは顔を上げてもう一度『塔』を見つめた。

「凄まじい光が収まった後。人々が見たものは、世界の中央にそびえ立つ、あの『塔』でした。青年も、戦乙女達も、光と共に消えてしまっていたのです」

 だから。

 アレは。

 英雄の墓標だと、言われているのです――。



 シスターの話は、静かにそう締めくくられた。

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