初地上波放送 島根出雲ツナイデルス対伊豆ホットフットイージス 第16回戦(後)
ミナミキノボリハイラックス。うさぎやタヌキに似たような動物。それをモチーフにした選手が、球場の照明に目を細めながらマウンドに向かう。
『コワダさん、洞ヶ木選手はどのような投手でしょうか?』
『えー……あまり公式戦で見ない選手ですね』
端末を操作しているのか、コワダの言葉が途切れ途切れになる。
『経歴を確認すると……リーグ開始時から島根出雲ツナイデルスに所属しているのですが、今回が2回目の公式戦の登板になります。1回目が一昨年、成績は……氷土クオンにサヨナラホームランを打たれて負けていますね』
「ああ~、あったね!」
「初年度のゴールデンファイナルッスね。エモいのが描けたので覚えてるッス」
急造捕手のウルモトと投げた時のことか。そんなこともあったなあ。
『なるほど、それは自然アラシ監督も出しづらいわけです。洞ヶ木選手にとっては因縁の対決といったところでしょう』
「いやーそうッスかね?」
「きっとそこまで考えてないよね!」
ダイトラとノリはマウンドで話し合う。ダイトラが何か言うたびに、ノリは真剣に頷いた。最後に鼻を鳴らしてダイトラはキャッチャーボックスに戻り、プレイ再開が言い渡される。
『九回裏3対2、1アウト一、三塁。一打逆転もありえるこの場面で、バッターは本日好調な氷土クオン。ピッチャー洞ヶ木ノリは以前の対決でホームランを打たれています。さあどう対処していくのか──と!?』
ダイトラがミットを叩く。
『山茂ダイトラ、初球からど真ん中を要求! 意表を突く作戦か? いや氷土クオンは読んでいる、初球から打ちに行くという考え!』
「いつものッスねえ」
「作戦も何もないよね!」
ノリは、頷く。そしてグラブの中で握りをしっかりと確かめて──モーションに入った。
次の瞬間、クオンの混乱した思考が画面を埋め尽くす。
『空振り! 氷土クオン、初球から強打を狙いましたが、空振りです。しかし、これは……』
「えっ、今のって」
「せ、先輩、見ましたか?」
「ああ」
あの球はおそらく。
『この球は、マルオカさん』
『ええ、おそらくですが、ナックルですね。ああ今、球種判定も表示されましたね、ナックルです』
『ナックルボール! 洞ヶ木ノリ、ナックルボールで氷土クオンから空振りを奪いました! コワダさん、洞ヶ木ノリはこれが持ち球なんでしょうか?』
『いや、私も初めて見ました』
「自分も初めて見たッス。さすがにブルペンずっと見てるとかしないんで」
「おー、SNSでも騒がれてるよ。島根にナックル使いが!? って」
洞ヶ木ノリ。人数の都合で一軍と二軍を行ったり来たりし、一軍にいてもブルペンでしか投げていない投手。それがいきなり、この場面で魔球を投げたことで、ケモプロファンの間に動揺が走っていた。
『ケモプロ、ケモノプロ野球の中でナックルを投げる選手は、電脳カウンターズのロビン・ニアウッドが有名で、それ以外の選手は見つかっていないのですが……洞ヶ木選手がナックルを投げるところを見るのは、全ケモプロファン初めてのことではないでしょうか』
「あ、ナックルの練習してたところみたことあるって書き込みがあるッス。アメリカから帰ってきてからだそうッスよ?」
「本当かな? んー、でも、これはニュースだよね」
ライムは端末を取り出して忙しく手を動かし始める。
『2球目もナックル!』
テレビ画面の中で、白球が予想もつかない曲がり方をする。
『これは惜しくもボール。いやしかし、洞ヶ木ノリ、とんでもない武器を隠していましたね』
『ええ、驚きました。これは伊豆ホットフットイージスは苦しいかもしれません』
『というと──あっと、盗塁!』
ノリがモーションに入った途端、一塁にいたヒツジ系女子が駆けだした。
『峻嶺ルビィ二塁へ! ……ボール、バッテリーは動きません。1アウトランナー二、三塁になりました! 連投するナックルの隙をついて、峻嶺ルビィ、綺麗に盗塁を決めました』
『来ると分かっていればナックルは球速が遅いですし、捕手も取るのに手いっぱいですからね。洞ヶ木選手も急にストレートに切り替えられるほど習熟していないようですし、いい盗塁でした』
「いやーストレートでもダイトラは投げなかったんじゃないッスかね」
ダイトラが刺殺に回ることは珍しい──一方、投げた時の成功率は高いらしいが、回数が少なくて評価されていない。
『さあ一打逆転サヨナラの大チャンス。しかし伊豆ホットフットイージスの顔は険しいですね。コワダさん、先ほど、イージスの方が苦しいかもとのことでしたが?』
『前年度にイージスはナックル使いのロビン・ニアウッド選手とアメリカで対戦したんですが、完全にシャットアウトされてしまって、その後のペナントでも調子を崩してしまったことがあるんです。ナックルを意識して打線が全く機能しなくなってしまうという』
「あったッスねえ。もう去年の出来事ッスか」
アイダホ州ボイシ市の外れ、ブロッサムランドに行ったときの話だな。交流練習試合でロビンと戦ったイージスは、その後日本でのペナントレースで連敗を繰り返した。
『なるほど。ということはこの対戦、因縁に因縁を重ねたものになるようですね』
ノリはじっと指示を待つ。しかし、ダイトラが出すサインは一つだけ。
『1アウトランナー二、三塁、カウント
『いやー度胸のあるキャッチャーですね』
『と言いますと?』
『ナックルは変化が予測できませんから、非常に後逸しやすいボールです。1人還れば同点、三塁にランナーがいる状況ではキャッチャーとしては投げさせるのに躊躇するでしょう。それが迷いなくサインを出している。相当な自信があるのでしょうね』
『信頼関係バツグンのバッテリーということですね』
「なんというか実情を知っていると面白いッスねこの実況」
「信頼関係がある、というのは間違ってないんじゃないか?」
ノリはダイトラに絶対の信頼を置いているように見える。
『第5球……これもボール。カウント
その握りが見えた時点で、クオンの思考が走る。迷いながらも迷いを消すように振ったバットは──
『ファール! 切れていきました。マルオカさん、今のは……』
『曲がっていなかったように見えますね。投げそこないでしょう。洞ヶ木選手のナックルの成功率は、低いとは言えないものの、完璧でもないようです』
『氷土クオン、迷いがあったか。打球はレフト方向に切れていきました。フルカウントに追い込まれました』
──絶好球を打ち損じたクオンは、顔を青くする。
それを見て、伊豆ナインは動きを見せた。
『おっと、三塁ランナー、砂南ブチ丸がリードを大きくとっています。プレッシャーをかけようという意図でしょうか?』
『二塁ランナーもリードが大きいですね。うーん、しかしここはバッター勝負でしょうね』
『バッテリー、ランナーを無視してナックルを投げます!』
その握りを見たクオンは──ブチ丸を確認し、バットを両手で水平に出す。
『スクイズです!』
ブチ丸が走り、サードのマテン、ファーストのガン
『──……ストライク!』
空を切った。
『三振! ランナー戻ります! キャッチャー投げ──……ないですね』
『ショートのカバーが間に合うか微妙なところでしたからねえ』
ブチ丸が塁に戻り切ってようやく、黒ブタ系女子の
『いやースリーバントによるスクイズを試みました伊豆ホットフットイージス、しかし魔球ナックルを捉えることができずに失敗に終わりました』
『狙いはよかったですが、それ以上にナックルの変化がよかったですね』
肩を落とすクオンがベンチに戻る。それとすれ違ったカピバラ男子、バラ助はかっとなって気合いを入れてバットを握り──
『空振り三振!』
バラ助はバッターボックスに背中から倒れて、くるくると背中で回る。
『最後はナックル三連投で仕留めました洞ヶ木ノリ! 三球三振!』
『球を全く追わずに失投狙いでフルスイング、というのは狙いとしてはアリですが、変化がかかってしまえばこうなりますね』
「バラ助には男を見せてほしかったッスね」
「広報的には、ノリの鮮烈再デビューって感じでおいしいかな!」
確かにナックル使いが現れたなら、勝ってその名を知らしめてほしいところだ。
『ゲームセット、3対2で島根出雲ツナイデルスの勝利です! いやあ、見ごたえのある試合でしたねマルオカさん』
『そうですねえ。ナックルとは驚きました』
「ムフ。Twitterのトレンド一位にナックル来たよ。誘導誘導っと」
『もちろんナックルを投げる洞ヶ木選手もすごいのですが、私としては捕手ですね』
『山茂ダイトラですか』
『ええ。あの度胸、投手を信じる心、そしてナックルをひとつもこぼさない捕球能力。いい選手ですね。なぜ第三捕手なのか疑問なぐらいです』
「主に打てないからッスね」
「守備のサボりもあるよね」
おそらくその部分が大きく評価されているのだろう。しかし。
「その二つを差し置いても、ナックルを捕れるというのは大きいんじゃないか?」
「ッスよね!」
「んー、でもルーサーとかタケシも捕れちゃうかもよ?」
「……それもそうだな」
アラシ監督がどうするか分からないが、ノリを起用するならナックルを投げない選択肢がない。二人の捕手が捕れるかどうかもチェックされるだろう。それ次第だろうな。
『全体を通してはいかがでしたか?』
『やはり思考が見えるというのが新鮮でしたね。私も解説という仕事をしていますので、選手の心理を予測することはあるのですが、こうやって表示されると当たっているにしても外れているにしても楽しいです。ケモプロの人気が分かった気がします。いや、コンピューターがやっているゲームだなんて思えませんね。これは野球ですよ!』
解説が興奮した様子で言う。もちろんこれからやっていくコンテンツなのだから悪く言うことはないだろうが、それだけではない言葉に聞こえた。
「ケモプロ、テレビで見た人にもファンになってもらえるといいッスねえ」
「そうだな」
球場の観客席を埋め尽くすアバターが、その盛り上がりが、将来を予感させるように見えた。
『ありがとうございます。コワダさんはいかがでしたか』
『地上波ということでもちろん緊張しましたが、それ以上に皆さんに受け入れてもらえるかどうか気になっていたので、マルオカさんにそう言っていただけると心強いです』
『ありがとうございます。以上を持ちまして島根出雲ツナイデルス対伊豆ホットフットイージスの試合の中継を終了いたします。実況はツクダ、解説にマルオカさん、コワダさんをお招きしてお伝えいたしました。それでは次の試合でお会いしましょう』
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