落語り帳

十千しゃなお

第1話 饅頭も怖いが……〈饅頭怖い〉

 あなたは〈饅頭怖い〉という話を聞いたことはあるだろうか?

 怖いものについて語り合っていると、ある嫌われものの男が「俺は饅頭が怖い」と言い始めた。みんな「そんな馬鹿な」と半信半疑だったが、男は「饅頭を見たら死んじまうかもしれない!」と必死なご様子。

 あまりに真剣なものだから、男が寝静まった隙に饅頭を買ってきて、男の枕元に置いてみた。日頃の鬱憤を晴らしてやろうと思ったのかもしれないし、純粋に饅頭に怖がるという珍妙な姿に興味がわいたのかもしれない。

 いずれせよ、男がどうなってしまうのか、障子に穴を開けて隣から覗いてみると、男は怖いはずの饅頭をムシャムシャと美味しそうに食べ始めたのだった。

 これは騙されたのだと思い、男の元へと駆け寄って「饅頭が怖いだなんて嘘じゃないか。本当は何が怖いんだ」と尋ねる一行。

 すると、男は饅頭を喉につっかえさせながらこう言った。「ああ、今度はお茶が怖い」ってね。


 ……どうだろう? なんとなくは聞いたことがあるんじゃないかな? 数ある落語の中でも一二を争うくらいに有名な話だから、寄席に行ったことのない人でもぼんやりとは知っているはずだ。

 では、今の話を念頭に置いてちょっと聞いて欲しいことがある。


 これはある日のことだ。

 あたしが学食でうどんを食べていると、親友の楓がお盆に蕎麦を載せて歩いているのを見つけた。このショートカットの友人は色々と面倒なやつなのだが、かれこれ小学校からずっと一緒の腐れ縁。なんだかあたしのことを探しているみたいだし、たまたま対面の席も空いていたので、手を振ってこっちこっちと教えてやる。楓も嬉しそうに手を振り返し、向かいの席へと腰掛けた。


「ねぇねぇ、あっちゃん。ちょっと面白い話があるんだけど」

「面白い話? 落語なら勘弁だよ?」


 あらら、早速始まったらしい。面倒の臭いやつが。

 あたしは知っている。楓の言う面白い話というものは、いつも落語のスジ、いわゆるあらすじをモチーフにしたような話なのだと。

 これが実際に面白ければ「勘弁だよ?」とは言わない。あたしも落語は嫌いじゃあないしね。が、この楓というやつは少しひねた性格をしていて、オチを読まれてしまうと強引に路線を変更してしまう癖がある。そうなったらもう泥沼というか、本当に「勘弁だよ?」という話だ。


「そんなんじゃないってばぁ。今日ね、クラスの子たちと好きなものについて話してたの」

「ん? そんな事あったか? あたしも同じクラスだが」


 親友同士なのでいつも一緒にいるつもりだったが、そんな会話をした記憶はない。不思議に思いあたしは尋ねるも、楓は何食わぬ顔で話を続けた。無視かよ、おい。


「プリンとかお寿司とかケーキとか、好きなものを言い合ってたんだけど、次第に嫌いなものについても話し始めてね。みんな虫が嫌いだったの」

「……まぁ、あたしも好きじゃあない」

「よく言うもんね、人間は胞衣えなを埋めた土の上を初めて通った生きものを嫌いになるってさ。それでね、」

「おい、ちょっと待て」

 先ほどの質問は無視されても黙っていてやったが、流石にこれは限界だ。よく言うもんねと言われても、あたしは寄席以外の場所で胞衣えななんて単語を聞いたことがなかった。

「もう、あっちゃんたら。ここからが聞かせどころなのに」

「聞かせどころって言われても。胞衣えななんて、女子高生どころか大人が言ってるところも見たことないぞ」

「あっちゃんてば世間知らずぅ。胞衣えなっていうのは胎盤たいばんのこと。それくらい純情乙女の常識だよぉ」

「ずいぶんグロテスクな純情乙女だな」


 あたしが軽く顔をしかめると、楓はわざとらしく咳払いをして話を戻した。


「それでね、今度はみんなで嫌いな虫を言い合ったの。ゴキブリとかミミズ、ハチにムカデにカマドウマ、とかとかとか」

「あたしもミミズは嫌いだ。あのぬるっとした見た目が気持ち悪い」

「みんなで色々言い合ってたんだけど、好きなものを言い合ってた時はあんなに楽しそうにしてた辰さんが何故だかずっと黙ったままだったの。だから私、」

「ちょっと待て」


 再びあたしは話をストップさせる。調子よく語っていたのにぃと不満そうに頬を膨らませる楓には悪いが、事実確認は重要だ。


「もう、細かいことは気にしないでよー」

「辰なんて名前のやつ、うちのクラスにいたか?」


 ぼんやりとではあるものの、一応クラスメイトの名前は全員覚えているつもりだ。が、辰という呼び名はぼんやりの記憶にかすりもしない。もしかしたら、他のクラスだったり他の学年にはいるのかもしれないが、楓は冒頭で言っていた。クラスの子たちと話をしていたと。


「……だから私、黙りこくってる辰さんに聞いたの。『辰さんはどんなものが怖い?』って」


「続けんのかよ!? てか、これ饅頭怖いだろ!」


 あたしも落語家である祖父から散々聞かされていたので、すぐにピンときた。虫のくだりなんてそのまんまと言ってもいい。というか、胞衣えななんて単語、饅頭怖い以外の話で聞いたことがなかった。


「でも辰さんは『ねぇ!』って言い張るから私たちもムキになっちゃってさ。何かあるでしょう?ってしつこく尋ねたら『お母さんが作ってくれたお弁当のご飯がコワい』って言い出して」


 予想通りの展開にあたしはため息を禁じ得ない。この話の終着点が〈饅頭怖い〉であることは火を見るより明らかだ。しかし、面倒臭いことに楓は相槌を打ってやらないと駄々をこねるので、仕方無しにツッコミを入れてやる。


「そのコワいは現代っ子には伝わりにくい。硬いって言ってくれ辰さん」

「そのコワいじゃなくって、動けなくなるような怖いものだよって尋ねたら『お母さんがワイシャツに糊を付けすぎちゃってコワくて動けない』とか言うの」

「ああ、あれだな。アイロンの時に糊を付けすぎてパリッパリになっちゃったのか」

「ああ言えばこう言うもんだから、私たちもしゃくにさわっちゃって『ムカデはどう?』って聞いたんだけど『あんなもんはミサンガにして足首に巻ける』ってうそぶいて」

「言っておくけどあたしもかなりしゃくにさわってるからな? 現在進行形で」

「辰さんたら『ゴキブリはチャンプルにして食べる』って言うし『ミミズは肉の代わりにハンバーガーに挟んで食べる』って言うの」

「飯時になんて話を……」

「忌々しいから、何か一つくらいなぁい?って食い下がったら、辰さんが『へへ、実は、それがあるんだわ。それを言うと、体中から冷や汗が流れ出てくる』って」

「ほう、何だって?」


 忌々しげに尋ねる。答えなんてわかりきっているので尋ねる必要はなかったが、そのほうがこの下らない作り話はさっさと終わるに違いない。


「辰さんは消え入りそうな声で『一度しか言わないよ……裸だ』って答えたの。もうみんなびっくりしちゃって」

「裸……?」


 予想していなかった言葉を受け、うどんを食べながら聞いていたあたしの箸がピタッと止まった。なるほど、ここから話を変えてくるのか、と。

 確かに予想を裏切ろうとするのは楓の悪い癖だ。大概よくわからないし、スジそのまんまのほうが面白いことが多い。伝統芸能は伊達じゃないという話なのだろう。

 だが、「勘弁だよ?」と口では言いつつも、なんだかんだであたしも楓の自由な発想は嫌いではなかった。そうでもなきゃ、この子の親友なんてやってはいられない。


「饅頭じゃないのか。そいつはあたしもびっくりだ」

「どうしてって聞いたら『それは言えない』って。よくよく思い出してみたら辰さんて体育の授業にいっつも遅刻してくるのよ。だから誰も辰さんの着替えてるところを見たことがなくって。それで誰かが気づいて『次の授業体育だね』って言ったら、辰さんは急にブルブル震えだして『こわいっ、こわいよぉ!』って教室を出て行っちゃったの」

「……それで?」


 本当は今日体育の授業がなかったことなんて、あたしはもちろん知っている。というか、クラスの子と好きなものについてお喋りしたのだって本当はしてないし、辰さんという子も本当はいないのだろう。作り話であることは明白だ。が、そんなことよりも〈饅頭怖い〉という有名な解答を避け、この話をどこに向かわせるのかのほうが今は気になり始めていた。


「辰さんがいなくなったあと、みんなで『なんなんだろうね?』って噂を始めたの。辰さんてガッシリしてるけどスタイルがいいのは知ってるでしょう?」

「ほー、そいつは羨ましい」

「で、辰さんの裸を見たいねって話になったの。次の授業は体育だって、着替えがあるって聞いただけであんなになっちゃうんだから何かすごい秘密があるんだろうなって」

「いい趣味とは言えないが……まぁ気持ちはわかる」

「だから更衣室に何人か裸で隠れてようってことになって。ほら、みんな裸だったらおあいこでしょ? 早速更衣室で制服を脱いでカーテンの陰に隠れてたんだけど、始業のチャイムが鳴っても辰さんはやってこなくて」

「お前、馬鹿だろ?」

「それから五分くらいかな、私たちもいつまでも授業に出ないわけには行かないから、じゃんけんで負けたエリちゃんがひとりで残ることになったの」

「ひとりで……そいつは心細いな」


 作り話の中とはいえ酷い扱いなエリには同情するしかない。こんな扱いをされているなんて本人は知るよしもないんだろうなとあたしがどこか哀れんでいると、楓はいやらしい笑みを見せボソボソと続きを語り始めた。


「エリちゃんもしばらくカーテンの陰に隠れてたんだけど、なかなか辰さんが来なくって。エリちゃんもそろそろ授業にいかないとと思ったその時、カーテンの向こうから、ぎぃ、って音がしたの。あ、辰さんだ!と思ったエリちゃんは息を潜めて辰さんが服を脱ぐ音を待ったんだけど……不思議なことに物音一つしなかったの。あれ?おかしいな。思い切ってエリちゃんはカーテンの中から飛び出したんだけど、辰さんの姿はどこにも……」

「何かおどろおどろしくなってきたな……」

「さっきの引き戸を引く音は何だったんだろう? 怖いなー、怖いなーって思いながらもう一度カーテンに隠れようと振り向くと……エリちゃんは突然背後から何者かに抱きつかれたの! 太い腕。荒い息。短い悲鳴を上げたエリちゃんだったけど『あー裸怖い』って聞き覚えのある声を聞いて『辰さん? 辰さんなのね』とすっかり安心したの。悪ふざけでやっていると思ったんだろうね。ところが、いっこうに辰さんはエリちゃんから離れようとしない。あろうことかエリちゃんの白い背中を舌で舐めまわし始めたの!」

 赤い舌をトカゲみたいにチロチロと出してみせる楓。爬虫類が苦手なあたしはそれだけでもゾッとする。


「我慢ならなくなったエリちゃんが『やめてよ!』って強く振り解くと、その拍子で辰さんの長く茶色い髪の毛が塊で落ちて、その下から坊主頭が現れたの! 太い腕。荒い息。厚い胸板。坊主頭。全てを理解したエリちゃんが歯を震わせながら『辰さん、お、男だったの?』と尋ねたところで……辰さんはうんともすんとも言わなかった。ただゆっくりと近づいてくる辰さんから逃げる為にドアの方へ逃げるエリちゃん! ところが、つっかえ棒でもあるのか、ガタガタガタっと音が鳴るだけでドアは開かない! 観念したエリちゃんが恐怖に苛まれながら最後に『辰さん、なんでこんな酷いことをするの?』と尋ねると、辰さんは下卑た笑みを浮かべてこう言いました。『ジョシコウセイコワイ』って。……どう、この話?」


 パパッといかないとあたしに止められるとでも思ったのか、よくわからない勢いで最後まで話しきり、楓はどこか自慢げなご様子だ。綺麗に落ちたでしょ?としたり顔を浮かべる彼女に――怖いは怖いでも、饅頭ではなくタダの怖い話かよ――あたしは呆れてため息しか出てこない。


「……なるほど、確かに怖い話だ」

「でしょー?」

「ああ。あたしはこんなくだらない話を作るあんたが怖いよ」


 やれやれと首を横に振り、よくわからない話を聞いていたせいで伸び始めてしまったうどんへと箸を伸ばすと、目の前の楓はキョトンとした顔でこう言った。


「……あっちゃん、それって私が欲しいってこと?」

「違うっての!」

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