Evil

 3月27日。


「こうなってくると、Evilになりたくなってくるよね」


 仕事場でライムが、突然そんな邪悪なことを言い出した。


「……何か悩みがあるなら聞くぞ?」


 外出を控えているせいでストレスが溜まっているのかもしれない。

 従姉とずーみーはまるで平気そうだし、ミタカもニャニアンもここで作業をしている間は楽しそうだ。なんなら二人ともいつのまにか住み着いてる。しかしライムはシオミと同じく外回りが多かったし、外に出たいのかもしれない。スーパーへの買い出しに連れて行こうか、しかしなあ……――


「ん、悩んでるというか、悩ましいよねって話だよ」

「悩ましい?」

「今Evilになったら大金持ち間違いなしだからね!」


 邪悪は金が儲かるのか。


「いびるってなんスか?」

「ムフ。Don't be evil、自社利益を優先せず、ユーザーを優先しようっていうGoogleのモットーだよ」

『数年前に、その一文が社内規範から外れたとかで話題になりましたね』


 仕事場に設置された『窓』からタヌキ型アバターのサトシが頷く。今日はなぜかアロハシャツだった。


「例えばGoogleのやってるGmailって無料のメールサービスで、先月アクティブユーザー数が10億アカウントって発表されたんだよね。中にはG Suiteっていう有料版を使っている人もいるけど、大半は無料ユーザーだと思うんだ」

『G Suiteのアカウント数は公表されてないからね。でもまあ、大半はそうでしょう』

「どうどう、お兄さん。来月からGmail、利用料金を月1ドル取っちゃおうか!」


 1ドル。年12ドル。


「……年120億ドルの売り上げか。メールアドレスを急に変えるなんてなかなかできないだろうし、1か月しないうちにユーザーが10分の1になっても年12億ドル」

「おっとそこのインフラの休止分も追加デスネ。Gmailを支えてるサーバを止めるなり転用するナラ、それだけ利益は出マス」

「そういうのもあるのか」

「マ、ソーユー経費削減を純粋な黒字として見るナラ、デスケド」


 ニャニアンは肩をすくめる。


「Google検索も1回につき1円徴収してみる? 年間検索回数、推定で最低2兆回ぐらいって数年前に言ってたよ!」

「2兆円欲しいッス!」

「純粋なユーザーから徴収するのが嫌なら、YouTubeのチャンネル開設にお金取ってみようか。3700万チャンネルぐらいあるらしいから、これも月1ドルでどう? YouTubeで生計立ててるならこれぐらい払えるよね!」

「年……大体4億ドル?」


 ドルにしているから少なく感じるが、日本円だと400億円以上か。


「課金だとハードルが高いかもね? もっと広告を強烈にしちゃおうか。Gmailには受信拒否できない、開封しないと他が読めない広告メールが月イチで来るとかどう? 検索結果も1ページ目は全部広告!」

「不便だが……金を払うよりは受け入れやすそうだな」

「うんうん、つまりね」


 ライムは雲のように笑う。


「無料でサービスを展開して、社会のインフラとまで呼ばれるようになった後、課金を開始したり不便にしたりする。ユーザーはもう簡単に辞められる状態じゃないから、しぶしぶ従うしかない。どうどう? とっても儲かるでしょ? それでもって――とってもEvilだと思わない?」

「まあ……少なくとも同じ会社のサービスを使おうなんて思わなくなるな」

「ハン。思わなくても使わざるを得ない状況にもってくんだよ、そーゆーのはな」


 ミタカが鼻で笑う。なるほど邪悪だ。


「ケモプロも邪悪になれるんスか?」

『ま、少し状況をまとめてみましょうか』


 ぽん、とサトシが腹を叩く。いい音がした。……サウンドエフェクトだよな?


『新型コロナウイルスの影響は世界的に広まり、早くから感染者の出ていたにしては持ちこたえていた日本でも、いよいよ東京がロックダウンされるんじゃないかという状況です』


 初期のころはインフルエンザみたいなもの、というような話だったが、どうやらそれ以上に厄介でしたたかだったウイルスは、人のみならず経済にもダメージを与え始めている。


「ロックダウンって何やるんスかね?」

「明確な定義はねェな」

「都市封鎖と訳されていますが、日本では法的には交通遮断はできません」


 シオミが伊達メガネを直しながら言う。


「一部商業施設以外への強制力はありませんので、より強力な自粛要請……というところが実態かと」

「結局個人の意志に委ねられているんだな」

「日本のいいところでもあり、悪いところでもあり、一長一短だよね!」

『はっはっは。人類が叡智を授かっていれば問題ないんですがねえ』


 さて、とサトシは話を戻す。


『プロ野球は24日に練習試合と称して行っていたオープン戦を中止。チームは一時解散、再集合は来月4日、開幕は来月24日……と今のところ発表されていますが、疫病の収束が見られなければズルズルとスケジュールは後ろにずれていくでしょう。そしてこれはプロ野球だけの問題ではありません』

「人が集まるイベントはだいたい中止か延期になっていってるね! ライブも、映画も」

『そしてスポーツも。大相撲は無観客で春場所を乗り切りましたが、サッカー、ラグビー、テニス……観客がいてこそ成り立つ様々な興業がスケジュールの中止、延期をしている状況です』

「そんな中勢いをつけてきているのが、ケモプロなんだよね」


 ライムは雲のように笑う。


「リアルなプロスポーツを毎日提供して、観客を集めている。野球難民の希望の星! だって。ムフ」

「視聴者数、売り上げともに前年比で大幅に増加しています。特に新規ユーザーの増加数には目を見張るものがあるかと」

『そしてSNSを中心に注目を集めた結果が、今回の契約ですな』


 サトシがニュースサイトの記事を表示する。



『ケモプロ。各試合を地上波、CS、ラジオ、ライブストリーミングサービスにて生放送開始』



 それはつい昨日発表されたニュースだ。


『……いやはや、大きな話になったものですな?』


 そのために走り回っていた功労者は、タヌキの姿でニヤリと笑う。


「ムフ。いろんなスポーツが試合をやらなくなっちゃって、放送するものがなくなっちゃったからね。スポーツ専門をうたっているCSとかネット配信は特に、契約者からお金をもらってるわけで、試合をやらないからって放送をしないわけにもいかない。かといって再放送だけでつなげられるかというと、そうもいかない」

「見たことある試合じゃ、再放送されても困るッスね」

「そうそう。勝ち負けを知ってる試合じゃ盛り上がれないしね! じゃあ今でも色あせない名試合を放送する? っていうと、それもすぐネタ切れになっちゃうし」

『それだけでなく、再放送では実況、解説、カメラマンなんかの放送に関わる人間の仕事もなくなりますからね。彼らにも生活がある以上、何かの仕事を与えないといけない』

「そこで、ケモプロだよ!」


 そこで、ケモプロだった。

 各スポーツが試合の中止を発表する前からコンタクトがあり、ここ二週間ほどで急速に話が進んだ。シオミ、ライム、サトシの協力がなければとてもさばけなかっただろう。ミタカとニャニアンがCS放送時に、今後を見越してパッケージ化してくれていたのも大きい。


「毎日新しい試合のあるケモプロなら、放送をする人たちの仕事ができる。契約者にも新しいコンテンツを届けることができる……これがケモプロの強みだよね!」


 天候も疫病も関係なく、スケジュール通りに試合を組んで興行し、観戦できるのはケモプロの強みだ。実際、放送関係者たちにもだいぶうらやましがられた。なんなら多少の時間なら前後できるから、あらかじめ決められていた放送枠に合わせることができる……開始時間だけは。終了時間は試合内容次第だ。


「アメリカでも同じような状況で、さあ配信サイトがたっくさん増えて、世はケモプロフィーバー! ここでKeMPBとBeSLBに入ってくる放送事業者からの契約金はー!?」

「ゼロだ」


 0円。どの放送局からも金はもらっていない。


「ケモプロの放送サイトは増えた。しかし、これは――代替だ。この疫病が過ぎ去り、本来のスポーツ興行が戻ってくるまでの」


 あくまでも代わり。代役に過ぎない。


「ケモプロを報道のネタとして使うことに、金はとっていない。しかしケモプロの放送をメインコンテンツとして商用利用する場合──というか、こちらの技術協力が必要な場合は、契約金を取る。実際、去年のゴールデンウィークのCS放送ではちゃんと契約をして金をもらった。だが、今回は無料で提供する」

「コロナウイルスのせいでみんな大変だからッスね」

「うんうん。ここは恩を売っておくっていうのはアリだよね。……でもさ」


 ライムは雲のように笑い、邪悪を口にする。


「Evilになるとすごく儲かるんだよね! 放送局から契約金を取るでしょ? 球場に広告を出している企業からは、媒体が増えるんだからって広告料を値上げするでしょ? 何も今すぐじゃなくて、無料でちょっと使わせておいて、徐々にお金を取るようにするとか?」

「確かに儲かるだろう」


 しかし。


「だがそれは次につながらない。ケモプロを放送する、それがこの厄災の間だけではダメだ。今は代わりかもしれないが、いずれ、ケモプロ自体を放送したいと思ってもらえるように……今は、乗り切るための協力をする」

「うん。だから無料にしたし、らいむも賛成したんだよね。らいむ、お兄さんのそういうとこ好きだよ」


 ライムは「でも」と続ける。


「それはそれとして、契約の数とか見ると、ちょっとぐらいいいかな~! って思っちゃうんだよね! Evilにならないって、本当に大変だよ! ちょっと試算してみたら、すっごい金額になったんだから!」

「広告の入れ替えには対応するだろう?」


 テレビ、ラジオ、ネット配信。露出媒体が増えたことで、ケモプロ内の広告スペースの価値は高まった。現在の契約以上の価格でスペースを買い取りたい、という話はたくさん寄せられている。


「うん。そこで利益は出てるけどね。でも広告を下ろすところもあるし、きっとそれは今後増えていくから」

「この騒動で広告を出す余裕がなくなった企業もありますからね」


 特にイベント系の企業が、自粛による中止から顕著にダメージを受けている。ケモプロへの広告出稿をやめたい。そういう話も同じぐらい寄せられていた。そういった企業には、持っていた広告スペースが買われた金額の一部を渡している。本来なら全額KeMPBのものだが、今はそういう情勢じゃない。


「あとはユーザーからの課金額も上がってるよ!」

「まァ、世界的に家から出るなって状況だしな。ゲームの売り上げも増加してるらしいぜ」

『はっはっは。帰ってプレステやれ! の時代ですからね。僕はニンテンドーですが』

「テレビで放送されたら、座席の売り上げも上がるんスかね?」

「あがるあがる!」


 ケモプロの球場内の座席は基本無料だ。ただしチャンネル1――放送用に使われる、ケモノ選手たちが認識している世界の座席は席料を払ったユーザーに優先権がある。つまりケモノ選手たちに見てもらいたければ、放送に映りこみたければ、席料を払う必要があるわけだ。もちろん誰も課金していなければただの先着順だ。しかしテレビ……それも地上波となれば、お金を出して映ろうというユーザーも出てくるだろう。


「というか、実際上がってるよ。予約いっぱい入ってるもん」

「おお、景気いいッスね! てことは」


 ずーみーはもさもさ頭を揺らす。


「ケモプロはこの騒ぎの中、ひとり勝ち組ってことッスか?」

「――とは、ならないだろう」


 目の前だけ見れば確かにケモプロは騒ぎに関係なく業績を伸ばしているように見える、しかし。


「ケモプロを支えている柱の一つは、球団オーナーだ。そしてオーナーの本業は、この騒ぎでマイナスの影響を受けている」

「そうなんだよね。外出できないってなればセクはらの服は売れないだろうし、ホットフットインに泊まる旅行者もビジネスマンも減っているし」

「ああ、そッスね……島根も鳥取も、大部分が観光業でしたっけ」

「日本じゃ電脳と青森ぐらいだろーな、ダメージ少ねェのは」


 電脳カウンターズのオーナー、オニオンインターネットはむしろリモートワークの需要で業績を伸ばしていると聞く。青森は……りんご本体や関連商品の売れ行きにはあまり影響がないそうだ。


「BeSLBの方では、ブロッサムランドが閉園を検討していると聞いた。トイワードも店舗を閉めると」

「あぁ……そッスよねえ……」


 ヨゾラ・エアウェイは貨物中心なので軽微。ストレート・レモネードも青森同様。ダレルの建築設計事務所は影響なし。ブライトホストはオニオンインターネットと同様に売り上げがむしろ上がったらしいが。


「もう一つの柱は広告主だ。これはさっきも言った通りで、体力のある所は出稿してくれる。しかしこの状況が長引けば、広告を出せない企業は増えていくだろう。そして最後の柱が」


 もっとも巨大な層。ケモプロが向かい合うべき相手。


「ユーザーだ。娯楽に金を出す余裕があるうちはいい。けれど現実の仕事を失い、経済的に困窮してくれば――娯楽でしかないケモプロは」


 生きていくために必要でないと判断されれば。


「真っ先に切り捨てられるだろう」

「……はやく、よくなるといいね」


 従姉がしんみりと言った言葉が、仕事場に静かに響いた。

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