復讐には愛をこめて

無月弟(無月蒼)

第1話

「三国さん、寺原君と付き合ってるって本当?」

 クラスの女子がそう聞いてきたから、私は肯定した。

「本当なんだ。良いな―、あの寺原君と付き合えて」

 彼女が羨ましがるのも無理は無い。彼、寺原京は顔良し、頭良し、性格良しと三拍子揃った人気の男子だ。おまけに家はお金持ちで、非の打ちどころの無いとは彼のためにあるような言葉だ。おっと、噂をすれば。

「香、一緒に帰ろう」

 教室に入って来るなり、彼はそう言って私の席に来る。私は立ち上がり、鞄を手に取る。

「寺原君、私とも付き合ってよ」

 さっきの子が冗談でそんな事を言う。

「ごめんね、俺は香一筋だから」

 そう返した彼と一緒に、私は教室を出る。

「鼻の下伸ばしてた」

「そんなこと言わないでよ。俺は香にしか興味ないこと知ってるでしょ」

 私の意地悪な言葉に、彼は困った顔をする。確かに彼は私一筋だ。そうでなければ意味が無い。

 彼は私だけを見て、私だけを好きでなければならない。そうでなければ、彼を殺す意味など無い。


 私、三国香は九歳の誕生日の日、交通事故で父を亡くした。優しかった父は私の誕生日ケーキを買った帰りに車にはねられ、帰らぬ人となったのだ。

 父を亡くしてから母は女手一つで私を育ててくれたけど、母はあまり丈夫な人ではなく、体を壊しては治しての繰り返しだ。

 私は少しでも母に楽をさせようと必死で勉強して、特別奨学金のある高校に入った。

全ては母の負担を減らすため。そのはずだったんだけど、入学式で寺原京を見た時、私の目的は変わった。彼は、父を殺した憎い仇の一人息子だった。

父が死んですぐ、寺原京の両親は私の家を訪れ謝罪したけど。謝ったふりだけして、持ち前の財力で裁判では良い弁護士を雇い、大した罪にはならなかったアイツを、私は許せなかった。

私から父を奪ったように、今度は私がアイツから家族を奪ってやる。入学式後、父を殺したくせに何食わぬ顔で保護者席に座るアイツを見て、私はそう決心した。

私はまず、寺原京に近づくことにした。彼がサッカー部に入ったと知ると私も入り、彼の周りの男子から彼の好みのタイプ調べ、それに近づけた。

ただ殺すだけじゃだめだ。彼には私を愛してもらわないと。私のことしか見えなくなるくらい愛したその時、私が彼を殺す。その時彼はどんな気持ちで死んでいくだろう?父を奪ったあの男は、自分の子供が好きになった相手に殺されたと知ったらどうなるだろう。もちろん私も無事では済まないけど、裁判で言ってやるんだ。あの男が父を奪ったから私も奪ってやったんだって。

寺原京は無駄に人気が高く、常に数人の女子が周りにいたけど、その辺の女の安っぽい恋愛なんて私の怨みには勝てない。あの手この手を使って邪魔な奴らを退かせて二年生の夏、私はついに寺原京と付き合う事になった。

告白してきたのは彼の方から。いつも頑張っている私の事が好きだと、彼は照れながら言ってきた。

私は今まで生きた中でこれほど喜んだことは無かった。でもこれだけじゃまだ足りない。私は彼と順調に交際を重ねていく。

学校で会う度、デートで出かける度に私は彼に気に入られようと演じ続けた。

「荷物持つよ」

 二人で出掛けた時、彼はそう言って私の荷物を持とうとする。私はそれを一度断ったけど、彼は笑顔で私の手から荷物を取る。

 全てイメージ通りの動きだった。彼が荷物を持つと言ってきたのも、私がそれを断わるも結局彼が持ったのも、全てシュミレーション通り。

 一度断るというのが面倒だけど、彼が好きなのはそう言う奥ゆかしさを持った女の子だ。それを演じるために、私は面倒なステップを踏んだ。

 またある時、サッカー部の練習中、私は彼に少し温めのドリンクを渡した。他のみんなは冷たい奴を飲むけど、彼は温めの方が好きなのだ。一人だけ好みに合わせてあるという特別感を演出する。これらを積み重ねていく。そうすれば彼はどんどん私を好きになっていくのだ。

 本当は今すぐにでも殺してやりたいけど、焦ってはいけない。悟られては全てが台無しだ。私は自分の中にある殺意という名の刃物を研ぎ澄まし、その時を待った。


 六月も終わりに近づいたある日、登校した私は寺原京を見つけた。

「おはよう、京」

 私は笑顔で挨拶をする。今日も私を見て笑顔になるけど、何だろう。彼の頬に痣がある。

「その顔、どうしたの?」

「昨日練習中にボールがぶつかってね」

 そんなことあったっけ?昨日は私もグラウンドにいたけど記憶にない。まあいい、怪我をしているなら手当てをするのが普通だろう。

「保健室に行こう」

「良いよこれくらい」

「だめ、行くの」

 私は強引に彼の手を引くと、保健室に向かう。

朝の会議のためか先生の姿は無い。これで手当てをする優しい彼女を演じられる。私は勝手に薬を借りると、手当てを始めた。

「本当に良いのに」

「そんなこと言わない。京は格好良いんだから、顔に痣なんて作ってたらみんなびっくりしちゃうじゃない」

 私は薬を塗ると、今日の顔にガーゼを貼る。

「これで良し!」

 私がそう言うと、今日は照れたように私を見る。

「ありがとう。そうだ香」

 そう言って彼はかばんから何かを取り出した。これは――

「保冷材?」

「うん。最近だいぶ暑くなってきたから。香、暑いの苦手でしょ、使ってよ」

「……ありがとう」

 私はそうお礼を言った。それを聞いてはにかんで笑う彼に、私は一瞬目を奪われる。こうやって笑った彼はとても無邪気で可愛げがあって――

(何を考えている、私こいつを殺すんだ)

 一瞬よぎった私らしくない思いを、殺意で打ち消す。

コレは憎い仇の息子、コレは憎い仇の息子だ。そう心の中で唱えて彼を見る。もうさっきのような思いは無い。よかった、正常だ。

「香、どうしたの?」

「何でもない。もう怪我なんてしないでよ」

 そう。貴方を傷つけて良いのは私だけなのだから。


 梅雨が明けてもうすぐ夏休みという日の夕方、私と寺原京は二人で帰っていた。

 部活で遅くなった時は彼が私を家まで送る。それが私達のルールだ。正直彼が近くにいると殺意を抑えなければならないので面倒だけど、これもいずれ彼を殺すためだ。今は我慢しよう。

 いつもの通り私をアパートの前まで送った時、彼は言った。

「香、終業式の日が誕生日だよね」

「うん、七月二十日」

「その日、学校が終わった後で香の家に行って良い?」

 彼の言葉に私は頷いた。するととたんに彼の顔が明るくなる。

「ありがとう。その日、ケーキ買っていくよ。誕生日、一緒に祝おう」

 彼は本当に嬉しそうで、別れた後も何度も振り返っては私に手を振ってきた。

 嬉しいのは私も同じだ。私はアパートの自分の部屋の戸を開ける。

「香、お帰りなさい」

 母がそう言って出迎えてくれる。最近暑い日が続いて元気が無いけど、私といる時はいつも笑顔を向けてくれる優しい母だ。

「お母さん、今日も夜勤だっけ?」

「うん、今週はずっと。それと香、来週のことなんだけど」

 母は言い難そうにしているので、代わりに私が切り出した。

「誕生日も仕事なんでしょ。仕方ないよ、シフトがあるんだから」

「ごめんね、祝ってあげられなくて。それに、お父さんのお墓参りも」

「大丈夫。お父さんだってきっと許してくれるよ」

 そう、私の誕生日である七月二十日は、父が殺された日でもある。いつもならこの日は母と一緒に墓参りに行くのだけれど。

(墓参りにはいけないけど、きっとお父さんも喜んでくれる。その日、寺原京を殺すんだから)



 終業式の日の午後、私は自宅で寺原京が来るのを待っていた。

 母は昼過ぎに仕事に行き、夜遅くまで帰ってこない。流石に母がいる時に殺すのはちょっと気が引けるから丁度良い。それにしても、まさか決行がこの日になるなんて。ここまで計算したわけじゃなかったのに。ここまで来ると運命のように思えてくる。感謝します、神様。

 もうすぐ寺原京がケーキを買ってノコノコやってくる。それを私が殺すんだ。父が殺された日に、今度は私が。彼も気の利いた誕生日プレゼントを用意してくれたものだ。

「早く来ないかな」

 思わずそう口に出てしまった。相当浮かれてしまっているのだろう。ちょっと気を引き締めないと。何しろチャンスは一度きり。ここでしくじったら今までの苦労が水の泡だ。

 そんな事を考えていると、チャイムが鳴った。私はすぐに玄関に向かい、ドアを開ける。

「香、誕生日おめでとう」

 屈託のない笑顔で彼が言う。私も笑顔で彼を迎え入れる。

「お家の人は?」

「今日は仕事。夜まで帰ってこない」

「そうか、残念だな。挨拶しておきたかったのに」

 彼がこの家に来るのは初めてで、私は彼と付き合っていることを母に言っていない。もし母が彼の素性を知ればどうなるか分からないから隠してきた。

 父の仇の子供と付き合っていることを怒るか、私の目的に気づくか。どっちにしろ、母に心配はかけたくない。復讐は私一人でやるんだ。

 寺原京が買ってきたケーキをテーブルに置き、私は食器と包丁を用意する。この包丁で、彼を刺す。

 女の私が刃物で彼を襲うとなると当然抵抗されるだろう。お茶に毒でも仕込んだ方が成功率は高いだろうけど、私はより直接的な方法で、彼の命を奪いたかった。それに、私の殺意ならいくら抵抗されても確実に彼を殺す自信がある。

 私が食器と包丁を持ってテーブルに行くと、彼は壁に飾ってある写真を見ていた。

「これ、香のお父さんとお母さん?」

「うん。お父さんはもう死んじゃったけど」

 お前の父に殺されて。

「そうだった。ゴメン」

「良いよ。昔の事だし……」

 代わりにこれからお前を殺すのだし。

 彼は何が気になったのか、その写真に見入っている。これはチャンスだ。彼は私に背を向けていて、とても無防備だった。

 私は包丁を手に持ち、彼に近づく。一歩一歩、足音を殺しながらゆっくりと。

 彼の真後ろに立った私は、包丁を振り上げる。後はこれを振りおろせば、彼を殺せる。私の悲願は達成するのだ。私は包丁を握る右手に力を込め、彼めがけて振り下ろそうとする。

「香――」

 包丁を振り下ろそうとしたその時、彼は振り返った。

手元が狂った。彼に刺さるはずだった刃は、彼が少し動いたことと、私がそれに動揺したことで軌道が逸れたことで、彼の頭のすぐ横の壁に突き刺さった。

「!」

 壁に付きたてられた刃を慌てて引きぬく。まだだ、今度こそちゃんと彼を刺さないと。再び手に力を込め、彼を見る。

「香、どうして――」

 彼が呆けた顔で私を見る。私が自分を殺そうとしていることが信じられないのだろう。そう思った。だけど彼は、信じられない事を言った。

「どうして外すの。もっとちゃんと狙わなきゃ」

 そう言って彼いつものような笑顔になり、自分の心臓を指差した。

「確実に殺すならやっぱりココだよ。それとも、苦しませながら殺すのが良い?」

 何を言っているんだコイツは?私が本気で殺そうと理解した上でそんな事を言っているのか?

「知ってたよ。俺の父が香のお父さんを殺したってこと。だから香は俺を殺すために近づいて来たってこともね」

 彼の言葉が信じられなかった。知ってた?いつから?それじゃあ何で今まで黙ってたんだ?

困惑する私をみて、彼は言った。

「俺、結構モテるからね。高校に入ってすぐに何人かの女子が近付いてきたよ。正直相手をするのが面倒だったけど。でもその中で、香だけが他のこと違ってたんだ」

 最初から。殺意は完全に消していたと思っていたのに、どこでミスをした?

「言っておくけど、香の演技は完璧だったよ。たぶん気づいていたのは俺だけ。俺がわかったのは、香があまりに俺とは真逆だったからかな」

 真逆?どういう事だ?

「俺、学校でも家でも常に優等生を演じてたけど、それは親や教師から押し付けられた理想に合わせて演じていただけなんだ」

 優等生を演じていたのは私も同じだ。本当の自分を周りに悟られないよう仮面をかぶり、さらにコイツの理想の女を演じようと振る舞い続けてきた。

「演じていたのは香と同じでも、本質はまるで違った。俺は常に空っぽだから。周りの顔色伺って合わせていればそれで良いって思ってる。外側だけ固めて中身がまるでない人間だった。そんな俺だから、誰よりも強い感情を内に秘めた香に気づくことができたんだ」

 それは確かに真逆だ。コイツと違い私の心には常に復讐心と殺意が蠢いていた。心が空っぽなコイツは変な先入観など持たないから、私の本質に気づいたのだろう。でも――

「それじゃあ、どうしてわざわざ殺されに来たの?今日私が殺すつもりだってことも気づいていたんでしょう」

 そう言った私に、彼はにっこりと微笑んだ。

「好きだからだよ、香が。俺には無い熱い心を持っているし、形はどうあれ俺の事を見てくれている。そんな香になら、殺されても良いって思って」

「躊躇いとかないわけ?アンタが死んだら、残された両親が悲しむとか思わないの?」

「それは大丈夫。あの二人、本当は俺の事好きでもなんでもないから。香、前に俺の顔に痣があったこと覚えてる?」

 覚えてる。前に私が手当てしたあの痣だ。

「実はあれ、親父殴られてできた痣なんだ。ウチは両親とも何かあると俺に当たってね。そのくせ世間体ばかり気にするから、俺は良い子でいなきゃいけないんだけど。とにかくそんなわけで、俺が死んでも悲しんだりする人たちじゃないよ」

 彼は笑ったままそう言う。それを見て私は、彼が自分以上に壊れた存在だと思った。

「という訳で俺は死んでも構わないから、遠慮せずに刺してよ」

 そう言って彼はまたも自身の心臓を指差した。けど……

「……それじゃあ意味無いじゃない。私は、アンタの父親に復讐したいのよ。なのに悲しまないって何!それじゃあ意味が無いじゃない!」

 結局、自分がしてきた事は全て無駄だった。私は失意の下、手にしていた包丁を床に落とした。

「殺しては、くれないの?」

 そう言って彼は私に近づいてくる。そして――

「ン―――」

 私にキスをした。彼がなぜいきなりこんな事をしたのかはわからないけど、なぜか今分かってしまったことがある。

 それは、彼が決して空っぽではないという事。彼は今歪んだ形で私を見て、私を愛しているのだと悟った。

「ンッッ!」

 私はキスを続ける彼を思いっきり突き飛ばした。彼は尻餅をついた後、また笑ってこっちを見る。

「香、これがファーストキスだよね。それがこんな形で奪われて。これで、僕の事も憎んでくれる?」

 そうか、彼はよほど私に殺されたいんだ。けど――

「ねえ、私がなぜすぐにあんたを殺さなかったのかわかる?」

 彼は少し考えたけど、やがて分からないと答えた。どうやらほとんど空っぽなコイツには、私の細かい部分までは分からないらしい。

「私はね、アンタに愛されたかったの。アンタの理想の女を演じて、私の虜になったその時に殺してやろうと思っていたの」

「だったら目的達成だ。俺、香の事が好きだよ。だから殺して」

 彼はそう言ったけど、私は首を横に振った。

「全然ダメね。何よあのキス。愛が全然足りないわ。アンタにはもっと私を愛してもらわないと。そうでないと殺してあげない」

「今以上にか。ちょっと想像できないけど、香となら出来る気がする」

 彼はまるで無邪気な子供の様に笑い、私はそんな彼にそっと近づく。

「貴方にはこれから頑張ってもらわなきゃ。父を殺した貴方の親ももちろんいずれ殺すから。その時は、手伝ってくれるわよね」

 彼は嬉しそうにコクコクと頷く私はそんな彼に、今度は自分からキスをした。


 私が満足いくまで彼が私を愛した時、私は彼を殺す。それが私の、新しい復讐――

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復讐には愛をこめて 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi

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