大人になりたい僕と、幼子に戻りたい歌詠みとの記録
速水大河
第1話 僕とオジサン
授業が終わり放課後になると、僕はだいたい学校の裏手にある山に向かいます。
みんなが裏山と呼ぶこの山は、道中とても薄暗く、学校のすぐ近くにあるにも関わらず登る人は僕のほかにはいません。ただ一人を除いては。
それが歌詠みのオジサンです。
オジサンはとても変な人だと思います。僕のお父さんとは全然違っていて、ボサボサの髪に無精髭を生やして、その頬は少し痩けています。近頃は夏の暑さが迫ってきたというのに、今でもチャコールグレーのロングコートを羽織って、風よけの襟まで立てています。
山頂付近には決して大きくはないですが、平らになった場所が広がっており、そこに伐採された切り株の跡がいくつか残っているのですが、僕が行くと、歌詠みのオジサンはいつも切り株の上に座っています。
「オジサン、今日もいるね」
「坊主、また来たのか」
いつ頃からかわかりませんが、僕はオジサンと挨拶をするほどの仲になっていました。僕はオジサンのすぐ近くの別の切り株に上に腰を下ろします。オジサンは読んでいた本を閉じて僕に話しかけかます。
「お前も、もう少し友達と遊んだほうが良いんじゃないか」
オジサンは、グラウンドの子どもたちを一瞥して言います。僕のことを気にかけてくれているのだと思います。
山頂からはグラウンドがよく見下ろせるのです。遠目にはなってしまいますが、木陰も多いですし、こんな天然の切り株椅子まであるわけなので、穴場スポットなわけです。だけれど、僕とオジサンと他には誰もいません。
オジサンが僕を心配するのは、もっともです。放課後のチャイムが鳴り、皆が野球だ、サッカーだと騒いでグラウンドに飛び出していく中で、僕だけは一人山登りをしているのですから。
「早く大人になりたいんだ。だから、同級生のお子様たちとは遊んでられないんだ」
僕はそう言います。そう言いながらも、僕が裏山ですることといえば、お母さんに買ってもらったスマートフォンに、ゲームをダウンロードして遊ぶことぐらいです。
「おいおい。ゲームやってて、大人になれたら苦労ないわなあ」
オジサンは呆れたように言うのですが、僕から言わせてもらうとこのオジサンこそ心配なのです。
だって、そうじゃありませんか?
平日の、それもまだ太陽が空高い位置にある昼過ぎから、小学校のすぐとなりにある山に登り、グラウンドで遊ぶまだ未成熟の少年少女を観察しているのです。大の大人が仕事もせずに、一体ナニをやっているのでしょうか?
本を読んでいるように見せかけていますが、僕の推理によるとこのオジサンは、実は本なんか全然読んじゃいません。僕が来るといつも本を読むのをやめてしまいますし、
「何読んでるの?見せて」
前にそう聞いたとき、読んでいた本は後手に隠してしまい、その名は決して教えてくれませんでした。もしかすると、エッチな本かもしれません。僕は以前、エッチな本を従兄弟のお兄さんの部屋で見たことがあります。
「坊主、変なことを考えてるだろう」
オジサンは変に鋭いので、僕がそのときに何を考えているかをすぐに当ててしまいます。
「本はそうだな、たしかにあまり集中して読んではいない」
聞いてもいないのに、オジサンは自分が本を読んでいないことを告白してしまいました。そしてオジサンは続けます。
「俺は本じゃなく、歌を詠んでるんだよ」
「歌?」
「歌だ。TVなんかでよく流れてる歌謡曲じゃないぞ」
僕は尋ねます。
「給食のときに流れてるようなの?」
「給食のときに何が流れてるなんざ、俺にはとうの昔過ぎてわからん」
「僕にもオジサンが言う歌がわからない」
「よし、じゃあ一つ詠んでやろう」
その日が初めて、オジサンが僕に歌を詠んでくれた日となりました。それ以降、僕はより一層裏山に通う頻度が高くなったのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます